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追悼 りゅう君の命日

2020年7月17日、京都市北支援学校高等部に通っていたりゅう君が、
母親の無理心中の犠牲になって2年が経つ。

私がいつも自転車で通り過ぎるところに彼が住んでいたと知ったときは、驚いた。周辺には献花台もなかった。作れなかったようだ。
彼のことは、全く何も知らなかったけど、知人の話や新聞記事から予想できることがあった。
一年前の今頃、市教委や障害福祉課などに問い合わせた。何人かの人が進路相談のことで、母親とつながりがあったのに、「介護に疲れた」母親を止めることが出来なかったのだ。
事件を知らない人もいたし、連携は出来ていないなと感じた。
なんやろう?自分の仕事の範囲でしか関わらないのね。
 母親の結審に行ったけど、執行猶予3年求刑5年で、実刑にはならず、現在母親がどうしておられるのかわからない。(※1)
彼の死をめぐって、学校、市教委、市の福祉関係、障害児の進路先、地域の人、そこには私も入っているが、その連携やつながりに、なにか進展はあったのか?
明日以降、尋ねてみたいと思う。
 
知的障害のある男子高校生、力が強く、言葉で意志を表現できない人が、暴れたりすることはある。母子の孤立という言葉がすぐ浮かぶ。
どうしようもなかったのか?
でも、でも、子供は親の所有物ではない、と強く思うし、
親の責任って何?と思う。
家族、家庭だけで固まっていたら、どうしようもないし、
助けてと隣人友人見知らぬ人に気軽に叫べる社会であったなら、と思う。

京都地裁裁判長の結審の言葉から私が感じたのは、りゅう君の命が軽く扱われているのではないか?ということ。
介助が大変な人は殺されても仕方ないよね、そのようにも受け取れた。
母親の事にしか言及していなくて、京都市や学校関係、福祉行政全般の責任を問うコメントはなかった。
「母よ!殺すな」(※2)が世に出てから半世紀が過ぎる。青い芝の会の横塚晃一さんの著。当時、脳性マヒの我が子を手にかけた母親に対して社会から減刑嘆願運動が起こったことに対して、青い芝の会は”NO”を突き付けたのだ。

よくあることだと、片づけられてはならない。
りゅう君の人生を知っている人には、辛いだろうけど思い出を語ってほしい。
彼には何の罪もなかったんだ。
そして、こういうことの原因が、自分の周りにも小さく漂っていることを
感じていたい。
黙祷。

※1「重い知的障害の長男 殺害した母親に執行猶予つき判決 京都地裁」
  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211213/k10013386671000.html
※2「母よ!殺すな」横塚晃一著・生活書院
   
★ 写真は、先月、函館市の大船縄文遺跡を訪ねた時、胸に響いた足形付き土版。縄文時代初期、今から数千年前、亡くなった幼児の足形を粘土に残し、親が亡くなる時に一緒に埋葬したらしい。


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