夏目漱石「行人」考察(37)直は「いとしこいし」である



大正元年(1912年)連載の夏目漱石の小説「行人」。
主人公:長野二郎の嫂(兄嫁)である「直」は、二郎に対して誘惑まがいの言動を繰り返している。

1、直の誘惑(まがい)

1(1)愛嬌

まず、和歌山で二人で出掛ける場面

「じゃ僕等も徐々出掛けましょうかね」と嫂を顧みた時、自分は実際好い心持ではなかった。
「どうです出掛ける勇気がありますか」と聞いた。
「あなたは」と向も聞いた。
「僕はあります」
貴方にあれば、妾にだってあるわ
 自分は立って着物を着換え始めた。
 嫂は上着を引掛けて呉れながら、「貴方何だか今日は勇気がないようね」と調戯半分に云った。自分は全く勇気がなかった。

(「兄」二十七)

この時点で互いに共犯関係を確認するかのような会話をしている。

そして移動し、和歌山の料理屋(風呂があり浴衣の用意もある。ついでに古い梅もある)における二人の会話

「じゃすぐ帰りましょう」
 嫂はこう云って、すぐ立ち上った。その様子には一種の決断があらわれていた。
(略)
「あなたも妙な方ね。帰るというからその積で仕度をすれば、又坐ってしまって」
「仕度って程の仕度もしないじゃありませんか。只立った限でさあ」
 自分がこう云った時、嫂はにっこりと笑った。そうして故意と己れの袖や裾のあたりを成程といったような又意外だと驚いたような眼付で見廻した。それから微笑を含んでその様子を見ていた自分の前に再びぺたりと坐った
(略)
「用があるなら早く仰ゃいな」と彼女は催促した。
「催促されたって一寸云える事じゃありません」
 自分は実際彼女から促された時、何と切り出して好いか分らなかった。すると彼女はにやにやと笑った。
「貴方取って幾何なの

(「兄」三十)

この女性が少し前の章では、「持って生まれた天然の愛嬌はない」(二郎)、「一体直は愛嬌のある質じゃないが」(綱)と評されていたのである(「兄」十四)。
ここだけ見ればむしろ十二分に愛嬌を振りまき、からかいも見せている。


1(2)「二郎さん」の前で涙を拭わない

上に続く会話

「姉さんは幾何でしたっけね」と自分は遂に即かぬ事を聞き出した。
これでもまだ若いのよ。貴方より余っ程下の積ですわ
(略)
「妾そんなに兄さんに不親切に見えて。これでも出来るだけの事は兄さんに為て上げてる積よ。兄さんばかりじゃないわ。貴方にだってそうでしょう。ねえ二郎さん
(略)
「だってそりゃ無理よ二郎さん。妾馬鹿で気がつかないから、みんなから冷淡と思われているかも知れないけれど、これで全く出来るだけの事を兄さんに対してしている気なんですもの。――妾ゃ本当に腑抜なのよ。ことに近頃は魂の抜殻になっちまったんだから
(略)
「宜御座んす。もう伺わないでも」と云った嫂は、その言葉の終らないうちに涙をぽろぽろと落した
「妾のような魂の抜殻はさぞ兄さんには御気に入らないでしょう。然し私はこれで満足です。これで沢山です。兄さんについて今まで何の不足を誰にも云った事はない積です。その位の事は二郎さんも大抵見ていて解りそうなもんだのに……」
 泣きながら云う嫂の言葉は途切れ途切れにしか聞こえなかった。

(「兄」三十一)

直はこの前までは二郎をほとんど「貴方」と呼んでいたのだが、ここにきて「二郎さん」呼びが急に3回も出て来る。

そして直前まで二郎を上から目線でからかっていたところを、涙をぽろぽろこぼしだすというギャップも見せつける。

さらに言えば、「涙をぽろぽろと落した」との表現は、直があえて涙を拭うことをせず、自身の涙が落ちる様を二郎に見せていることを示している。

1(3)直と「いとしこいし」

この後には涙を拭った描写がある。

「二郎さんに何もそんな事を伺わないでも兄さんの性質位妾だって承知している積です。妻ですもの」
 嫂はこう云って又しゃくり上げた。自分は益可哀そうになった。見ると彼女の眼を拭っていた小形の手帛が、皺だらけになって濡れていた
(略)
「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、又嫌なんですか」
 自分はこう云ってしまった後で、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いて遣れない代りに自然口の方から出たのだと気がついた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔を覗くように見た
二郎さん
「ええ」
 この簡単な答は、恰も磁石に吸われた鉄の屑のように、自分の口から少しの抵抗もなく、何等の自覚もなく釣り出された。
貴方何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの

(「兄」三十二)

