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中学校PTA広報誌にて~あなたの1番好きな曲アンケート~

今でこそ、ミュージックステーションやCDTVはいつもチェックするし、YouTubeで音楽用の再生リストを作ったり、YOASOBIのコンサートに2回程参戦したり、Novelbrightのライブに足を運んでみたりと音楽鑑賞が趣味になっただけでなく、いよいよ音楽にお金をかけ始めるようになった自分は最近まで、まともに音楽鑑賞という娯楽に興味を持っていなかったように思っている。以前まで、幼少期に親の車の中で流れてくる曲や好きなTVで流れてくる曲、親が貸してくれたAPPLE iPod classicに入っていた曲の一部は今でも覚えているし、当時よく聴いていた。その中でも平井堅の「大きな古時計」、小田和正の「たしかなこと」は家族や親族の前で歌うことができるくらい好きだったらしい。だが成長して学年が上がっていくにつれ、自分は新しい音楽を聴き流し、興味を持たなくなっていった。興味を持たなくなっていったというよりは、興味を持とうとはしているんだけれども、そのような自分のまだ聴いたことのない未知世界へ足を踏み入れることに抵抗ができるような性格になっていったのが1番の原因で興味を持てなかったという言い方が正しいのかもしれない。自分が音楽に興味の無いことを決定づけるような過去がある。中学2年生の時にPTA学校広報誌で、「クラス毎で題材を決めて貰って、その題材に沿ってクラスメート1人1人が答えを記入して欲しい」という依頼が届いた。自分のクラスは「好きな曲もしくは好きな曲の歌詞とそのアーティスト名を1つ書こう‼︎」という題材に決まった。湘南乃風や当時“恋ダンス”で一世を風靡した星野源の恋など、みなしっかりと考えられた答えが広報誌に載っている。だが1人だけ浮いた答えを書いている奴がいる。ん、誰だこれ。え、自分だ。自分がその時記入していた好きな曲とは、「Let's search for Tomorrow」という曲。これは中学教材として歌われる、いわゆる合唱曲なのだった。「合唱曲だからこそ義務教育の子供にも伝わりやすく合唱コンクール等でクラスで団結したりして大勢の人前で歌う曲だからこそ思い出にも残って好きな曲にする人もいるのではなかろうか、良いことじゃないか」という考えの人もいるだろう。でも自分はこう考える。「確かに思い出には残るかもしれないがこれらは義務教育の中で通る曲だ。曲に罪は全くないけど、学校の合唱コンクールに参加するため、義務で歌わされている曲と捉える人も居るだろう。そういう義務で歌ってる曲が、義務ではなく好きなように、自由気ままに作られては歌いたいように歌われている無数の曲達を差し置いて堂々のチャンピオンに輝くって、自分はロボットなのか?奴隷なのか?ゆたぼんが嫌ってた奴らじゃん。」と今になって考えてしまう時があるのだ。勿論、レミオロメンの3月9日やYUIの「Fight」等、アーティストが手掛けた曲も合唱曲や卒業ソングに組み込まれていたりするという例もあるが、自分の場合は「この人が歌ってるから」とかはなく完全に「合宿コンクールの思い出」だけで好きな曲はこれだと決めてしまっている。当時は指揮者でもピアノの伴奏を担当していた訳でもなく、別に練習に力を入れていた訳でもないし、ましてや結果もうちのクラスは銅賞だったから苦い思い出が残ったのに、一体何を血迷ったら好きな曲は「合唱コンクールの合唱曲です‼︎」と堂々と言い張れるんだろうか。こうなってくると「良い思い出に残る1曲だったから」という理由が消える。好きな曲を合唱コンクールの曲にした理由がいよいよニ択に絞られる。それは「今までで聴いた曲の中で1番好きな曲だから」と「他に興味関心を持てる曲がありません」ということになる。前者は恐らく当時の自分でも「そうです」と頷く絵がイメージできない。何故なら昔聴いていた曲の方がよっぽど青春だったし。SuperflyのタマシイレボリューションやAKB48のフライングゲットや嵐のワイルドアットハートや少女時代のGee等が代表例だった。世代だった。今でもあの時代に戻りたい。かと言って他に興味関心が持てる曲がないという訳ではない。だったら過去の聴いてた曲を書けば良い訳だし。じゃあ結局なんであの合唱曲を書いたんだろうか。それは多分、自分優等生ですみたいな真面目アピールをしたかったからなのではなかろうか。あまりクラスの陽の男女に、自分の内面を知られたくなかったんだろう。だからあのような堅苦しいと思われるようなあの合唱コンクールの合唱曲を書いたんだと思う。中学校1年生で受けたイジりや指摘を感受性が強い自分は「いじめだ」と捉えていて悩んだ過去があるだけに、クラスで浮きたくない浮きたくないと思っていた自分だが、そういうことを空気読まずに書くから浮いたりからかいの対象として目をつけられるんだろ...!もっともじもじせず堂々と素を出していけば距離も近くなり仲良くなれたりそこから常識を知れたりするんだろ...!1人の世界にいつまでこの自分という人間は閉じ籠るつもりなんだ...!この時の自分はまだその事実に知る由もないんだな、そしてその事実を知った今でもそれを改善できずに居るという、そんな自分でしたとさ。なんでいつの間にか人間関係の話になってるんだろう。という訳で今回はこの辺で。

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