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高度経済成長期の後半(1960年以降)

 こんにちは。今回は、高度経済成長期の後半、すなわち、「オリンピック景気」以降について書いてみます。

1.オリンピック景気
 オリンピック景気とは、東京オリンピック開催に伴って東海道新幹線や高速道路等の社会経済活動基盤(インフラ)の整備と国立競技場などの競技施設等の建設に対する投資需要と、オリンピック観戦用のテレビに対する需要が活況を呈した時期です。期間は1962年11月から1964年10月までの24カ月であり、1963年の名目GNP成長率(実質GNP成長率)は15.4%(10.6%),1964年は17.9%(13.3%)でした。オリンピック開催に関する直接経費は270億円で、インフラ整備など間接経費は9610億円でした。日本の産業活動を支える生産年齢人口(15歳~64歳)、すなわち、労働力が増加しました。

2. 40年不況(証券不況)
 東京オリンピックの閉幕後の1964年後半から1965年かけて起きた不況です。サンウェーブ、日本特殊鋼や山陽特殊製鋼が倒産し、日本経済も低迷しました。景気対策として、利下げ等の金融緩和政策だけでは景気回復できずに、政府は1966年に補正予算で建設国債を発行しました。その前年の建設国債発行の閣議決定を受けて、証券市場が回復し始めました。

3. いざなぎ景気
 これまでの経済成長は輸出と民間設備投資が主導しました。これらに加えて、いざなぎ景気は、建設国債を原資とする公共事業費の増加、国際資本移動の自由化と大企業の合併で特徴づけられている大型景気です。期間は1965年11月から1970年7月までの57か月間であり、神武、岩戸景気を上回る好況期となったことから、さらに時代を遡り、国造り神話から「いざなぎ景気」と名づけました。大阪万博の開催期間中に、いざなぎ景気が終わりました。
 所得増加と世帯数増加を背景に、3C (自動車、カラーテレビ、クーラー)の耐久消費財の需要量が大幅に増えました。特に、カラーテレビについては、オリンピックのカラー放送をきっかけに普及しました。また、国際競争力強化を目的とした企業合併が相次ぎ、日産自動車とプリンス自動車、第一銀行と日本勧業銀行、日商と岩井産業、富士製鉄と八幡製鉄がそれぞれ合併しました。その結果、1966年から1970年までの平均経済成長率は11.8%を達成し、1968年のGNP世界ランキングで、日本は世界第2位になりました。

4. まとめ
 高度経済成長期は、単一為替レート(1ドル=360円)による輸出増加や生産年齢人口による生産量増加を図ることや、インフラの整備に対する民間設備投資と公共投資を通じて経済を成長させることが可能でした。
 しかし、現在は、高度経済成長期とは、企業を取り巻く環境が異なります。変動為替レート、生産年齢人口の減少、インフラの老朽化という状況下で、どのようにして持続可能な開発目標(SDGs)を達成するか、貢献するかについて考えていかなければなりません。
 2025年の日本国際博覧会(大阪・関西万博)が盛り上がりますように。

 画像は大阪駅前です(2010年12月18日撮影)。
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