「行人」の主人公兼語り手:長野二郎の妹である「お重」。
物語途中から、お重の結婚相手を探している話が定期的にされているが、独身のまま話は終わる。お見合い等をした記述もない。
1、お重のプロフィール
二郎はお重について、顔も良く愛嬌もあるとしている。
体重はやや重く、年齢は二十歳頃と思われる。以下、それらの論拠を並べます。
綱(長野母)から言われていた三沢への縁談打診を二郎がしそびれた場面
(これは二郎に三沢の意向を聞く気がそもそもほとんどなかったようにも見えるが)
また、お重が芳江の面倒をよくみているとの描写
ただし二郎によれば少し太っているようだ。「重」なだけに。
(「行人」の登場人物の名には全員意味があると私は考えている。「三沢」だけまだ不明だが)
お重の年齢は不明だが、推察できる描写がある。上記の大きなお尻に続く二郎とのきょうだい喧嘩に対する綱(長野母)の注意
きょうだい喧嘩を叱る母の台詞が「十五六の子供じゃあるまいし」とあるのだから、十五六を数年以上前に超えた、若くとも二十歳頃だと思われる。
2、意外と鋭い?
このお重だが、二郎の語り口では「おしゃべりで好き勝手に話し倒す妹」のような雰囲気ではある。しかし二郎は実はお重が鋭そうなことも書いている。
お貞の結婚相手、佐野についてお重は非常に気にかけている。
この点、二郎の認識でも、佐野について心配するのはむしろ普通なのだ。
大阪で佐野との会見を済ませた後の、一郎・綱との会話
改めて見直すと、この認識でいながら東京に帰ってからお貞をからかうだけだった(としか書いていない)二郎の気楽さに驚く。いや奇麗に考えれば二郎は元々佐野の内心を気に掛けていたが、事が決まった以上もう口を挟むわけにもいかず、楽しくお貞を送り出そうとしているのか。
どちらにせよお貞の結婚生活に大きく不安が残る。
佐野が目当てにしているであろう長野父の勢力は、既にかつての「半分さえ難しい」状態になっていると。
結婚後にそのことを佐野が知った場合、お貞に対しどういう態度になるか。
想像すると心配するのも普通だ。むろんだからといって二郎が縁談を壊すわけにもいかず、結婚直前のお貞に不安を吹き込むようなことも避けたいだろうけど。
(話がお重からそれるが、挙式当日にお貞が手に付けた白粉(おしろい)がすぐ流れてしまうのは(「帰ってから」三十六)、長野父の勢力のなさがすぐばれる暗示か。また二郎の下宿に二度届く岡田からの絵葉書で(「塵労・六、十七」後者が佐野の署名が今回はないともとれるような描写なのは既に不仲・離婚になった暗示か)
3、三沢への打診は相当なあせり?
お重の結婚について長野母(綱)は二郎に、三沢に貰う気があるかないかを探らせている(やはり長野家は長野父ではなく綱が主導だ)。
3(1)三沢は綱に悪印象なはず
しかし、綱は三沢に悪い印象を持っているはずである。
大阪で入院中、三沢が二郎から金を借りて芸者の「あの女」に渡したことに呆れ、理解できないとしていた。またそれにより自分の息子が格下の岡田に金を借りたことに恥辱も感じていた。
3(2)三沢はそこまで金持ちではない
また、三沢は旅行三昧であったし私から見れば相当な金持ちであろうが、特別裕福とまではいかないようだ。
後者の記述から、精神病の「娘さん」の嫁ぎ先は、三沢家よりもさらに金持ちであったことが読み取れる。
3(3)悪い病気の系統
綱は二郎の紹介予定相手について、病気の系統がないかを気にしている。
(※ なお私の勝手な推測では、これは一郎の実父(長野父ではない)に精神病があったとわかり、それが一郎につながっていることを綱が心配していることが前提となったものである)
そして三沢は本人曰く、胃の悪いのは遺伝である。
そうであれば程度はともかくまさに「悪い病気の系統」を引いていることになり、ますますお重の結婚相手としては不適当なはずである。
このように、綱の印象は悪く、また特段の金持ちとまではいかない三沢を、お重の結婚相手として綱が候補に挙げているのである。よほどお重の結婚が決まらずに焦っているのだろうか。
そして実際、綱が三沢の意向を探らせた「帰ってから・三十二」は秋から冬にかけての話だが、翌年の夏になってもお重はまだ独身である。ついでに二郎もだ。
当時のお見合い事情はよくわからないが、そんなに時間がかかるものなのだろうか。漱石の他作品「それから」の長井代助は、むしろ見合い話が何度も来てて面倒に感じていた、との印象だが。
しかもお重本人も、少なくとも言葉では早期の結婚を意図していた。それなのにである。
4、お重は三沢に気があった?
このように、何故かお重の結婚がいつまでも決まらない。
この理由付けとして私は勝手に思いついた。「お重は三沢に気があった」のではないかと。
そのため綱自身は三沢に悪印象を有していても、二郎に三沢の意向を探らせていたのでは。また他の縁談はお重が断っていたのではないか。
4(1)三沢に面識あり
ちなみに三沢とお重とは面識はある。よく見ると示されている。
「あのお嬢さん」と話している以上、少なくともお重の顔は知っている関係であろう。また「もう年頃だから」とは、これも少なくともおおよその年齢は把握していると思われる。
4(2)Hともつながりあり
さらに、お重はどうもH(三沢の保証人)ともつながりがありそうだ。
物語中の六月二日、「富士見町の雅楽稽古所」で二郎が紹介予定女性の顔を見たことを把握している。しかも尾ひれつきで。
この感じ、特に最後の「言いにくい訳があるんでしょ~」な雰囲気が、Hを思い出させる。
この少し前の時点で、Hはこの件で二郎をからかって遊んでいる。
お重が二郎の話を聞いてきたという「坂田さんの所」が、なにであるかは全く不明である。
しかしHのからかいが「二十三」、お重の話が「二十六」からという近接したタイミングからしても、恋愛話が大好きな中年独身男・Hが、尾ひれをつけておしゃべりをし、それが「坂田」なる人物を通じてお重にまで推察される。
このように三沢と直接でも間接でもつながりがお重にあることからも、お重に三沢に気があるとの推察は可能である。
5、三沢がお重を断った理由
三沢は、「あの女」「娘さん」に対する執着や思い込みの深さから見ても、美人が大好きなはずである。
しかしその三沢が、美人なはずのお重の縁談はあっさり断っている。
その理由について思いついた事を、いくつか列挙してみる。また考察してみたい。
・一郎も二郎も精神を病み気味。その血筋がいやだった
・長野父の勢力の衰えを知っていた
・一郎、直、二郎の複雑な関係をなぜか知っていたので、そこに巻き込まれたくない
・実は以前にお重と関係を持ったことがあり、既に別れている
あるいは
・お重を美人だと思っているのは二郎だけだった