鉛の景色と経験
前回のつぶやきで、私の中で大きな浄化の流れを感じていることを書きました。
その流れの一環で、私がずっと見て見ない振りをして、心の奥に閉じ込めたものを、取り出してみようかなと、ふと妙な気持ちになりました。
誰にも言いたくなくて、話したくなくて、バレたくなくて、ずっとずっとひた隠しにしていました。
それが、あたかも私の最大の汚点、恥、失敗であり、おぞましい事と思っていましたから。
ほかの誰かに知られてはいけないし、それがほかの誰かに知られたらどうしよう…と不安な気持ちもしていました。恐怖におののいていました。ずっと、ずっと。
それなのに、なぜだか、吐き出したくなったのです。
はじめは、口で話して吐き出そうと思い、以前お世話になった傾聴カウンセリングを利用しようかと思い立ったのですが、なんとなく「文字」という感じがして、書くことで吐き出すことに決めました。
私の中でもう必要ないもの、終わったもの、古いものを今やっとここで手放せます。
ここまで書いただけで結構浄化されたような感じがします。ちょっとスッキリ(笑)。
私は短大で国文学を学びました。
高校2年生のころに、太宰治文学に目覚め、小説家になりたいと思ってしまったのです(笑)!! 私自身にとっても青天の霹靂でした!!!
先生に「どうしたら小説家になれるか?」と(結構本気で)質問してみると、「たくさん本を読みなさい」という答えがかえってきました。
それから、本を読み続けました。
本を読めば読むほどに、今度は、大学へ行って、文学を学びたいと思うようになりました。
進路を決める時期になり、何の迷いもなく大学進学、文学部を希望しました。
母は、渋々ながらも私の希望をきいてくれました。
父に大学に進学したいと話したところ、猛反対猛激怒されました。
「今まで勉強なんかしてなかったくせに、なにいってるんだ。働くとばかり思ってた」
「うちには、大学に行かせるお金はない」
「女なんだから、勉強はしなくていい、働けばいいんだ」
「女のくせに、大学なんか行くことない」
はじめから、賛成してもらえるとは思ってはいませんでした。何回も何回も話し合いをしましたが、返ってくる答えはいつもいつも「お金がない」「女のくせに」「女なんだから」「勉強は必要ない…。
母が少しでも私の肩を持つと、今度は母が父に責められ、その攻撃を見るのも辛いものがありました。
夕飯のときに、ご飯を食べながら、同じ会話同じ返答しかなくて、それが数か月続きました。砂を噛んでいるようなご飯、涙でしょっぱいご飯でちっともおいしくなかったです。
うちで話し合っては、その都度、担任の先生に報告しました。
担任の先生が親身に相談をきいてくださり、進路の提案をしてくれました。
その提案を父に話すと、決まり文句を浴びせられ、また次の日先生に報告相談。☆先生の提案→父の決まり文句、時々母が責めらる→先生に報告相談、☆繰り返し(笑)。
ちぎっては投げちぎっては投げ、結局、私が就職進学をするということで進路を決めました。
私は高校卒業後、就職と進学と二足の草鞋を履きました。
日中は短大へ通い、国文学を学び、夜は紡績工場で働きました。
この二年間は鉛のようでした。
渋々、嫌々、鉛を飲み込んでしまったけれど、私にとっては甚だ受け入れられない、認められない、許されないものでありました。
この状況を全力で拒否拒絶しました。
ギュッと目をつむって、一目散に闇雲に駆けぬけた二年間でした。
私が決めたことだけれど、やっぱり、心のどこかでは納得をしていなかったのです。
若さ、思い込み、被害妄想が相まって、自分自身で「恥」という殻に閉じこもりました。
それに、この私の状況を同情されるのがたまらなくイヤだったり、誰かに拒絶されるんじゃないかと(当時は本気で思っていました!)恐れたり、なにより、家族のこと、特に父親のことを話すのも、父親の存在を知られるのも(これも当時本気で怖かったです!)イヤでイヤで仕方なかったです。
この時はわからなかったけれど、今にして思えば、私の父親はちょっと男尊女卑でちょっとモラハラ気質のある人だったのです。
私が年を重ねるごとに、上述したように「女のくせに・女なんだから」、何かにつけて「お金がない」「何をやってもダメなんだ・うまくいくわけがない」「黙って言うことを聞いていればいいんだ」などと聞かされ続けてきました。それが、当然そうすべきという義務感で。
それから、めでたく、短大を卒業して、紡績工場を退社します。
新たに、短大卒として就職をするわけですが、その後の私の履歴書からは紡績工場の歴史は葬り去りました。その後に出会う人や友人たちにも、話すことを一切していません。これからも、敢えて私から話すことはないと思います(履歴書にも敢えて書かない!)。
ここまで書いてみたけれど、やっぱり、この二年間は私にとっては受け入れられない、認められない、許されないものであることは変わりありません。
その後も、父親との関係は悪くなるばかり、関わると決まって傷つくので、疎遠にしました。
それでも、ちょっと気づいたことは、この二年間とやっと向き合えそうかな~ということです。
これまでは、環境のせい、家族のせい、何か周りのせいと思っていました。でも、私以外の何かのせいにしないで、自分自身と向き合ってみようと思えました。
1ナノミクロンの前進! 10ミリリットルほど浄化したようで、うれしいです。
鉛の景色と経験に魔法をかけたいです。
一つだけ、確かに言えることは、
油まみれの作業帽を脱いで、作業服を脱いで好きなお洋服を着て、可愛い靴を履いて、一緒に好きなところへ出かけよう。
ということを、あの時の私に声かけてあげたい。
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