夏目漱石「行人」考察(50)拝啓の啓の字
夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」
例によってこの中に、謎の一節が出て来る。
1、拝啓の「啓」
二郎が実家を出て下宿する旨の挨拶を父親にする場面
この流れの意味がよくわからない。
二郎の書く「拝啓」の啓が間違っていると。
2、二郎の手紙
とりあえず長野父はどこで二郎の書く「拝啓」を見たのかを考えると、物語序盤、大阪で岡田宅滞在中の二郎が実家宛てに手紙を出す場面がある。おそらくはこれだろう。
気になって調べてみたが、「拝啓」という言葉には「謹んで、申し上げる・拝んで申し上げる」とか「敬ってこの手紙を差し上げます」といった意味があるらしい。
これから考えると、長野父の言う「二郎の書く啓の字は間違い」とは、二郎の申し上げ方が悪い、言い換えれば内容が「間違っている」ということだろうか。もっとちゃんと佐野を観察して真面目な意見を手紙に書くべきだった、と。
3、二郎の反論
3(1)権限なし
自分で勝手に仮定した話に対して、勝手に反論を書く。
お貞の縁談について二郎には、どうしようもなかったのではないか。
確かに二郎は佐野に対してある種の悪意はある。
元々二郎は綱(長野母)から「先方があまり乗気になって何だか剣呑だから、彼地へ行ったら能く様子を見て来てお呉れ」と言われていたものである。
かといって二郎に「場合によっては破談にする」までの決定権も判断権もないであろう。既に綱は「貞には無論異存これなくという返事」を岡田に出している。既に決まった縁談をわざわざ批判する方向での手紙を仮に書いたところで、後からややこしくなるだけではないだろうか。
3(2)「明暗」のお延
漱石の他作品「明暗」に、主人公の妻・お延が急に親族らの会食に同席させられたと思ったら、従妹のお見合いの席だったというエピソードがある。従妹側が見合い相手の男に対する鑑定を、あえて先入観なしでお延にしてもらうために仕掛けた事であった。
この時もお延は後日、叔父・岡本から意見を求められたが具体的な回答はできなかった。見合いの当事者である年下の従妹:継子に「ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ」といった抽象的というか、自身が混乱しているような回答しかできなかった。
これと同様で、二郎が大阪で佐野と会食したところで、それだけでなにか責任のある意見を述べよといわれても無理であろう。しかも「行人」の場合は「明暗」とは異なり既に承諾の返答もしている。そこにわざわざ異論を挟むほどの手間暇を負う理由もない。
二郎が本音のままに「御母さんは理解されていないようですが御父さんの社会的勢力は既に半分以下になっています。佐野さんはそれをわからずに目当てにしてますね。まあ勝手に皮算用してる御凸額さんがどうなろうが知った事ではないですがわかった後にお貞さんへの態度がどうなるかちと心配です」と手紙に書いたところで誰にも何もいいことはなさそうだ。
4、二郎には別の役割があった?
上でうだうだ論じたことを踏まえて、もう一度長野父の「御前の書く拝啓の啓の字は間違っている。崩すなら其処にある様に崩すものだ」を考えてみる。
長野父の発言に意味があるとすれば、単に二郎が佐野の観察について本音を手紙に書かなかったことへの批判や、もっと詳細を書けなどという事ではないはずだ。そう考えたい。
二郎の「何処が間違っているのかまるで解らなかった」との叙述も、実際に二郎が大阪から出した手紙云々のことではない、との意味ともとれる。
4(1)一郎と直のことか?
前にも書いたが、長野一郎は大阪旅行に出立する時点において、既に「二郎と直とを二人で泊まらせるか外出させる」との「プログラム」を拵えていたと思われる。
さらに和歌山で二郎が直と二人で外出する際には
・直は、この外出が一郎のプログラムだと把握している
・二郎も、直が上記の把握をしていることを、把握している
との状態であったと思われる。
そして、一郎たちが東京から出立する時点において、長野父はこれらを予期していたのではないか。
4(2)長野父はすべてを把握していた?
綱(長野母)・一郎・直が大阪に出立した時、長野家に残った家族は
・長野父
・お重
・芳江 この3人である。これにお貞や「平吉」らの使用人である。
二郎の地の文でも「妙な組合せ」「変な形」と明記されているこのいびつなメンバー構成について、長野父がなにも気が付いていないわけはないだろう。ただ権力がないから口出しはできない。
そうすると長野父はこのいびつなメンバー構成から、「一郎が直と二郎の節操を試させようとなにか図る」「だがそんなことを急ごしらえでしても直にバレバレだろう」「二郎も流石にそれらに気づいて直に対応するだろうがどうなるか、、、」と考えていたのではないか。
4(3)女景清よりも後
長野父が「拝啓の啓の字」の話をしたのは引用のように「帰ってから・二十四」、これに対し「女景清」の話は「帰ってから・十二~十九」と少し前である。
私はこの「女景清」の話については、「一郎の実父と綱との間の過去を、事情を知って間に入った長野父が、事実を改変・創作して一郎に伝えたもの」と思っている。
これを踏まえると長野父は、こう二郎に言いたかったのか。
「お前は一郎に伝えるべきことがあるだろう。そこに現時点では事実をそのまま話すべきではないものがあるかもしれない。そうならば少し改変していいから語るべきことを語れ。すなわち「崩す」なら、俺が「女景清」の話でした「ように崩すものだ」」と。
実際長野父は、女景清の話は「崩した」ものだと語っていた。
4(4)一郎への影響
長野父が「女景清」の話をしたことにより、一郎は義憤を抱え、ますます精神を病んでしまったように思える。
しかし、長野父が自身の話が一郎に義憤を引き起こさせるものであることを、全く気付いていないとも思われない。
それでも長野父は、あえてこの話を一郎にした。狙って一郎の精神を刺激したのか。
この後、長野家は
一郎と二郎が喧嘩→ 二郎が下宿→ 長野父が二郎と外出→ 長野両親と二郎が話合い→ 二郎がHに一郎を旅行に連れ出すよう依頼→ 一郎が断る→ 再度Hが旅行打診→ 一郎が了承→
一郎出立日に二郎が実家に。同日、長野父は「築地」に外出
という流れになる。
長野父は、どうしても一郎を長期旅行に出させなければならなかったのではないか。
その間に「築地」に向かい、一郎の実父にいろいろ話をしに行ったのではないか。
一郎を旅行に連れ出させるために、あえて一郎の義憤を引き起こさせるように話を改変し、自身を軽薄にみせかけるようにした。
それが、長野父の拵えた「プログラム」なのだ。
「信頼できない語り手」二郎は、「女景清」話を聞いたその当時の感想としては、なぜ「こんな話をするのだろう」としている。
しかし「今現在も父がこの話をした意味が自分には不明である」とは一言も書いていない。
二郎は現段階では知っているのだ。父がこの話をした意味を。
5、(追記)長野家の得意技
以上のように私の推察では、「長野父があえて一郎を長期旅行に出立するよう仕向け、その間に事を進めた」ことになる。
そしてこのやり方は、長野家の得意技である。
4、5年前にも長野家は、二郎が富士登山旅行に出た隙を狙って、二郎に秘して、お兼と岡田とを結婚させていたではないか。
「行人」冒頭で語られたこの二郎の旅行中の話は、終盤の一郎の旅行に、しっかり対応していたのである。
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