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「ヲタクの好意=筋肉」論

たぶん駄文

夏。めっちゃ夏。セミとヲタクが増える夏。ただひたすらじっとりと、土中で機会を待ってた両者。いざフロア(地上)が熱くなったら「ウマい時期だ!」と飛び出す両者。かくして7日と7週ほど、スター取ったマリオよろしく、狂乱のまま生き散らかす両者。先手セミ。一生うるさいセミ。鳴いてわめいてマグワイヤー。その実、長年の下積みの成果をたった7日で出さなければならない過酷な生を送るセミ。頑張ってくれ…とは思いつつ、羽音がホントに嫌なセミ。対する後手ヲタク。正しく学名で言うと「アイドルヲタク」。積んで並んでチェキって剥がれ、重ねる数十秒の会話劇。頑張れ訥弁。ネットじゃド多弁。夏の分厚い思い出は、現場通い半年分の謝恩として推しメンの脳に刻まれる(…はず!)。そんなボーナスタイム、夏。フェスとフェチが多い夏。ラムネの瓶がプラスチック製と気づいて老が寂しくなる夏。人出が多い夏。使い切れなかった制汗シートが中途半端に余って、気付くとカピカピになってる夏。ほんとヲタク倒れないようにね…夏。

本題と見せかけて

さぁそろそろ140字以上の文章を読めない意地悪er達も撒いたはずなので本題に入ろう。

今回の脳内ダム放流は「ヲタクの好意」について。

具体的には、ヲタクを突き動かす『推しメン!!!!!!(クソデカ大声)(精神的な声も可)』というエネルギーの源泉こと「好意」について最近考えたことを、なるべく他人に伝わる形で言語化しまっせ!と頑張ってみた記録がこの文章。なはず。きっと。おそらく。

好意への興味

ところで、気付けば屋久杉ぐらいの年数ヲタクやってたアチキ。

だもんで、それなりに演者・観客含め色んな人を見てきた中で「ヲタクの好意」の多種多様さに心惹かれ、次第にそのハートフルなキモさ溢れる魅力に前のめりになっていった。

この理屈で説明できない千差万別な感情こと「好意」。

個人的にコレは一人一人が持つ「こっちに行けば自分はより幸せな人生を送れるはず!」という無意識レベルのセンサーというか、方位磁石みたいなものだと思う。

だから自分や、自分が親しみを感じた人の抱く「好意」の形にとても惹かれる。

なので自分が「好きだな」と感じたアレコレについて、「なぜ好きなのか」を自分なりに言語化して納得するための情報収集や行動が心から楽しく、自然にずっと続けてきた。

更に他人が抱く好意についても気になるので、知り合いのドルヲタに話を聞いては、各々の推しメンへの好意が「どう生まれて/どう育って/どう変わってきたのか」を本人の言葉で聞くのがすごく楽しくて、その趣味が高じてインタビュー的なブログやラジオを気づけば結構な数作ってきた。

そんな感じで、まぁ人並み以上には主観的&客観的にドルヲタ目線の「好意」を気にかけてきた僕なのだけど、最近思ったのは「推しへの好意って筋肉で喩えられるな」ってこと。

ヲタクの好意を筋肉で喩える

筋肉。

生き物ならだいたいのヤツが持ってる筋肉。

中でも人間の筋肉には、大きく分けて二種類、白筋と赤筋というものがある。

これは読んで字の通り、筋繊維が白い筋肉を白筋、同じく赤い筋肉を赤筋というらしい。

この白筋と赤筋は得意分野がそれぞれ異なり、収縮速度が速く瞬発的な運動を得意とする白筋を別名「速筋」、逆に収縮速度が遅く持続的な運動を得意とする赤筋を別名「遅筋」という。

この速筋と遅筋の割合は人によって様々で、分かりやすい例でいうと、マラソン選手の体に遅筋が多い一方で、短距離走の選手には速筋が多い、て感じ。

で、だ。

この筋肉の性質を、ヲタクから推しへの好意に重ねられないかと考えてみた。

要するに!っつ~話

さて主旨に着くまでダラダラと1,400字ほど浪費してしまったが構わず続けよう。

要するに、速筋と遅筋のようにヲタクの好意にも「瞬間的な熱量のトリガー」と「長期的な持続力のトリガー」の二つがあるんじゃね?ということを言いたかったのですアタシは。

速筋=興味

まず速筋に当たる「瞬間的な熱量のトリガー」は、大枠な表現だが「興味」だろう。

当然この「興味」の要因は人それぞれだけど、「それまで無関心だった相手に、ある時点で興味が湧く」という流れを考えると、その多くは瞬間的に届く情報、たとえば「顔が可愛い」とか「歌orダンスが上手い」とか「言動が面白い」などがその典型といえるだろう。

まずこの「興味」を瞬間的な爆発力を生む「好意の着火点」という認識で、上記「速筋」に重ねて考えてみる。

遅筋=敬意

対して遅筋に当たる「長期的な持続力のトリガー」は「敬意」、より平たい言い方をすれば「リスペクト」が妥当ではないかと思う。

そしてこの「敬意」の要因が何かと考えると、やはり年代や性別や職業といったどんな要素も飛び越えて響く言外の説得力、すなわち「個人としての成長」がその代表例になるのではないか。

「人間は人間の成長に惹かれる」

これは日本人なら特に色濃く共有している感覚だろう。

加えて、多くの人が理想の自分と現実とのギャップを埋める「成長」を望む中で、ステージ上で分かりやすくその「個人の成長」のモデルケースを示せるアイドルは、ファン視点から見る一時的な好奇心を満たすための「興味」の対象から、継続的な探求心をくすぐる「敬意」の対象に変わる。