直は、まず「涙をぽろぽろと落」す様子を二郎に見せつけておき、その後で手帛(ハンカチ)で拭ったということか。
さっきまで上から目線でからかっていたのを、急にしゃくり上げて泣く様子を見せているのである。

話は飛ぶが、大昔の兄弟漫才コンビに「夢路いとし・喜味こいし」という芸人がいる。通称は「いとしこいし」で、ナインティナインのラジオ番組では「いとこい師匠」としてネタにされていた。

十五年~二十年ぐらい前、この漫才コンビの弟である「こいし」が、NHKの生放送に出演していた。無論老人になっている。
その番組で知ったのだが兄の「いとし」が亡くなっており、しばらく二人の往年の漫才のVTRが流れた。それが終わって生放送のスタジオに画面が切り替わった際、どこかを正面から見つめているような「こいし」の目尻から太い筋の涙が流れていた。こいしは微動だにせず涙だけが頬をつたっていた。スタジオは静まりかえっていた。
数秒間ほどその顔をカメラがアップでとらえた後、「こいし」は涙をぬぐって「自分の漫才見て泣いたら世話ないな」とつぶやいた。

夏目漱石「行人」の直から、これを思い出した。
「こいし」は嘘泣きではなく本当に泣いていたのだと思う。だが同時に、あえて涙を拭うことはせず、VTRから切り替わった生放送のカメラが自身の顔をとらえ、涙が流れている映像をアップでしっかり映したであろうタイミングを見計らって、その後にはじめて涙を拭ったのである。これがTVのプロなんだと思った。

この話を書く際に検索してみたが、既に13年も前に「こいし」も亡くなっていた(2011年没)。


1(4)ハンカチと涙の間に

話を「行人」に戻す。

「涙をぽろぽろ落とし」「しゃくりあげて」いた直が、急に「二郎さん」とおそらく語気強めに呼んできたと。
そして二郎は「恰も磁石に吸われた鉄の屑のように釣り出された」と。直に完全にコントロールされている。
(いやこれは二郎が「自分は嫂に完全にコントロールされていたのである」とわざわざ文学的表現を用いてアピールしてるのか?)

しかし「手帛(ハンカチ)と涙の間から、自分の顔を覗くように見た」とはよくわからない表現だ。「目を拭うハンカチの横から覗くようにー」であればわかる。しかしハンカチと涙との間に目があるとは、どういった状況か。

【目 - 涙 - ハンカチ】 この位置関係であればわかる。しかし
【ハンカチ - 目 -涙】と書いているのだ。

え? 涙のないところを直はハンカチで拭っているということ?

あるいはこの時もまだ直は、涙を拭いつつも二郎に涙を見せつけることを続けていたということか。

そして「二郎さん」と短く呼びかけた後、「貴方」呼びに戻る。
さらに「妾が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」と、直は話を恋愛方面に移す。それまでは世間話や夫婦関係話だったところを変動させたのだ。


1(5)記憶の共有を確認

そして直は、一言から連想される記憶が二人にあることを確認させる。

「そう腑抜をことさらに振り舞わされちゃ困るね。誰も宅のものでそんな悪口を云うものは一人もないんですから」
「云わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々は他から親切だって賞められる事もあってよ。そう馬鹿にしたものでもないわ」
 自分はかつて大きなクッションに蜻蛉だの草花だのをいろいろの糸で、嫂に縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。
あれ、まだ有るでしょう綺麗ね」と彼女が云った。
ええ。大事にして持っています」と自分は答えた。自分は事実だからこう答えざるを得なかった。

(「兄」三十二)

ここで直は、「他から親切だって賞められ」たと言うことによって、下記の展開となることを確信している。
①「親切」と褒めたのは二郎、②それは直がクッションに縫い付けをしてあげたこと、③それを二郎が大事に持ってる事、④「親切だってほめられたあれ」これだけで二郎は①から③を想起して話が通じること

「共有した楽しい記憶がありそれは一言二言だけで通じる関係性の二人である」このことを、直が二郎に確認させているのである。


2、直の誘惑まとめ(料理屋)


以上見て来たように、直は二郎に対し

①愛嬌のあるからかい、「二郎さん」呼び多用
②涙をぽろぽろこぼす(拭わずに)、しゃくりあげる
③急に語気強めに「二郎さん」
④「他に好いてる男でもー」と恋愛めいた話
⑤共有の記憶を一言で想起し合える関係性であることを確認させる

こういった二十面相めいた様々な感情を見せることにより、二郎を完全に翻弄している。

しかし何度も指摘するが、「三四郎」の里見美禰子と同様に、どれだけ誘惑めいた言動を繰り返しても、直接好意を伝えたり直接の性的接触は、全く一回もみせないのである。

料理屋だけでだいぶ時間を潰してしまった。「誘惑の直」の考察続ける予定です。


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