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未来の予知・予言 ~死海文書(1)~

死海文書を書いたとされるエッセネ派は、ヨセフスの『ユダヤ戦記』によれば、予言がはずれることが極めて稀であると述べられています。

彼らの中には、聖文書、さまざまなきよめ、預言者たちの語録に通暁し、将来のことをも予知できると主張している者たちもいる。実際、彼らの予言がはずれることはきわめてまれである。

土岐健治. 死海写本 「最古の聖書」を読む (講談社学術文庫).

死海文書では、この予言能力のことを、「起こるべきことの秘儀」(ラズ・ニフヤ)と呼んでいます。

磔刑

旧約聖書では、イスラエルで磔刑はないとされていました。

もし人が死にあたる罪を犯して殺され、あなたがそれを木の上にかける時は、翌朝までその死体を木の上に留めておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。

申命記 21. 22-23

この申命記では、「殺された」後に、「木の上にかけらる」時の話で、磔刑では、ありません。ただ、死体が木にかけられた時は、死体をその日のうち(=日没まで)に、埋めなければならない、と書かれています。
ヨハネによる福音書では、翌日(=日没後)が安息日だから、死体を十字架の上に残しておくまいとしたと書かれていますが、安息日にかかわらず、木の上に留めておくことは、できなかったものと思われます。

一方、死海文書では、磔刑そのものについて記載されています。

もし、自らの民に対して中傷する者があり、その民を異国民に売り渡し、その民に悪を行うなら、あなたたちは彼を木に架け、死に至らしめるように。・・・彼らの死体を、木の上で夜を過ごさせてはならない。その日のうちに、彼らを必ず葬らなければならない。実に木に架けられた者は、神と人々とに呪われた者だからである。あなたは、わたしが嗣業として与える土地を穢してはならない。

神殿の巻物 死海文書II (ぷねうま舎)

これを読んで、イエスの磔刑、十字架に架けられることの意味を、考えさせられることになります。

自らの民(イエス、エッセネ派)に対して中傷する者(ファリサイ派、サンヘドリンの長老たち、ヘロデ・アンティパス)があり、その民(イエス、エッセネ派)を異国民(ピラト、ローマ)に売り渡し、その民(イエス、エッセネ派)に悪を行う(磔刑にする)なら、あなたたち(ユダヤ人)は彼(ファリサイ派、サンヘドリンの長老たち、ヘロデ・アンティパス)を木に架け、死に至らしめるように。

十字架に架けられ、磔刑にされるべきは、イエスではなく、ファリサイ派やヘロデと思えてならないのです。

ファリサイ派は、死海文書の中では、「滑らかに話す解釈者たち」と呼ばれています。「滑らかに」と訳されたヘブライ語(ハラコート)が、ファリサイ的な、後のラビの法的伝承や規則を意味する語ハラホートと語呂合わせになっていると指摘する研究者もいます。
Wikipediaでは、ファリサイ派が、現代では「ラビ的ユダヤ教」、「ユダヤ教正統派」と呼ばれているとしています。

さらに、死海文書では、このファリサイ派が磔刑にされたことが書かれています。

これの解釈が関わるのは、エルサレムについてである。それは諸国民の邪悪な者たちの居住地になってしまった。
【ナホム書からの引用】
これの解釈が関わるのは、ヤワンの王デメトリオスについてである。彼は、「滑らかなる輩」の助言をもとにエルサレムに入り込もうと企てた。しかし、神はエルサレムを与えられなかった、ヤワンの王たちの手には、アニティオコスの時からキッティーム(ローマ)の支配者たちが立つ時まで。しかし、後には、それは踏みつけられるであろう。・・・
【ナホム書からの引用】
・・・これの解釈が関わるのは、怒れる若獅子についてである、
・・・
滑らかなる輩に復讐し、彼は男たちを生きたまま磔にする

ナホム書ペシェル 死海文書III (ぷねうま舎)

怒れる若獅子とは、ハスモン朝の王で大祭司を兼ねたアレクサンドロス・ヤンナイオスとみなされています。
これを、神殿の巻物の磔刑で解釈すると、以下のようになるのでしょう。

自らの民に対して中傷する者(滑らかなる輩=ファリサイ派)があり、その民を異国民(デメトリオス3世、セレウコス朝シリア)に売り渡し、その民に悪を行う(エルサレムを陥落しようとする)なら、あなた(怒れる若獅子=ヤンナイオス)たちは彼(ファリサイ派)を木に架け、死に至らしめるように。

せっかく、マカバイ戦争で、セレウコス朝シリアからの独立を勝ち取ったのに、ファリサイ派は、セレウコス朝シリアのデメトリオス3世に軍事支援を求めて、ヤンナイオスと戦ったわけです。
ファリサイ派を含んだヤンナイオスの反対派約800人の磔刑は、エッセネ派の観点からみると、正しいように思えます。

死海文書のナホム書ペシェルでは、この後、終末の時にファリサイ派が何をするかの予言(預言)が、語られています。

つづく。

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