夏目漱石「行人」考察 芳江は一郎と直の子ではない?(3)―B みな自宅外では芳江を想起しない・和歌山の夜
(画像は、新宿区立漱石山房記念館の展示物です。撮影は私)
1、和歌山の夜でも想起されない娘・芳江
「行人」で前半部分にして最大のクライマックス、二郎と嫂(あによめ)・直とが二人きりで嵐の晩をすごす和歌山の夜である(「兄」二十七~三十九)。
その晩を含む大阪旅行全体で芳江の存在はたった一度しかふれられていない。それ自体不自然だが、この和歌山の夜において、二郎も、母であるはずの直も、全く一度も芳江の存在をふれず、想起した様子すらないのは特に不自然なのである。
当夜、直は「こんな風に自殺してみたい」との過激な話を二郎にしている。
「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首を縊ったり咽喉を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌よ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」
(略)
「本に出るか芝居で遣るか知らないが、妾ゃ真剣にそう考えてるのよ。嘘だと思うならこれから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、一所に飛び込んで御目に懸けましょうか」
「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫める如く云った。
「妾の方が貴方よりどの位落ち付いているか知れやしない。大抵の男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。
(「兄」三十七)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
まず、ここで直は自身の幼い娘であるはずの芳江を残して自死することにつき、全くなに一つ気に留める様子を示していない。まるで幼い娘の存在を完全に忘れているかのようである。
また、二郎においても嫂がこんなことを口にし始めたら、「残された芳江はどうなるんですか」と止めるとか、あるいは口に出さないでも内心で「嫂は芳江のことも兄のこともなにも考えていない様子であった」とか、せめて回想として「自分はこの時、もし嫂がそれを実行したら芳江がどうなるかを考えることもしなかった。それほど自分はうろたえていたのである」ぐらいのことは感じるべきであろう。
(※「行人」は、語り手の二郎の地の文はリアルタイムではなく、事後による回想で第三者に向けて示されたものという設定です。またどこかでふれます。「坊っちゃん」や「こころ」の「私」の文章と同じですね。)
二郎は芳江と血のつながったはずの叔父で、これまでずっと一緒に一つ家で生活してきたはずである。それなのに今後も育児が必要な幼い家族について、会話でも内心でも回想でも、なにもふれない。
さらに二郎と直の会話は続く。
「姉さんが死ぬなんて云い出したのは今夜始めてですね」
「ええ口に出したのは今夜が始めてかも知れなくってよ。けれども死ぬ事は、死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ。だから嘘だと思うなら、和歌の浦まで伴れて行って頂戴。屹度浪の中へ飛び込んで死んで見せるから」
(略)
「姉さんは今夜余程どうかしている。何か昂奮している事でもあるんですか」
(略)
「あなた昂奮昂奮って、よく仰しゃるけれども妾ゃ貴方よりいくら落付いてるか解りゃしないわ。何時でも覚悟が出来てるんですもの」
(「兄」三十八)
ここでも芳江については二人ともふれない。
直は、「死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ。」と、当夜だけではなく元々死について考えていたと話している。
しかしそれであれば尚更、芳江をどうするかについても考えていてもよさそうなものである。たとえば「芳江はお重さんとご両親で育てて~」とか「芳江は私の実家の〇〇に預ければ~」とか、気にするところがあってもよさそうだ。「行人」の次回作である「こころ」では、Kが自殺してしまった後の警察や家族らとの事後処理や墓について細かく述べられている。
しかし直は、死について毎日考えているとしながら、その後の芳江について考えている様子はない。むろん一緒に心中しようという様子もない。
ただ全体の印象として、直が芳江に対して全く愛情を持っていないわけではなく、少なくとも自宅内においては十分可愛がっている描写となっている。
芳江は直の実子ではなく、直側の親族の子ではないだろうか?
2、年齢についてもふれられない芳江
順番は前後するが、和歌山の当日昼頃、風呂のある料理店でこんなやり取りをしている。
―― すると彼女はにやにやと笑った。
「貴方取って幾何(いくつ)なの」
「そんなに冷やかしちゃ不可ません。本当に真面目な事なんだから」
「だから早く仰しゃいな」
(略)
「姉さんは幾何でしたっけね」と自分は遂に即かぬ事を聞き出した。
「これでもまだ若いのよ。貴方より余っ程下の積ですわ」
自分は始めから彼女の年と自分の年を比較する気はなかった。
「兄さんとこへ来てからもう何年になりますかね」と聞いた。
嫂は唯澄まして「そうね」と云った。
「妾そんな事みんな忘れちまったわ。だいち自分の年さえ忘れる位ですもの」
(「兄」三十~三十一)
ここで年齢の話や、「兄さんとこへ来てからもう何年に~」との会話をしているのに、ここでも芳江について口に出さず、想起もしていない。二人とも。
母親であれば、「私が芳江を生んだ時に〇歳でいまあの子が✖歳だから~」といって年齢を勘定するのはありがちな会話である。しかしそれもなく、さらにわざわざ結婚何年?との話を二郎は出したのに、「芳江が✖歳」との話は、二人とも口にしないのである。
これもやはり、通常語られるべきことが不自然に語られていない。
やはり芳江は直の実子ではなく、生まれてからしばらく経過した後に養子に出されたのではないだろうか?
なお、夏目漱石も養子に出された経験がある。
子ども時代~から若い頃の名は、「塩原金之助」である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?