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夏目漱石「行人」考察 芳江は直と一郎の子ではない?(9) 芳江は誰の子?

(写真は、新宿区立漱石山房記念館で購入したグッズを、私が撮影したものです。)
https://soseki-museum.jp/


1、一郎は子ができない?


これまで散々、芳江は直と一郎の子ではない旨を書いてきた。

では誰のどういう子かというと、現時点での私の推測では、

「一郎がなんらかの事情で子づくりできないため、直側の親戚の子を、密かに養子にもらった。対外的には実子として育てている」

と勝手に思っている。


論拠としては、そう考えると辻褄があう事柄がいくつかあるからだ。

改めて列挙すると

・大阪で二郎と岡田が「子が出来た後の夫婦仲」を語る際に、一郎夫妻が全く引き合いに出されない

・芳江がなぜか大阪旅行について行かない、芳江の不存在についてお兼が一度ふれるだけで誰も指摘しない、大阪旅行中に一郎も直も二郎もお綱も全く芳江にふれない

・直も一郎も、芳江を可愛がってはいるが深い愛情まではなさそう。
(一郎が二郎に直の節操を試せとせまる場面、直が二郎に自死を「心の中で忘れた日はありゃしないわ」と語る夜、Hからの手紙で旅行中に煩悶をみせる一郎、すべて芳江についてはまったくふれようともしない)

・二郎の語りで芳江が「嫂の血を引いてる」と二度語られるが、それ以外、一郎や祖父母ら長野家の誰に似てるとも似ていないとも、一度も語られない。ちなみに長野父と二郎・お重が似ている云々は語られている

・一郎夫妻につき、「二番目の子は~」と全く一度も語られない。長男である一郎に男の子を望む話を長野両親含め誰一人しない、一郎は名前を含め長男であることが強調されているのにだ。ちなみに二郎はお兼に子供ほしくないの?なんで子供できないの?と堂々と聞いている

・芳江に対する印象が二郎と長野父とで微妙に異なる、芳江が特定の誰かに対して唯一直接話しかけている人物が二郎、二郎が元々直と結婚前から知り合い、- 芳江が直の親族でそのため以前から知っていたので仲が良いのでは?

・直があまりに堂々と夫の不仲や、不仲を通り越した対立を長野家族に見せつけている、二郎とのイチャイチャも見せつけている、一郎も二郎も精神を病み、長野母(綱)も心を痛めている。なのに離婚話は誰一人からも、一度も全く出ない。二郎の内心でのみ一度ふれるだけ


以上並べたが、これらの「よく見ると不自然だとわかるように書かれた不自然さ」を説明可能とする事情を想像すると

・長野一郎はなんらかの事情で子ができない(精子の問題か性的不能か、自分ではできるが他人の前では機能しないか等。直への執着からは完全な同性愛者ではなさそう)
・それが直との結婚後に発覚
・しかしその事実を隠したい。それで直に弱みを握られる
・子は直の親族から養子にもらうことに。それが芳江
・長野家は芳江が将来婿をとって継がせる予定


こう考えると、色々説明がつきそうだ。

誰も一郎夫妻に二番目の子・跡取りの男児をとの話をしないこと、直が堂々と不仲等を見せつけること、それでも長野家側が誰も離婚を言えないこと、一郎夫妻が芳江に愛情こそあるもそこまで深くはないこと、長野家家族としても芳江が重要な存在であるが愛情は深くはないこと、等々

あるいは直の実家と長野家もしくは長野両親のどちらかが、元々親族関係にある?


2、子作りのための結婚


序盤である「友達・四」に、不自然とわかる二郎の語りがある

 自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ます為に女房を貰う人は、天下に一人もある筈がないと、予てから思っていた。

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

個人の価値観の話であれば、子や跡継ぎを作るために結婚をするなんて、、と思うのは当然あり得るだろう。
しかし、そう考える人が世にいないわけでない。特に旧家や家柄のあるとこでは特に。これは二郎も当然認識しているはずだ。
(ちなみに「行人」は大正元年(1912年)連載開始の小説だが、大正天皇は明治天皇の側室の子である)
それを、「天下に一人もある筈がない」と、わざわざあまりに大げさすぎるフレーズで否定するのは不自然すぎる。

作者が、「この不自然さに気づくよな」として書いているのであれば、二郎の身近に子づくりのための結婚・子の生活を維持するための結婚が存在することを、示しているのでは。

(ふと、「芳江は一郎夫妻の実子で、出産後に一郎に子づくりが不可能となる事情が生じた」とも思った。しかしそれだと大阪旅行に芳江を連れてこない・誰も芳江を想起しないことが、説明できない)

そして、何度も書くように作者:夏目漱石は幼い頃に、夏目家から子のいない夫婦に養子に出された人間である。

3、その他の可能性

他に、芳江の出生について勝手に思いついた事と、それへの否定論拠を述べる。

・お兼が母である可能性 - 父は一郎もしくは長野父。芳江を出産した後大阪の岡田の元に嫁ぐことで距離を置く。芳江は一郎夫妻の子として育てることに。
 → これだと、岡田とお兼の結婚・一郎と直の結婚・芳江の誕生 が、それぞれ近い時期にあったようなのに正確には記されていないことが説明可能。しかしさすがにお兼が長野家の男と関係があったら、お綱や直が大阪旅行に来てお兼と話すことはないか

・お貞が母である可能性 - 父親は長野父か一郎。直には違う事情を説明して芳江を育ててもらっていたが最近発覚した。お貞と佐野との結婚を急がせて距離を取ろうとしている。二郎はこれを知らない? 長野父の「盲目の女」の話とも重なる。「兄・三十一」での直の「--妾ゃ本当に腑抜けなのよ。ことに近頃は魂の抜殻になっちまったんだから」は、芳江が一郎とお貞の子だと最近知った? 「帰ってから・三十四」の、一郎とお貞との謎の三十分の会話は、別れ話。
 → さすがにそんな事情があったらもっと早くお貞を家から離れさせるだろうし、直から冷たくされても一郎が精神病んだりお綱が直に憤るのはおかしくなるか

・元々二郎と直は関係を持っており、芳江は二郎と直の子。他の長野家家族はそれを確信はないが薄々感じている。その悩みで一郎が不能に。既に関係は解消しており和歌山の夜の会話は「元彼と元彼女」の会話。大阪旅行中に芳江の話題がないことやHからの手紙で芳江の話が一切ないのは、この小説の語り手・二郎がすべて削除した。離婚話が出ないのは「兄嫁と弟の不倫」なんて世間にばれたら一郎や長野家にも深刻な打撃となるから
 → さすがに「信頼できない語り手」がなんでもやりすぎ・万能すぎになってしまうか


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