(修正)三四郎10 夏目漱石で現代国語の成績が楽しく上がる
(以前に投稿したものの修正版です)
1、例題
夏目漱石の明治41年(1908年)連載の小説「三四郎」。
この小説の冒頭、主人公の青年:三四郎が、九州から上京する汽車内の場面です。
文章を読んで、次の問いに答えなさい
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
問題1 本文中で太字にした部分、主人公である三四郎は、誰に注目していたか。
ア 女
イ じいさん
ウ 女とじいさんの二人を同じくらい注目していた
エ 誰にも注目していない
正解 ア 女
ここで「そんなの当たり前、読んだまんまじゃん。逆に引っ掛けかと思ったわ」と思った人は国語力あります。
ぜひその勢いで国語の成績をより向上させつつ、夏目漱石作品も読み解いてほしいと思います。
2、解説
問題の解説に戻ります。
主人公・三四郎はどこに注目していたか。問題文を見直してみましょう。
・女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている
この表現は「女」に注目して、「女」が、誰となにをしているのか、を見ている視点です。
これがもし、「イ」のように主人公がじいさんを注目していた場合は、
・(例)「じいさんはいつのまにか、隣の女と話を始めている」
といった表現になります。
また、「ウ」両方ともを注目していた、もしくは「エ」誰にも注目していない、の場合には、「女」と「じいさん」との間に差がつかないので
・(例)「女とじいさんとは、いつのまにか話を始めている」
といった表現になります。
例文二つと、実際の本文を並べてみます
・「じいさんはいつのまにか、隣の女と話を始めている」
・「女とじいさんとは、いつのまにか話を始めている」
・「女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている」
どうでしょう、こう見ると語り手が「女」に注目している感じがわかるでしょうか。
ここで、場面を映像化して、想像してみましょう。
これがテレビドラマやアニメ・漫画であった場合、女とじいさんとを二人とも同じ配置・同じサイズで写すのではなく、女を中心にして女の顔にズームアップすることになります。
だからこの問題の正解は、ア・女 なのです。
3、作者の意図
たまに国語の問題に対する批判で、「この時作者はどう考えていたか?」という問題が出され、そんなの「腹減ったなあ」かもしれないだろとか、実は作者が親せきにいたので子供が直接作者に聞いて答えを書いたら、先生に✖にされた、といった話があります。
これは問題の出し方が悪いのだと思いますが、「作者の意図」が明確にわかる場合もあります(それが本文から明確に認定できる場合でのみ、先のような「作者はどう考えていたか?」式の問題は出してもよいと思います)。
この「三四郎」の冒頭もそれに該当します。
もう一度引用します。
先に示したように、ここで主人公の三四郎は「女」に着目しています。
つまり作者:夏目漱石は、「このお話の主人公:三四郎は、汽車の中でたまたま近くにいた女性に、じろじろ注目するような男ですよ」と、我々読者に示しているのです。しかも小説の冒頭一行目で。
これが、作者の意図を読む視点です。
この視点を持つと、さらの作品がわかりやすくなります。
まず、この記事の「1~3」までで示したように、
「ああ、この主人公は『女』に注目しているんだな」とわかります。
ここに加えて、今述べた「作者の意図」を考えると、
「ああ、この作者は主人公がこういう人物ですよと、冒頭から示しているんだな」ということも、わかるのです。
これらの視点を持って作品を読むと、より理解が進みます。
作品を理解出来やすくなると、現代国語の点数が上がります、しかも楽しく。
以上になります。
この解説はいかがでしたでしょうか。
みなさんに現代国語の点数を上げてもらうとともに、作品への理解を深めてもらい、いつか「三四郎」や他の漱石作品について私が驚くような、深い読み方を教えてほしいと思ってます。
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