見出し画像

思い込みのパターン

いつかこうなったらいいなぁとか
誰かを見返してやりたいとか思って
頭の中でストーリーを妄想することがあるんだけど
あれ?なんかいつもこのパターンがあるぞ というのに気が付いた。

例えばAさんとお近づきになりたいときだったら
そのAさんよりもすごい(立場等有利な)Bさんと自分とが知り合いで
「あのBさんと知り合いなんですか?すごいな!」と言われるとか
仲たがいしたCさんを見返してやりたいんだったら
いつかCさんが敵わないくらいすごくなって
悔しい思いをさせてやりたいとか。

私は「すごいと思われる」ことにとても価値を置いてるんだな
というのと同時に
自分のことを無力で価値がないと思ってるんだな ということに気が付いた

だってさ、考えてみたら
Bさんと知り合いなんてすごいですね!が通じるのは最初の1回だけで
AさんとBさんが直接コンタクトを取るようになったら
私は別に必要じゃないじゃん?
仲人じゃあるまいし、その後一生
「あのときはありがとうございました!」って感謝をし続けろって
無理な話だよね。

誰かを見返すっていうのだって
仲たがいした誰かが、私がすごくなって悔しくなるか?
よほど狭い人間関係で、会いたくなくても関係が切れないとかなら
別だけど、嫌いになった人間のことそんなに興味持つか?
私だったら、自分と疎遠になった人が大金持ちになったからって
あの人との縁を切らなければよかったとか思わないし
なんとか仲直りしようとかも思わないけど。

自分で思ってる以上に、私は自分に価値がないと思ってるみたい
だから「外側にある何か(すごい人だったりすごい経歴)」で
自分を大きくしたいと思ってるんだなぁ。

ここのところ断捨離にはまって、いろいろモノを整理してるんだけど
もったいなくて使えない、としまい込んでいるモノの多さに
ちょっとビックリしてて。
それが何百万もする宝石とかならまだしも
欲しいと思って買ったものや、なんならもらった試供品とかも
何かの時のためにと溜め込んでいた。
それを目にした時に、モノより自分を下に置いてたんだな、とか
普段過ごしている日常より
いつかやってくるかどうかもわからない何かの特別な時のほうが
大事なような気がしていたんだな と気が付いた。

上の思考パターンは、その延長線上で
そういえば、、と気が付いたこと。
無意識にずっと自分を低くみていたと知って
今はちょっと悲しいような、ほっとしたような
言葉で表現するのはちょっと難しい感情に包まれている。
ただ、気が付けて良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?