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高度経済成長

 こんにちは。
    今回は高度経済成長と安藤百福について触れてみます。

1. 高度経済成長 
 高度経済成長期は、実質経済成長率が年平均10%以上の記録した1955年から1973年頃までの18年間のことです。朝鮮特需により日本経済が回復し、1956年の経済白書に「もはや「戦後」ではない」とまで書かれました。
 この期間に、神武景気(1950年~1953年)、岩戸景気(1958年~1961年)、オリンピック景気(1963年~1964年)、いざなぎ景気(1965年~1970年)と呼ばれる好況期がありました。経時的に消費、投資、財政が拡大するという好循環が生まれました。

2. 要因
 経済成長の背景には、生産設備の拡大、ドル高円安(1ドル360円)、政府の低金利政策や所得倍増計画、安い石油価格、質の高い豊富な労働力などがありました。
 国民所得倍増計画とは、1960年12月に池田勇人内閣が閣議決定した「10年で国民総生産を2倍にする」という長期経済計画です。このときは岩戸景気にあたり、経済が右肩上がりで成長しており、消費も旺盛になっていました。「3種の神器」と呼ばれるテレビ・洗濯機・冷蔵庫が一般家庭に普及しました。

3. インスタントラーメンの登場
 経済成長ともに、日本人のライフスタイルが大きく変化しました。都市部への出稼ぎ労働者、核家族や共働き世帯が増えました。ライフスタイルの変化と人々のニーズに呼応するような形で、1957年9月にダイエー1号店(「主婦の店・大栄薬局店」)が開店し、翌1958年8月にインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されました。お湯を注ぐだけで食べられるチキンラーメンは、仕事で忙しく、料理する時間がない勤労者にとって有り難いものです。
 日清食品創業者の安藤百福は、起業前の勤め先の信用組合が破綻してしまい、理事長の職を失い、財産は没収されました。この時、47歳でしたが、彼はこの事態を楽観はに捉えていたそうです。当時の名言は「失ったものは財産だけ。経験が血や肉となって身についた」でした。その後、彼は自宅庭に小屋を立て、そこでチキンラーメンの開発に勤しみます(上の画像は当時の小屋を再現したもので、下の画像は小屋の中です)。平均睡眠時間は1日4時間だったそうで、48歳の時、チキンラーメンができました。
 スーパーマーケットの登場でインスタントラーメンを大量販売することができるようになり、また、テレビの普及で、CM(コマーシャル)という広告媒体を活用することもできるような時代になりました。文明の利器を活かして「チキンラーメン」は大ヒット商品になりました。「5年間必死に働く意志と体力があれば、年齢に関係なく成功できる」という名言も残しています。

4.  まとめ
 1968年、日本のGNP国内総生産)はアメリカに次いで世界2位となりました。経済成長とともにインスタントラーメンが人気商品となりました。日清食品創業者の安藤百福は、信用組合の倒産などの困難に直面してもくじけず、それらを楽観的にとらえ、常に強いチャレンジ精神をもって、インスタントラーメンを開発しました。
 今は少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少、日本経済の長期停滞など、明るいニュースは少ないです。企業家は、起業から成長に至る過程で多くの困難に直面します。高度経済成長期と現在とでは、経済活動を取り巻く環境と国際社会情勢は大きく異なりますが、ビジネスに取り組むに当たっては、当時の経営者の熱意、経営哲学から学ぶことがが多いように思います。

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 今回の画像は、カップヌードルミュージアム大阪池田の展示物です(2011年9月撮影)。ゼミ生と外国籍の児童・生徒と一緒に訪問しました。
 ありがとうございました。

 



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