なのでこの「敬意」を、熱量を続かせる持久力の根拠という認識で、上記「遅筋」に重ねて考えてみる。

速筋と遅筋、興味と敬意

ではでは今回のキーワードが出揃った所で、受験生に向けてここまでのおさらいをば。

まず“点の意識”かつ”今への視点”である「興味」。

対して”線の意識”かつ”未来への視点”である「敬意」。

瞬発力と持続力を兼ね備えた頑丈な好意には、この二要素が欠かせないんじゃね?というのがここまでの主張。

まぁこんなこと言うとヒネた中年ヲタクが「継続的に応援させるための要素ならヲタク側の寂しさと、それを埋めてくれるアイドル側の接触やSNSでの承認行動という需要と供給で全部説明できるでしょ?それをわざわざ『敬意』なんてキレイな言葉で飾って回りくどい書き方しなくてもいいんじゃないですかぁ?」とか言ってきそうなので先回りして反論しておくと、あくまで他と代替不可能な、いわゆる「その人じゃなきゃダメ」な好意の要素として「特定個人の人間から人間に向けられる敬意」があるのでは、という話をしているわけです。

そらもちろん寂しさから他人と関わろうとする行動原理を否定する気はありませんが、「誰でもいいから寂しさを埋めてくれる相手」って前提ではなく、「他にいくらでも選択肢がある中でもやっぱりこの人!」という唯一性のある好意について論じたいなと今回は思ってるわけです。

TikTokは速筋地獄

そんでは、だいたい書きたいことも書いたので最後に思い当たる具体例でも書き添えて結ぼうと思います。

舞台はいまやショート動画SNS界の覇者、TikTokについて。

個人的にTikTokは、好きなアイドルやらKpopやら、筋トレ・居酒屋・映画・小説…etcといった趣味関連の情報収集を主目的としてぼちぼち見ている。

もちろん投稿とかはキホンしてないので、バズを狙う送り手側の嗅覚など微塵もなく、ただの通行人A的な距離感でTikTokを眺めている、というのが今の僕の立場。

で、その自分の目線から見て以前ちょっと驚いた事があった。

それはいわゆるダンス系のショート動画が流行った時のこと。

キャッチーで楽し気な楽曲に乗せて笑顔で歌い踊るフォーマットが短期間で一気に流行り、いわゆる“バズる“という現象となって、芸能人・一般人を問わず幅広いTikTokユーザーに広まったことがあった。

そしてその流行は一過性のものでは終わらず、長く継続的に色んな人がマネをするぐらい、その楽曲およびダンスはTikTokにおいて多くの人に愛される撮影フォーマットとして市民権を得た。

そんな現象を目にした数カ月後、偶然その楽曲を使っている動画を目にした時にふと思った。

自分はこの曲のサビを何百回と聞いているのに、正式な曲名も知らなければ、歌手がどんな活動をしているどんな人なのか、グループなのか個人なのか、そもそも今現在も活動している人なのか、そしてリリース年はいつ頃なのか等々、とにかく断片的な数十秒のメロディーと歌詞以外に一切の情報を知らなかったし、それを気にしたこともなかったのだ。

これに気づいた時にちょっと怖いなと思った。

要はその楽曲およびダンスをTikTok動画の一フォーマットとして認識してはいたものの、当の楽曲の歌手や制作者の情報を一切知らず、ゆえに何の敬意も持ちようがなかったからこそ、そこに対する興味が本当に表面的なものでしかなかったし、より深く知ろうとも、流行ったまでの経緯や文脈を調べようとも一切思わなかった。

これはTikTokに限らず、「バズ」を主眼に置きすぎる今のSNS界では日常的な光景ではないかと思う。

一気に多くの人の目に留まろうと、最もヒキが強い一面的な情報だけがあまりにも速く広くネットを介して浸透する。

それは不特定多数の人を相手に瞬間的な興味こそ生むものの、「そこに至るまでに生きた人間の努力や工夫があった」という当たり前の事実が希釈されてしまい、ゆえに送り手への敬意やリスペクトが集まりづらく、結果として次々に流行を使い捨てる目まぐるしいサイクルが生まれ、それが常態化していったのではないか。

遅さの真価

「速く簡単に得たものはそれだけ壊れやすく、逆にゆっくり着実に培われた財産ほど長く手元に残る」というのは個人的な自論だ。(課金レースで得た注目とか特にね!ね!)

なので、瞬間的に浅く広く届く「速筋」的な興味のキッカケがもちろん重要である一方で、対して鈍重ながら深く届く「遅筋」的な敬意のキッカケとして、個人の強味や弱味といったその人らしさが密接に絡む「成長」の要素を、演者が心身をすり減らさない範囲でエンタメ上の商品として提示できる、そういうアイドルや運営さんにこそ優先的にエールを送りたいし、その誠実なやり方が真っ当であることを証明するためにも、商業的に一定の説得力が生まれるレベルまで売れて欲しいなと思う訳です。

ではでは、もともと三連休で完成させようと決めて書き始めた記事だったことに加え、これ以上時間をかけたところで大してクオリティも上がらなそうので、お恥ずかしながらこの駄文乱文状態でひとまずの結びといたしまして、ここに献上させていただきます。

それでは、今日書きたかったことはこれぐらいです。

あらした。

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