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夏目漱石「行人」考察(50)拝啓の啓の字


夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」

例によってこの中に、謎の一節が出て来る。

1、拝啓の「啓」


二郎が実家を出て下宿する旨の挨拶を父親にする場面

 自分はこう断って、すぐ父の居間に這入った。父は長い手紙を書いていた。
「大阪の岡田からお貞の結婚に就いて、この間又問い合せが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日まで放って置いたから、今日は是非一つその義務を果そうと思って、今書いている所だ。序だからそう云っとくが、御前の書く拝啓の啓の字は間違っている崩すなら其処にある様に崩すものだ
 長い手紙の一端が丁度自分の坐った膝の前に出ていた。自分は啓の字を横に見たが、何処が間違っているのかまるで解らなかった。自分は父が筆を動かす間、床に活けた黄菊だのその後ろにある懸物だのを心のうちで品評していた。

(「帰ってから」二十四)

この流れの意味がよくわからない。
二郎の書く「拝啓」の啓が間違っていると。

2、二郎の手紙


とりあえず長野父はどこで二郎の書く「拝啓」を見たのかを考えると、物語序盤、大阪で岡田宅滞在中の二郎が実家宛てに手紙を出す場面がある。おそらくはこれだろう。

 ー 自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた
 仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番仕舞に、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変った所も何もないようです。お貞さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。
 自分はこの手紙を封じる時、漸く義務が済んだような気がした。然しこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっ猪口ちょいに恥入る所もあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入れたまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較べた。
「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅の方は極るんです。したがって佐野さんも一寸動けなくなるんですが」
「結構です。それが僕等の最も希望する所です」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰り返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりも却て心元なくなった。
「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草の煙を吹いた。「この事件に就いて一番冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がない様だから」
「お手軽どころじゃ御座いません、それだけ長い手紙を書いて頂けば。それでお母さまが御満足なさる、此方は初から極っている。これ程お目出たい事はないじゃ御座いませんか、ねえ貴方」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟をいうのが厭になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼った

(「友達」十)

気になって調べてみたが、「拝啓」という言葉には「謹んで、申し上げる・拝んで申し上げる」とか「敬ってこの手紙を差し上げます」といった意味があるらしい。

これから考えると、長野父の言う「二郎の書く啓の字は間違い」とは、二郎の申し上げ方が悪い、言い換えれば内容が「間違っている」ということだろうか。もっとちゃんと佐野を観察して真面目な意見を手紙に書くべきだった、と。


3、二郎の反論

3(1)権限なし


自分で勝手に仮定した話に対して、勝手に反論を書く。
お貞の縁談について二郎には、どうしようもなかったのではないか。

確かに二郎は佐野に対してある種の悪意はある。

「でも貞だけでも極まって呉れるとお母さんは大変楽な心持がするよ。後は重ばかりだからね」
「これもお父さんの御蔭さ」と兄が答えた。その時兄の唇に薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。
「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああ遣ってるのと同じ事さ」と母は大分満足な体に見えた。
 憐れな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力を有っているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。
 兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞しているような気がしてならなかった。けれども亦一方から云えば、佐野は瞞されても然るべきだという考えが始めから頭の何処かに引掛っていた。

(「兄」五)

元々二郎は綱(長野母)から「先方があまり乗気になって何だか剣呑だから、彼地へ行ったら能く様子を見て来てお呉れ」と言われていたものである。
かといって二郎に「場合によっては破談にする」までの決定権も判断権もないであろう。既に綱は「貞には無論異存これなくという返事」を岡田に出している。既に決まった縁談をわざわざ批判する方向での手紙を仮に書いたところで、後からややこしくなるだけではないだろうか。

3(2)「明暗」のお延


漱石の他作品「明暗」に、主人公の妻・お延が急に親族らの会食に同席させられたと思ったら、従妹のお見合いの席だったというエピソードがある。従妹側が見合い相手の男に対する鑑定を、あえて先入観なしでお延にしてもらうために仕掛けた事であった。
この時もお延は後日、叔父・岡本から意見を求められたが具体的な回答はできなかった。見合いの当事者である年下の従妹:継子に「ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ」といった抽象的というか、自身が混乱しているような回答しかできなかった。

