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これはもう裸といへる水着かな/大野朱香

この記事は、一旦アップした後、間違えて削除してしまい、再びアップし直したものです。既に「スキ」をしてくださった七瀬ゆきこさん、ごめんなさい🙇‍♀️
そして、ありがとうございました。


歳時記や俳句のネット検索などを通して何となく心に残っていた俳人が、後から自分が所属する結社「童子」の同人だったと知って、驚くことがあります。
私が童子に入会したのは2017年の3月でしたから、この頃大野朱香さんは、既に亡くなられていましたので、(2012年没)全く存じ上げませんでした。

これはもう裸といへる水着かな
季語 水着/夏〈人事〉

この句をどこで目にしたかは、覚えていません。手持ちの歳時記には載っていないので、多分ネットで見つけたのだと思います。
そう・・・大胆なビキニが流行った時代がありました。作者は水着を着ている側なのでしょうか、それとも見ている側なのでしょうか。自分は水着を着ている側と読みました。勢いで買ってしまった大胆な水着。でも、いざ海岸に出てみたら、恥ずかしさに自分で自分を持て余してしまう。いや、もしかしたら更衣室の鏡の前に佇んでいるのかもしれません。
大胆な言葉選びではあるけれど、自分自身を嘲笑するような物悲しさも感じます。

この句は、筆者の第2句集「はだか」に掲載されているそうです。
残念ながら、現在廃版になっていますが、書影はこちら

句も大胆だけど、書影も大胆。
でも、こんな水着姿で海岸が溢れかえっていた時代が、確かにありましたよね。

この句の作者が、「童子」の連衆であったことを知った時の驚き!

大野朱香さんは第4句集まで出版されていますが、どれも絶版になっていて、最近、第4句集「一雫」を古本として手に入れることができました。第3句集「反物」も偶然手に入り、間も無く到着予定です。

今回調べたら、大野朱香さんは、私とほぼ同じ年なんですね。亡くなられたのは、まだ50代半ばだったようですが、朱香さんの句の景は、私の若かりし頃の思い出と重なります。
これから少し、朱香さんの句の鑑賞などを書いてみたいと思います。

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