私は基本的にあなたたち全員が大嫌いです


別に、記事の内容がどうとかそういうもんじゃありません。
これは私の在り方であり、生き方でもあり、唯一死なない方法でもあるのです。

当たり前じゃないか。オレだってこんなクソみたいな文章しか書けないけどいつかは書くことで生きていきたいと思っている。でも多くの人がオレより文章がうまい。教養がある。楽しい人生を送っている。

つまるところ、誰も彼もがライバル。

アマチュア小説に関していえばTwitterでの作家同士の馴れ合いはみっともないと思う。本当に長い付き合いで仲がいいならともかく、最近の相互レビューとかは大嫌いだ。同じような作品を、同じ様なものを書く奴同士で読み合って、傷を舐め合っているだけじゃないか。

なろうとか、アルファがらみのTwitter界隈はかなり治安が悪いと聞くがある意味、そうなって仕方のない側面がある。もちろん荒れりゃいいなんて思っちゃいない。そういう書き方や、作品を描く人間としてのあり方を嫌悪はすれど否定するつもりはない。やりたい人間がやればいい。そして、どんなものであれ人が一生懸命やっていることを茶化す権利は誰にもない。

しかし、だ。

なろう文化は脆いと思う。
脆さを、生命的な弱さを見せればすぐにハイエナや、ハゲワシや、シデムシが寄って来てしまう。

昔、須賀原洋行がそれはエノキダ!第二巻のあとがきに書いていたことが当たってしまっている。もう、20年以上前に書かれたものなのに。

https://amzn.asia/d/d2q2UP9

この人の主張は正直あまり好きじゃない。その時々で話がコロコロ変わるし、一定した目線からものを見ているとは思えない。周りの人から賢いと思われたい、というのが透けて見える。

じゃなぜ、この人の作品を読み続けているのか?主要作品は全て、電子書籍での形だが購入したのか?簡単だ。この人は家族と漫画文化、そして文学を心より愛しているからだ。

2000年前後、といえば私はまだ5歳くらいだ。そもそも日本にいなかったが……しかし、大学生の頃はたくさんの、この時代に描かれた漫画を読んだ。そして、須賀原洋行がなぜ現状を先取りできたのか、分かった。

急速に悪化していく日本の経済と、先人の失敗を見習った個人の幸福の獲得。この二つが合わさって、人々は自分が好きなものを世の中に広める、ということを全時代よりより一層、意識する様になった。

しかし、少しずつその意識そのものがマーケットリサーチの対象となっていった。

いつの間にか、小説で、漫画で生きていくということがマーケティングの対象そのものになったわけだ。

なろう文化は、その一種のピークではなかろうか。

もちろん、俺TUEEE!とすぐやらせてくれるデカ乳の美人キャラを書くだけでいいとは思わない。人と差をつけなければテンプレートはただのテンプレートで人の心は動かせやしないのはわかる。
ただ、なろう文化に対する不信感と不快感の源とは?

間違いなく、マーケティングとテンプレート化によるすり込みに対して多くの人が無抵抗に受け入れてしまっていること、ではないだろうか。

しかし、だ。
俺の考えそのものが正しいとは思えない。

楽しけりゃ、それでいい。
作品を書いて、色んな人と交流して。
コミュニケーションツールに小説を使うな、なんて口が裂けても言えやしない。
何も間違っていないのだから。

要するに、オレの現代カルチャーに対する嫌な感覚は、結局オレはどこへいっても仲間はずれ、というみっともない自己憐憫にすぎやしないのさ。

まあ、とは言えね。
嫌いなもんは嫌いなんで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?