夏目漱石「行人」考察(11) お兼とは何者なのか?A


「行人」序盤で、岡田の妻として登場する女性:お兼。
お兼について語り手である二郎は、なかなか強烈な表現をする。

 ―― お兼さんは岡田に向かって、「あなたこの間から独で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえ貴方」と詫まるように附加えた。自分はお兼さんの愛嬌のうちに、何処となく黒人(※くろうと)らしい媚を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知らぬ風をして岡田に話し掛けた。――

(「兄」一)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

(ここで気になったが「玄人」は元々「黒人」、「素人」は元々「白人」だったらしい。)

愛嬌のうちに黒人らしい媚」を漂わせて「ねえ貴方」と声を掛けられたと。おお。ぜひ言われてみたい。
そう感じたのでこの「玄人」(以下「玄人」)の一言が強く印象に残っている。

しかし、友人の妻で昔からの知人でもある女性について、「玄人らしい媚」と表現する二郎もなかなかである。お兼本人や岡田が読んだらどう思うだろうか。それとも読ませるつもりで書いたのだろうか。

少なくとも二郎の主観では、確かにお兼は妙に色気をふりまくようなそぶりをしている。

・―― 「二三日前からもう御出だろうと思って、心持に御待申しておりました」などと云って、眼の縁に愛嬌を漂わせる所などは、自分の妹よりも品の良いばかりでなく、様子も幾分か立優って見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行っても然るべきだという気になった。
(「友達」三)
・―― 人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今二郎さんが御前の事を大変賞めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「貴方があんまり悪口を仰しゃるからでしょう」と夫に答えて、眼では自分の方を見て微笑した。
(「友達」三)

眼では自分の方を見て微笑した。」うむ。実際なのか二郎の思い込みか。

・―― お兼さんは薄化粧をして二人のお酌をした。時々は団扇を持って自分を扇いで呉れた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉の匂を微かに感じた。そうしてそれが麦酒や山葵の香よりも人間らしい好い匂の様に思われた。
(「友達」四)

これは二郎が勝手に匂いをかいでいるのか、それともお兼が二郎にかがせているのか。

・―― お兼さんは玄関で自分の洋傘を取って、自分に手渡しして呉た。それから只一口「お早く」と云った。
(略)
―― 休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上って来た。自分は驚いて脱いだ肌を入れた。昨日廂に束ねてあったお兼さんの髪は、何時の間にか大きな丸髷に変っていた。そうして桃色の手絡が髷の間から覗いていた。

(「友達」五)
ちなみにこれは昼間とはいえ、岡田の家で夫の不在時の様子である(下女はいた?)。
「お早く」と言われて外出から戻ると、髪型や髪飾り(「手絡」)を変えていたと。そして二人きりで話すると。うん。

「もう一日二日は宜しいじゃ御座いませんか」とお兼さんは愛嬌に云って呉れた。自分が鞄の中へ浴衣や三尺帯を詰めに二階へ上り掛ける下から、「是非そうなさいましよ」と追掛けるように留めた。

(「友達」十二)
二郎が移ろうとするとわかりやすく引き止めてくれたと。ちなみにこれも昼間とはいえ家に岡田が不在の際のやり取りである。

―― お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳け出して来て、「この御暑いのに能くまあ」と驚いて呉れた。そうして「さあどうぞ」を二三返繰返したが、――

(「友達」二十九)
これは二郎が金を借りに来た場面だが、この時も「馳け出して来て」くれて、「驚いて呉れ」て、優しく対応してくれたと。二郎の思い込みでなかったらこういった細かい動作でちゃんと反応してくれるのが嬉しいんだよね。先に引用した引き止めもそう。一郎なんて暴力ふるっても直に無反応決め込まれたのに。

・・・・ 夏目漱石が恋愛シミュレーションゲームの脚本作ったらいいのができそうだ・・・ いかん発想が

これらの様子を見ると確かに「玄人らしい媚」を感じる。お兼が意図したのかはわからないが少なくとも二郎は感じている。

しかし、お兼と二郎の間にはなにか起きることもなく、お兼は「帰ってから」・一で長野家を見送りに来て「行人」から退場する。
「帰ってから」三十五・三十六で、お貞の結婚式に岡田のみでお兼がついてこなかったことがふれられるのみである(これもちょっとよくわからない描写だが)。

(次項に続きます。)

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