夏目漱石「坊っちゃん」④ 勧善懲悪が少ししか実現していない

「坊っちゃん」は実は暗い話である。
勧善懲悪が、ほんの少ししか実現していない。
それを語ります。
※「勧善懲悪」 ー たとえば時代劇で最後に悪代官を懲らしめて、善良な村人たちが幸せに暮らせるようになる ー 物語にはよくあるパターンだが、「坊っちゃん」でも、それがある程度は見られる。しかしある程度にすぎないのである。

1、赤シャツの不正


作中に出てくる悪役の教頭先生・赤シャツの不正は二つ

①「マドンナと自分がくっつくために、マドンナの婚約者:うらなり(英語教師)を強引に九州に転任させたこと」

②「中学の生徒達と他校の生徒達との乱闘事件があったが、これを山嵐(数学教師:赤シャツと仲が悪い)が煽って事件を起こしたかのように地元の新聞に書かせ、山嵐を辞職させたこと」
これらである

2 坊っちゃんによる制裁

(1)時代劇の終盤

赤シャツに対する制裁として、物語の終盤、坊っちゃんと「山嵐」は、赤シャツの不正の現場を押さえるべく密かに待ち伏せを続け、ついに赤シャツと子分の美術教師・野だいこを問い詰めまる。さらに二人ががかりで赤シャツらを殴り倒し、啖呵を切る。このあたりは時代劇で終盤に悪役が、ちゃんばらで倒される場面を想起させる。

「おれは逃げも隠れもせん。今夜五時までは浜の港屋に居る。用があるなら巡査なりなんなり、よこせ」と山嵐が云うから、おれも「おれも逃げも隠れもしないぞ。堀田(山嵐の姓)と同じ所に待ってるから警察へ訴えたければ、勝手に訴えろ」と云って、二人してすたすたあるきだした。
(「十一」)
※著作権切れにより引用自由です。
改正前著作権法・死後50年経過(現著作権法では死後70年)。夏目漱石は大正5年(1916年)死去。享年49歳)

無論坊っちゃん達のやったことは立派な犯罪だが、赤シャツたちも自身に後ろめたいことがあるせいか、警察沙汰にはせずに終わった。

(2)他に被害回復なし

しかし、坊っちゃん達に実行できたのは、これだけであった。
騒動当日の時間帯が妙に細かく描写されているのでふれるが、赤シャツらを殴り倒したのが、早朝の午前5時頃。
そこから坊っちゃんは午前7時少し前に下宿に帰ると、すぐに東京への帰り支度をして下宿を引き払い、校長宛てに辞表を書く。

おれは早速辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分からないから、私儀都合有之(わたくしぎつごうこれあり)辞職の上東京へ帰り申候(もうしそうろう)につき左様御承知被下度(さようごしょうちくだされたく)候以上とかいて校長宛にして郵便で出した。
汽船は夜六時の出帆(しゅっぱん)である。
(中略)
その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持がした。

(「十一」)

こうして坊っちゃんは、赤シャツに制裁を加えたその日のうちに、学校の同僚達にも生徒達にも一言の挨拶もせず、もちろん業務の引継ぎなどなにもせずにいきなり教師を辞め、あっという間に四国を去っていったのである。

坊っちゃんは「いい心持がした」としているが、赤シャツの不正に対して被害回復は一切されていない。

坊っちゃん達が赤シャツに制裁を加える前に、既にうらなりは九州に転任させられている。マドンナと赤シャツがくっつくことも止められていないし、特に止めようともしていない。
生徒たちの乱闘事件についても、赤シャツの不正が暴かれたわけでもなく、新聞に訂正記事が出たわけでもない。山嵐の責任として辞職となったまま、山嵐は坊っちゃんとともに四国を去っている(その後に山嵐がどうなったのかは書かれていない)。
むろん、うらなりや山嵐に対して、1円の賠償金も支払われておらず、赤シャツやマドンナは謝罪もしていない。
(坊っちゃんはお金に細かい性格で作中でもよくこれが何円だと語っているのに)

もし、仮にこの物語がよくある勧善懲悪のお話であれば、以下のような展開になっただろうか
 - 悪役の教頭には処分が下され、坊っちゃんは学校改革に成功、山嵐も復職。うらなりは近く九州から戻ることが決まる。生徒たちと一緒に坊っちゃんや山嵐は新たな学校生活を共に歩み始め、マドンナは赤シャツと別れ再度うらなりとやり直すことに -
しかし、「坊っちゃん」はそういった物語ではない。

しかも坊っちゃんは教師を辞めて鉄道の「技手」に転職するが、給料は8分の5まで大幅に下がっている。
(教師時代は「月給四十円」。しかもそれすら赴任当初の校長の訓辞に対し「そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。」と思っていた(「二」)。
それが鉄道技手では「月給は二十五円で、家賃は六円だ。」(「十一」)になってしまった。これもわざわざ具体的な金額が書かれている。なお赤シャツも賃貸住まいだがその家賃は「九円五十銭」(八)である。)

殴られたこと以外は、赤シャツよりもむしろ坊っちゃんのほうがダメージは大きいのではと思われる。
引用しているように主人公・坊っちゃんの語り口は快活であり、読んでいる側も勢いよく読める。私も読後感は悪くなかった。しかし物語の内容そのものは、勧善懲悪が、ほんの少ししか実現しなかったお話なのである。

「坊っちゃん」の暗さについて、他でも語りたい。
またこの暗さも、私が「坊っちゃん」は坊っちゃんの遺書であると思う理由の一つである。


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