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夏目漱石「行人」考察(17)一郎は直が誰かに「惚れて」いてほしかった

1、ひたすら大袈裟なポエムを語り続ける一郎


何度か、「行人」における一郎の二郎に対する、「メレジスという人のー」「パオロとフランチェスカのー」との問い掛けが、明らかにずれたものであることをふれてきた。

しかし、ではなぜそんなずれた問い掛けを一郎は弟相手に繰り返しているのか?

私の思う答えは、「自分が直に、『単に好かれていないだけ』という事実を、認めたくなかった」
これだと。

「直は御前に惚てるんじゃないか」

(「兄」十八)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

これは一郎は、直が実際に二郎に惚れていると疑っていたのではない。
一郎は、直が二郎もしくは他の誰かに「惚れてる」レベルの好意を抱いている、そう思いたかったのである。

何故ならそうでなければ、直の自分に対する冷たい態度が、理解できないからだ。
何故ならそうでなければ、直の自分に対する冷たい態度が、「単にあなたを少しも好きじゃないだけ」ということになってしまうからだ。

再度引用するが、一郎は「パオロとフランチェスカ」の話で異様に不倫関係を美化したように語る。

「二郎、何故肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか。」
 自分は仕方がないから「矢っ張り三勝半七みたようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事に一寸驚いたようであったが、「己はこう解釈する」と仕舞に云い出した。
「己はこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺激するように残るのではなかろうか。
(略)
(「帰ってから」二十七)

この異様な美化は不倫された夫の立場ではなく、まるで不倫している側が自己陶酔しているようだ。

さらに一郎の過剰な表現は続く。

「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ・・・・・・」
 自分は何とも云わなかった。
「ところが己は一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ。」
 自分はそれでも返事をしなかった。
(略)
「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとする積だろう」と彼は最後に云った。

(「帰ってから」二十八)

どうだろう。仮に二郎と直が不倫していたとしても、「現在も未来も永久に勝利者」、「己は永久の敗北者」はいくら文学でも誇張表現ではないか。「坊っちゃん」で、うらなりとの婚約を破棄させてマドンナと仲良くなってる赤シャツや、あっさり婚約者を見捨てたマドンナは「永久の勝利者」になるのだろうか。一郎もどこかの人妻(お兼や結婚後のお貞とか)と不倫すれば「永久の勝利者」になるのだろうか。たぶんならない。

一郎は、そういった大袈裟な表現が似合うような状況に自分がいると思いたい、思い込みたいのだ。

一郎の度重なる過剰な表現は、よく読めばすべて、二郎によってあっさり却下されている。

「メレジスって男は生涯独身で暮したんですかね」(「兄」二十)
「矢っ張り三勝半七みたようなものでしょう」(「帰ってから」二十七)
それ程疑ぐるなら一層嫂を離別したら、晴々して好かろうにと考えたりした。(「帰ってから」二十八)

2、単に好かれていないだけ

「行人」序盤「友達」において、大阪で入院中の三沢と二郎は、別室に入院している「あの女」と、その担当である「美しい看護婦」をめぐって小さな争いをしている。

 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢も又、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけが段々彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。其処に自分達の心付かない暗闘があった。其処に持って生まれた人間の我儘と嫉妬があった。其処に調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。
(「友達」二十七)

しかし、この小さな暗闘から、仲間外れにされている人間がいる。
三沢の担当看護婦である。

二郎も三沢も、病院で圧倒的に多く接しているであろうこの異性に、ほとんどなんの興味も持っていない。
何故なら

看護婦は色の蒼い膨れた女であった。顔付が絵にかいた座頭に好く似ている所為か、普通彼等の着る白い着物が些とも似合わなかった。(「友達」十五)
醜い三沢の附添いは「本間に器量の好いものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。(「友達」二十五)

醜い」の一言で評されてしまっている。令和6年の現代で男性有名作家がこれを書いたら事実上の発禁処分になりそうだ。

ここで、二郎も三沢も担当看護師に興味がない理由は、彼らが「あの女」や美しい看護婦に対して心底惚れているとか、霊も魂もスピリットも攫まれているからではない。単に、異性としての興味がないというだけのことだ。この場合は容姿のために。

一郎は、自分がこの看護婦と同じ立場だとは、認めたくないのだ。
だからこそ、メレジスだスピリットだパオロとフランチェスカだ永久の勝利者だと、ポエムに走らないといけないのだ。

仮に、一郎が直に「なんで俺に冷淡なんだ」と聞いて、こう返ってきたらどうする
「顔が醜いから」

実際に一郎の容姿がどうかや直が冷淡な理由は不明だが、上記のレベルの回答がされてしまったり、そんな返答をされることを想像するのは、耐えがたい。
そんな返答を想像するぐらいだったら、このほうがまだマシだ。
「直は御前に惚てるんじゃないか」このほうが、まだマシだ。

(この話続きます。)



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