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夏目漱石「行人」考察(55) さすがに我も平家なり



散々勝手な推察を重ねてきた、「行人」における「女景清」の話。

前回に引き続き、新たに思いついた点について考察したい。


1、さすがに我も平家なり


この「女景清」のエピソードは、長野父を訪ねて来た客2人と長野父とが、「景清」の「謡」(能で舞をやらず台詞の読み上げだけをする)をすることから始まる。

1(1)面白がる一郎

これについて主人公の兄:長野一郎がやや不思議な感想を述べる。

 やがて景清の戦物語も済んで一番の謡も滞りなく結末まで来た。自分はその成蹟を何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言にも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。
 兄は元来正直な男で、かつ己の教育上嘘を吐かないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応がなかった

(「帰ってから」十二)

ここで一郎が「正直に」、「さすがに我も平家なり」を大変面白いと思ったというのはどういうことか。また客の前で謡の技術にはふれずに台詞の巧拙のみをあえてふれたのは何故か。
「行人」中にそれは全くふれられていない。


1(2)「さすがに我も平家なり」の意味


ここで「さすがに我も平家なり」との台詞の意味であるが、私はこれを「落ちぶれたとはいえ私は以前は平家の名のある武将だったのだ」との矜持・プライドを示したものだと勝手に思っていた。

実際そういう解釈もあるようだが、どうも違う。むしろ逆であるようだ。
「(昔は武将として戦場で暴れ回ったが)それがいまとなっては、私は平家物語を読み上げる者になってしまったのだ」
この意味らしい。

ここで「さすがに」とは無理に現代語に合わせれば、「さすが元・平家の武将だ」ではなく、「昔は武将であったが、さすがに今は零落してしまった」との、対比・落差を強調する言葉らしい。
また「我も平家なり」とは「平家の武将だ」と誇っているのではなく、「平家物語を語って生活する者」との意味らしい。

さすがに我も平家なり
物語始めて御慰みを申さん

(「景清」)

これの現代訳
「(かつて私は屋島合戦で海沿いを暴れ回った武将であった。)しかし今となっては、その物語を語る法師である。平家物語をあなたに聞かせてお心を安めよう」

1(3)自身を景清に重ねた


では、長野一郎はこのフレーズのなにがそんなに面白かったのか。

皮肉であろうか。かつての猛将が落ちぶれてしまった落差を、目の前の長野父の勢力の低下や、その低下した長野父の元に通って謡などで遊んでいる客たちも「貴族院議員と監査役」としてはもう衰退した身であろうよ、と。
しかしいくらなんでもそれを真正面から客人に向かって言うほど、一郎もおかしくはないだろう。

これは、一郎が自分自身に零落を感じていたので、その台詞が印象に残ったのではないだろうか。

小さい頃から長男として、「最上の権力を塗り付けるようにして育て上」げられ(「兄」二)、「餓鬼大将」(「帰ってから」二十五)として年の離れた弟(二郎)を従え、見事に「貴方位学問をすれば何処へ出たって引けを取」らない(「帰ってから」三十三)と言われるほど学問を納め、おそらく若くして大学教員の地位に就くという、かなりの成功を収めている。
一郎自身も「おれはこれでも御前(二郎)より学問も余計したつもりだ。見識も普通の人間より持っているとばかり今日まで考えていた。」(「兄」十九)としていた。

それがしかし、妻(直)との関係で精神を病み、弟に妻と一緒に泊まれと要求し、その結果余計に弟から軽んじられた。妻は両親や妹らの前でも堂々と自分への不仲・対立を見せつけて来るが、それになんの対応もできないままである。パオロとフランチェスカだ霊だ魂だスピリットだと大げさに語りながら、妻がたまに愛想よくしてくれればそれですぐ篭絡するー
一郎はそんな自身の姿を、かつての若い頃の理想とはかけ離れてしまった「零落」と感じていたのではないか。
そのため、猛将から落ちぶれてしまった景清の台詞に共感できたと。
また盲目となった景清に、自身の不眠をはじめとする精神の病を重ねていたのではないか。

