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自分語り、ODバレと入院生活①

初めまして、みやと申します。

時系列はごちゃごちゃですが、私のこととタイトル通りの話をしようと思います。

私は中3の9月頃になりいじめや親からの進路の期待などによって不登校になっています(現在も)。
先月ついにODバレをしました。

私は受験生というのもあり、ひたすら塾で勉強してその苦しさをODで誤魔化す毎日を送っていました。

そんな夏休み明けに限界を迎える日が来ました。
仲の良かったはずだった友達に悪口を言われ、影でひそひそ笑っていることに気づいてしまいました。

それから元々あった心配性も重なり、人がこっち(自分)を見て話していると悪口を言われている気分になったり誰かと話していても本当は私と喋りたくないんじゃないかと教室に入ると被害妄想が止まらなくなり、学校に行きたくなくなりました。

ただ私の親は自称進学校へ受験させようとしていて、そして親からの期待が怖くなって。それ(嫌だということ)を伝えるのもすごく怖くて、死にたくなり始めました。

土曜日の午前中、朝日はとっくに出てきているのに一向に起きられなく父親に声をかけられていてもまでベットから降りることすらできなくなりました。脳内では学校に行きたくないことを話したい。そう思うけれどうるさい行けなんて言葉で片付けられたらもう死ぬしかないんじゃないか、なんて気持ちが頭の中でぐるぐると廻っていました。

勇気を出した結果、帰ってきたのはごめんね辛いの我慢させてたねなどと暖かい言葉でした。あの時だけは、一瞬救われたような気もしていました。

ただ死にたい気持ちは止まらなく、精神科に通いだしてもほぼ毎日ODで気を紛らわさせる生活を送っていました。

とある深夜、メジコンを30t飲んだ日に気づくと私は救急車に乗っていました。親曰く、瞳孔が合わず呂律が回っていなかったから救急車を呼んだそうでした。ただ私の記憶は薬のせいで曖昧で、親を呼んだ記憶も話した記憶も僅かにしかありませんでした。そしてそのふわふわしたまま人生初の救急車に乗りながら深夜故に長時間かけて少し遠い病院へ搬送されました。

気づいたときには鼻に炭のチューブが入れられていて点滴もされてました。会いに来た親にはひたすら申し訳なくて、ただひたすらごめんなさいごめんなさいと謝ってました。

これは後から聞いたのですが、救急車に運び込まれた後、警察の方が事件性がないか調べるために私の部屋や机周りを片っ端から調べていたそうです。鍵付きの引き出しにしまっていたメジコンの空箱数十個とブロン、金パブ全てが親に見つかり、バレました。

今となると本当に愚かな話ですが記憶が飛ぶのも怖いし、未だに薬を管理されたりするのも嫌なので本当にODはやめようと自戒しました。


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