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夏目漱石「行人」 芳江は一郎と直の子ではない?(2)―A みな自宅外では芳江を想起しない・大阪旅行編

1、自宅の外では誰も芳江を思い出さない


一郎と直の間の娘・芳江
この芳江の存在だが、自宅を一歩出てしまうと家族の誰も、誰一人意識していないのである。

・大阪での二郎と岡田の会話
・大阪旅行中の一郎・直・母(綱)
・一郎が二郎に直の節操を試せと求めた時
・和歌山の夜の直と二郎
・一人暮らし以降の二郎
・Hと旅行中の一郎

以上の状況において、芳江の存在にふれられたのは、ただの一か所のみである。以下説明

(1)二郎と岡田の「子どもと夫婦関係」の会話


まず序盤である「友達」の「四」において、二郎と岡田は以下の会話をしている。

―― すると岡田が「それに二人切じゃ淋しくってね」と又つけ加えた。
「二人切だから仲が好いんでしょう」
「子供が出来ると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得た様に話し合った。

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

この時に、二郎にとって最も身近な「子供が出来た夫婦」である、一郎と直夫妻・芳江について全く一言もふれていないのである。
会話に出なかったばかりでなく、語り手でもある二郎の頭の中にすら想起した描写がない。
なおこの時点で二郎に「兄」がいることは示されているが(「下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、~」(二))、兄が結婚していることも娘がいることも、この会話時点でなにもふれられていない。

不自然としか思えない。

(なおこの「友達」四においては二郎の、「自分は子供を生ます為に女房を貰う人は、天下に一人もある筈がないと、予てから思っていた。」という、えらい不自然な語り・わざわざ不自然さを強調しているのではないかと思われる語りがある。これについても後でふれます。)

また二郎だけでなく、岡田もふれていない。岡田は当然一郎とも関係性は深く、また直ともそれなりに親しそうな会話をしている。

―― その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞ出来るもんですか」と断った。
(「兄」二・ちなみに「歌なんぞ出来るもんですか」が直の物語中登場後、二番目に発した言葉である。直の登場早々に岡田と親しそうな描写が提示されている。)

二郎と岡田、互いに「子供が出来た夫婦」と身内だったり深い付き合いだったりするのに、なぜか一郎夫妻については二人ともふれた描写がない。一郎夫妻の仲がよいにせよ悪いにせよ、参考例にならない特殊な夫婦だからふれなかったということだろうか。

(2)大阪旅行中の全員がほぼふれていない


大阪に一郎・直・綱が合流した以降、彼ら家族が芳江についてふれたのは、一か所のみである。
これについては前にも「芳江が大阪旅行についてきてない」でも引用したが再度

「よくまあお一人でお留守居が出来ます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴付いておりますから」と嫂は答えていた。
(「兄」四)

このお兼(家族ではない)と直との会話以外は、誰一人として芳江について全く何一つふれず、想像している描写すらないのである。
いくらなんでも幼い子を残して旅行に来ているのだから、「今頃お重やお貞は芳江の面倒をちゃんと見れているかねえ」とか「芳江もいることだし早めに東京に帰ろう」とか、芳江にもまたここを見せたやりたいとかお土産はなにがいいかとか、和歌山で嵐になったので芳江を連れてこなくてよかったとか、帰りの汽車でもうすぐ芳江に会えるなとか、酔った岡田が「一郎さんはあの調子でお嬢さんにも接しているんですかね」と云い出すとか、いくらでもふれる余地はある。
なのに芳江にふれた描写がない。

私はこれは夏目漱石が、あえて意図的にふれない描写をしたと思う。
作中において一郎らの大阪旅行合流~東京への帰宅は、計四十四章からなる「兄」の二章~「帰ってから」の二章までである。
その初期である「兄」の四章において一郎夫妻の娘の存在を示しておきながら、以降の40章+2章においては、全くふれない。
「当然書かれているべきことがなにも書かれていない事実が、需要な証拠」という例だ。

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