1(4)直と二郎に聞かせた

そしてもう一つ、そんな景清の零落に自分を重ねてしまうのだよとの言葉を、すぐ隣にいる直と、二郎とに聞かせたのではないか。

直と二郎に聞かせる目的だから、謡の技ではなく文章の巧拙の話で、客への御世辞にはならなくなってしまう。しかしそれを百も承知で、一郎は言わずにはいられなかった。


2、女の指折り


話は変わるが、この「女景清」についてたまに勘定されているので、私も数えてみたい。

2(1)勘定

まず既に何度も引用しているが、参考になる箇所の抜粋

ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端はずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」(略)
 何しろ事はその人の二十前後に起ったので、(略)
男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近頃まで女とは何らの交渉もなく打過ぎた。
(略)
彼がまた昔その女と別れる時余計な事を饒舌っているんです。僕は少し学問するつもりだから三十五六にならなければ妻帯しない。でやむをえずこの間の約束は取消にして貰うんだってね。ところが奴学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心の方から云っちゃあまり心持はよくないのだろう。
(略)
 女は父の返事には耳も借さずに、「定めてお立派な奥さんをお貰いになったでございましょうね」とおとなしやかに聞いた。
「ええもう子供が四人あります」
一番お上のはいくつにお成りで」
「さようさもう十二三にも成りましょうか
。可愛いらしい女の子ですよ」
 女は黙ったなりしきりに指を折って何か勘定し始めた。その指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。
 女はしばらく間をおいて、ただ「結構でございます」と一口云って後は淋しく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。

(「帰ってから」十三~十七)

ちなみにどこかで「目が見えないのに指を折って勘定するのだろうか」との疑問を見掛けたので、自分で目を閉じて指で足し算を勘定して見た。実際、指で数えたほうがやりやすかった。視覚で見えなくとも、自分の指を曲げている感覚で8か9かがわかるのである。
自分がやったから言うが、ここで目を閉じて指で勘定できるかを試そうとしなかった人間はまだ漱石作品に立ち向かう気合が足りない。

勘定に戻すが、仮にその男の発言とおりだとしてみる。

まず前提として、長野父が盲目の女と会ったのは「ついこの間の事」・「つい近頃まで」(は接触なし)とあるので、物語進行中の現在時点とする。

また計算しやすいように、「二十五六年前」は25年前、「三十五六にならなければー」は35歳にならなければ、とする。

すると
・25年前に20歳、
・「35歳にならないと結婚しない」ので、その男が35歳になるのは25年前から15年経過後、つまり現時点から10年前、となる。

よって、男の発言とおりであれば、「子は大きくても10年前に生まれた」となる。


2(2)私の解釈

この点、計算しやすくしたように1~2年の誤差もあり、「10年前」と、一番上の子が「十二三にもなりましょうか」は、そこまでずれていないと思っている。

特にこの時代(大正元年(1912年)連載開始)は、「数え年」である。
数え年とは現在の年齢の勘定とは異なり、生まれたその瞬間に「1歳」となり、その後は誕生日に関係なく、年が明けて1月1日になれば、みんな一斉に年を取る方式である。よって、前の年の12月末頃に生まれた子は、生後数日で「2歳」となるわけである。現代の感覚からすると2歳も上となる。

すると「10年前」に生まれた子が年齢は12歳ということも十分あり得る。

さらに男の「学問をするから35歳にならないと結婚しない」は、そこまで厳密に条件を決めたものでもないであろう。別に32、33歳でそれなりに学問で実績積めたので結婚しました、となっても嘘ではない。


ちなみにこの「昔は年が明けて1月1日になるとみんな年を取っていた」ということを知っておかないと、あの「一休さん」が1月1日に詠んだこの歌の意味が、半分わかっていないことになる。だから一休さん世代は覚えておこう

 門松や 冥土の旅の 一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし 

(一休)


3、長野父があせった理由


上記のように、明白な不整合まではないとすると、逆に疑問が生じる。
何故長野父は「腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った」としているのか。

私の勘定では特に不整合はない。また述べたようにそもそも「学問をするから35歳にならないと結婚しない」は厳密な期限ではなかろう。仮に多少の不整合があったとしても、「もう取り返しがつかない」と、まるで和歌山で直と一泊して帰ってからの一郎との会話を、いま振り返る二郎のような感想となるのはちと大袈裟だ。

それを推察してみる。
まず私の勝手な推察では、この「女景清」の話は以下の改変である。

長野母(綱)と関係を持った男が昔におり、それが一郎の実父である。その男と綱が最近偶然どこかで再会し、男は目ではなく精神を病んでいた。それを受けて元々事情をすべて聞いていた長野父が、一度話に行ったもの、これを大幅に脚色した、そう考えている。

もしかしたらその男に対し、一郎という息子がいることは秘密であったのではないか。
男が捨てられたときに綱はその男の子供を妊娠していたが、それを秘密にしていた。そのまま年月は過ぎていたが、長野父が男と話をしに行った際、現在の綱や子どもの話題になり、ついうっかり、長男の存在とその年齢とを話してしまったと。男もそれで「指を折って勘定しはじめ」て、自分と別れた直後に生まれた子がいるのだと、はじめて知ってしまったと。

むろんこれは推察に推察を重ねまくった話である。しかしこう考えないと、説明がつかないのではないか。

盲目の女(=私の推察では一郎の実父)は、「ただ「結構でございます」と一口云って後は淋しく笑った」ということである。
これは、「あの時ので出来た俺の子どもがいたのか、、」との思いであったのではないだろうか。






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