夏目漱石「坊っちゃん」② 堂々と金で男を選ぶヒロイン

1 あらすじ

「坊っちゃん」のあらすじを示しておく

明治39年(1906年)発表。
東京で生まれ育った20代前半の主人公男性「坊っちゃん」。
子どもの頃に母は病死、その数年後に父も病死。唯一の肉親は兄だが、あまり仲は良くない。
ただ、家のお手伝いのお婆さんであった「清(きよ)」だけは主人公を非常に可愛がってくれた。タイトル「坊っちゃん」も清が主人公を呼ぶ際の呼び名。
父の死後、兄は仕事で九州に移り、清も親族の家に移ることになる。
主人公は父の遺産を学費に充てて東京の「物理学校」を卒業したが、卒業後も特に就職のあてや希望はなく、物理学校の校長の勧めで四国の中学校(旧制・5年制)に数学教師として就職することに。
四国に赴任した坊っちゃんは、教頭の「赤シャツ」や、同僚教師の「山嵐」・「うらなり」らと出会う(これらのあだ名は坊っちゃんが勝手につけたもの)。また教師達の話で「マドンナ」と呼ばれる女性のことも耳にする。坊っちゃんは、同僚や教頭とあまり仲良くする気はなさそうだが、四国での教師生活はどうなるかー

こういった話である。

2 堂々と金で男を選ぶヒロイン「マドンナ」

(1)他にいないヒロイン「マドンナ」

「坊っちゃん」の特徴は、ヒロイン「マドンナ」が、堂々と金で男を選ぶ女性ということである。
これがたとえば松嶋菜々子主演の某TVドラマであれば、最初は金で男を選んでいたヒロインが、すったもんだの末に最終回では愛を選ぶー という展開である。
しかし、「坊っちゃん」は違う。

>「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
>「厄介だね。渾名(あだな)の付いてる女にゃ昔から碌なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ」
>「ほん当にそうじゃなもし。(略)」
(「七」)

これは坊っちゃんが下宿しているお婆さんと坊っちゃんとの会話である。
マドンナは、自分の積極的意志で、物語中の一番の悪役である男(赤シャツ=坊っちゃんらが務めている中学の教頭)とくっついている。かつそれが終盤でひっくり返されることもない。

なおマドンナは決して、お金や権力に逆らえずやむを得ず赤シャツを選んだー、というわけではない。自分の意志で悪役の男をすすんで選んでいる。婚約者を振ってまでも。

コントや喜劇での最後のオチならまだしも、真面目な物語のヒロインが悪役の男を積極的に選んで終わる物語は滅多にないと思われる。少なくとも私は「坊っちゃん」のマドンナしか思いつかない。

しかもマドンナには、「うらなり」と呼ばれる婚約者(坊っちゃんや赤シャツらと同じ中学の英語教師)がいるのだが、うらなりを事実上ふった形で、赤シャツと仲良くしている。
なお赤シャツは中学の教頭だがそれほど年長でもなさそうな独身者で、赤シャツの弟もまだ学生である。おそらくは赤シャツが帝国大学(※現在の東京大学)卒業ということで、若くして教頭に就いている設定であろう。
(※ 明治時代から昭和22年まで、東京大学は「帝国大学」「東京帝国大学」との名称でした。通称「帝大」)

さらに赤シャツはうらなりとマドンナの仲を割くために、うらなりを四国から、宮崎県の延岡市に強引に転任させている。
ここだけを見れば無理やり引き裂かれた感じだが、転任を嫌がっているのはうらなり側だけで、マドンナの側はそれを嫌がる様子は全くない。マドンナは普通に赤シャツと仲良く交際しており、これも下宿のお婆さんが坊っちゃんに向けて語る。

  「赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さん(マドンナ)もお嬢さんじゃてて、みんなが悪く云いますのよ」(「七」)

(2)マドンナが悪役の男(赤シャツ)を選んだ理由

マドンナがうらなりを捨てて赤シャツを選んだ理由だが、ずばり言えば「お金」である。
マドンナとの婚約後にうらなりの父親が死去し、それから人に騙される等があってうらなりは金銭的に苦しくなった。そこへ、いわば東大卒のエリートで若くして教頭に就き、収入も高いであろう赤シャツが言い寄って来たので、マドンナはあっさり乗り換えた。
そう先の下宿のお婆さんは語っている。これ以外にはマドンナが赤シャツに乗り換えた理由は作中で触れられていない。

もし、これが現実の話であれば、程度はともかく女性が男性を肩書収入で選別すること自体はよくある話だ。
昨今の「婚活」市場では男性は一定以上の収入がなければそもそも参入できないし、またかつては男性に要求される条件として「三高」とも言われた(高学歴・高収入・高身長)。
(なお私個人の結婚観では、相手を肩書収入で選ぶことはあり得ないです。結婚後に相手がもし事故や病気で以前ほどには働けなくなったら、見捨てて離婚するのでしょうか。私は、相手が万が一寝たきりになってしまっても、死ぬまで自分が面倒をみようと思えたから結婚しました)

しかし繰り返すが、真面目な物語のヒロインが「カネで男を選ぶ」状態のまま、物語が終わるという例は「坊っちゃん」のマドンナぐらいである。

夏目漱石は一体どんな思いで、こんな話・こんなヒロインを描いたのか
これについて語っていきたい。

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