夏目漱石「坊っちゃん」⑦「小供の頃から損ばかり」したままで終わる坊っちゃん

1、坊っちゃんの具体的損失


親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている
(「一」)

※著作権切れにより引用自由です。
改正前著作権法・死後50年経過(現著作権法では死後70年)。夏目漱石は大正5年(1916年)死去。享年49歳)

上記が「坊っちゃん」の冒頭の一文である。
この一文「損ばかりしている」が、話の結末も表している。
以下、坊っちゃんの損害を具体的に挙げる。

(1)収入減額

主人公の坊っちゃんは意外とお金に細かい性格で、作中でもよくこれが何円だったとか、宿屋に今でいうチップとして五円払ったのを出しすぎたと後悔している。
そして物語終盤、教頭である赤シャツを殴って教師を辞めたことにより、坊っちゃんの月給が、「四十円」から、転職後(鉄道技手)は、「二十五円」になったと、わざわざ金額を具体的に明示している。
割合で示すと、収入が以前の8分の5になった・減額割合は37.5%である。

しかも坊っちゃんは元々、四十円の給与も満足していない様子だった。
四国の学校に赴任した当初、校長先生(「狸」)から、教師としてのあるべき心構えを説かれた際にもこんな反発を抱いている。

そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。
(「二」)

こう思い、四国の学校に来てまだ授業もしていないうちから、いきなり教師を辞めて東京に帰ろうとしたほどである。

すぐにその四十円の仕事すらも1か月で辞め、四国と東京を往復し宿屋代や下宿代も支払った末に、「二十五円」の仕事に転職することになったのである。金銭的にはかなり「損」をしている。

また作中で狸(校長先生)も坊っちゃんに指摘した話だが、新卒の人間が1か月で最初の就職先を辞めたというのは経歴としても、悪い印象になるであろう。

(2)損失の伏線

冒頭の一文とは別の伏線が、話の序盤にある。

まだ坊っちゃんが東京にいた頃、坊っちゃんを異常に可愛がっていたお手伝いのお婆さん「清(きよ)」が、坊っちゃんは将来
立派な玄関のある家をこしらえるに相違ない
(「一」)
と語っている。

しかし上記のように坊っちゃんは月給「二十五円」となり、終盤には清と二人で暮らすのだが、その住宅は玄関付きではないことが示されている。

家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の二月肺炎に罹って(かかって)死んでしまった。
(「十一」)

このように「伏線の回収」と清の死が、一気にひとまとめに語られている。

しかも、ここでも「家賃は六円だ」とわざわざ金額が明示されている。
これに対して悪役である教頭の赤シャツは四国で、家賃「九円五十銭」の家を借りて住んでいる。これもわざわざ金額が明示されている(「八」)。
四国と東京との物価差も考えれば、悪役よりもかなり低廉な住居での生活になってしまったと思われる。

これらのように、冒頭の「損ばかりしている」との言葉が、色々な金額をわざわざ明示することにより、終盤で具現化されている。

2、最大の損失

そして坊っちゃんにとっての最大の損失は、清の死であろう。
既にふれたように坊っちゃんには、恋人も恋人候補になりそうな異性の知り合いも一人もいない。さらには親友もおらず唯一の肉親である兄とも不仲で「新橋の停車場で分かれたぎり兄にはその後一遍も逢わない」(一)関係。教師としても生徒らとも不仲、同僚の「山嵐」とも「(新橋で)山嵐とはすぐ分かれたぎり今日まで逢う機会がない」(十一)程度の付き合いである。

そんな坊っちゃんに、「清」は唯一仲良くしてくれており、むしろ異常なまでの愛情を注いでいる。坊っちゃん自身の回想ですら

母が死んでから清は愈(いよいよ)おれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃(よ)せばいいのにと思った。気の毒だと思った。
(一)
と言われてるほどに。

しかしその清も、終盤亡くなっている。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている
この冒頭ではじまった「坊っちゃん」は、「損」の最大の具体例を示したのか、下記の一文で終わる。

だから清の墓は小日向の養源寺にある。
(十一)


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