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夏目漱石「行人」考察(12) お兼は何を「兼ねて」いるのか?

1、「お兼」― なにを兼ねているのか


「行人」の登場人物はみな、下の名が意味ありげである。

・「一郎」・「二郎」  ― 露骨に長男二男性を表している

・「直」  ― 直情的な感じ。「妾御世辞は大嫌いよ」(「兄」三十一)、「大抵の男は意気地なしね、いざとなると」(「兄」三十七)など

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

・「お重」  ― 性格が重たそう(「この夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと囀る女」(「帰ってから」九))、かつ少し太ってそう(「御客様だと思うなら、そんなに大きなお尻を向けないで、早く此処へ来てお坐りよ」(「塵労」二十六))

・「お貞」  ― 貞淑っぽさそう。いや実際どうなのかはわからないが

・「綱」(長野母)  ― 夫よりも長野一家を引っ張っていっている感がある。夫の異論を退けてお貞の縁談をお重よりも先に決める(「兄」十)。二郎の見合い相手への詮索(「塵労」二十七)。既に退職したと思われる夫が留守番をして自分と一郎夫妻が大阪旅行

Q:それでは、「兼」はなにを兼ねているのか

A:岡田の妻と、佐野の恋人を兼ねている

そう思った。
そうでなければわざわざ「玄人(黒人)らしい媚」とまで書かないだろうと。


2、佐野と関係があると考えた論拠

お兼が佐野と不倫関係にあるとの前提に立てば、以下の二つの、気が付くように書かれた不自然さの説明がつく。

・① お兼が妙に佐野とお貞との縁談をまとめたがっている
・② それでいて佐野とお貞との結婚式には岡田しか来ず、お兼が来ない

①について

「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会ったこともないのに」
「佐野さんはああいう確かりした方だから、矢張辛抱人を御貰いになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。
(「友達」七)

佐野は、「岡田と同じ会社へ出る若い人」(「友達」七)である。だがこの会話からすると、お兼は佐野とある程度の知り合いと思われる。
しかし、佐野とお兼とがどう知り合って(無論夫つながりの可能性は高いが)、どう仲良くなったのかは、何一つ語られていない。

そして岡田の同僚であるのに、二郎の疑問に対しなぜか岡田より先に、すかさずお兼が回答しているのだ。

かつ、この会話の時点では二郎は佐野のことを全く知らない。なのにお兼は「ああいう確かりした方だから」と説明してしまっている。

つまり、お兼は何故か少し慌てて、佐野の結婚希望を咄嗟に擁護したと、読み取れる描写がされているのだ。

さらに、この会話の翌日、二郎と佐野とが会食するのだが、お兼は一瞬、その場に行きたくない様子を見せる。

「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって・・・」とお兼さんは絽の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段の中途で、「奥さん入らっしゃい」と云った。
(「友達」八)

お兼は行くのをためらった。しかし、佐野と顔を合わせると仲良さげになる。

 四人は膳に向いながら話をした。お兼さんは佐野とは大分心易い間柄と見えて、時々向側から調戯ったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京で大変なんですって」

(「友達」九)

そして早急な縁談のまとまりにためらいを見せる二郎を、再度、岡田ではなくお兼が即座に否定する。

「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がない様だから」
「お手軽どころじゃ御座いません。それだけ長い手紙を書いて頂けば。それでお母さまが御満足なさる。此方は初から極っている。これ程お目出たい事はないじゃ御座いませんか、ねえ貴方」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうとも云わぬばかりの顔をした。自分は理窟をいうのが厭になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼った。

(「友達」十)

ここでお兼が「お手軽どころじゃ御座いません。」と二郎を強く否定しているが、お兼が二郎に対してこのような否定的発言をしたのは、物語中この会話のみである。他の場面では「黒人(玄人)らしい媚」や愛嬌(ただし二郎の主観)を見せているにもかかわらず。
仮に二郎の「お手軽」発言に不同意だとしても、即座に、さらに強硬的に否定する必要まではないと思われる。たとえば「みなさん結婚なんて決まる時は一瞬で決まるものなんですよ」ぐらいに、既婚者として独身の二郎に軽く諭すぐらいでもよいと思う。

しかし、お兼は、
・二度に渡り
・夫であり元々佐野とつながりの深いはずの岡田を差し置いて
・即座に
・二度目は強硬的に
二郎の疑問やためらいを否定し、佐野の強い結婚希望を擁護し、縁談をまとめようとしているのだ。

これはなにか、裏があるだろう。
裏があることに気づくよね、と漱石が示していると感じた。

(無論二郎は二郎で、佐野の結婚希望は、既に失墜しつつある長野父の社会的勢力を勝手にあてにしたものと推察しながら(「兄」五)、それを岡田夫妻に黙っているといういやらしさであるが)

そして、既に指摘したように、
・お兼は何故か佐野と仲が良い
・それでいて二郎と佐野の顔合わせには当初同行をためらった
のである。
佐野と一緒にいるところを二郎や夫にはあまり見られたくない気持ちだろうか。

そして、話の順番はさかのぼるが、これも不自然な描写となる。
二郎が最初にお兼に佐野の縁談話をふった場面

―― お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲る積か、決して多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。
(「友達」六)

単に話をふられただけの際は、「多くを語らなかった」お兼が、二郎が疑問を挟んだ時にだけは即座に、積極的に否定にかかるのである。

(この稿つづきます。)

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