これと同様で、二郎が大阪で佐野と会食したところで、それだけでなにか責任のある意見を述べよといわれても無理であろう。しかも「行人」の場合は「明暗」とは異なり既に承諾の返答もしている。そこにわざわざ異論を挟むほどの手間暇を負う理由もない。
二郎が本音のままに「御母さんは理解されていないようですが御父さんの社会的勢力は既に半分以下になっています。佐野さんはそれをわからずに目当てにしてますね。まあ勝手に皮算用してる御凸額さんがどうなろうが知った事ではないですがわかった後にお貞さんへの態度がどうなるかちと心配です」と手紙に書いたところで誰にも何もいいことはなさそうだ。


4、二郎には別の役割があった?


上でうだうだ論じたことを踏まえて、もう一度長野父の「御前の書く拝啓の啓の字は間違っている崩すなら其処にある様に崩すものだ」を考えてみる。

長野父の発言に意味があるとすれば、単に二郎が佐野の観察について本音を手紙に書かなかったことへの批判や、もっと詳細を書けなどという事ではないはずだ。そう考えたい。
二郎の「何処が間違っているのかまるで解らなかった」との叙述も、実際に二郎が大阪から出した手紙云々のことではない、との意味ともとれる。

4(1)一郎と直のことか?

前にも書いたが、長野一郎は大阪旅行に出立する時点において、既に「二郎と直とを二人で泊まらせるか外出させる」との「プログラム」を拵えていたと思われる。

さらに和歌山で二郎が直と二人で外出する際には

・直は、この外出が一郎のプログラムだと把握している
・二郎も、直が上記の把握をしていることを、把握している

との状態であったと思われる。

そして、一郎たちが東京から出立する時点において、長野父はこれらを予期していたのではないか。

4(2)長野父はすべてを把握していた?


綱(長野母)・一郎・直が大阪に出立した時、長野家に残った家族は
・長野父
・お重
・芳江 この3人である。これにお貞や「平吉」らの使用人である。

二郎の地の文でも「妙な組合せ」「変な形」と明記されているこのいびつなメンバー構成について、長野父がなにも気が付いていないわけはないだろう。ただ権力がないから口出しはできない。

そうすると長野父はこのいびつなメンバー構成から、「一郎が直と二郎の節操を試させようとなにか図る」「だがそんなことを急ごしらえでしても直にバレバレだろう」「二郎も流石にそれらに気づいて直に対応するだろうがどうなるか、、、」と考えていたのではないか。

4(3)女景清よりも後


長野父が「拝啓の啓の字」の話をしたのは引用のように「帰ってから・二十四」、これに対し「女景清」の話は「帰ってから・十二~十九」と少し前である。

私はこの「女景清」の話については、「一郎の実父と綱との間の過去を、事情を知って間に入った長野父が、事実を改変・創作して一郎に伝えたもの」と思っている。

これを踏まえると長野父は、こう二郎に言いたかったのか。

「お前は一郎に伝えるべきことがあるだろう。そこに現時点では事実をそのまま話すべきではないものがあるかもしれない。そうならば少し改変していいから語るべきことを語れ。すなわち「崩す」なら、俺が「女景清」の話でした「ように崩すものだ」」と。

実際長野父は、女景清の話は「崩した」ものだと語っていた。

すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。
(略)
 こう云う場合に馴れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡ぶりを一応賞めた後で、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩して、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶である。しかも事実でね」と云い出した。

(「帰ってから」十二)


4(4)一郎への影響

長野父が「女景清」の話をしたことにより、一郎は義憤を抱え、ますます精神を病んでしまったように思える。

 やがて客は謡本を風呂敷に包んで露に濡れた門を潜って出た。皆後で世間話をしているなかに、兄だけはむずかしい顔をして一人書斎に入った。自分は例の如く冷やかに重い音をさせる上草履の音を一つずつ聞いて、最後にどんと締まる扉の響に耳を傾けた。

(「帰ってから」十九)

しかし、長野父が自身の話が一郎に義憤を引き起こさせるものであることを、全く気付いていないとも思われない。

それでも長野父は、あえてこの話を一郎にした。狙って一郎の精神を刺激したのか。

この後、長野家は

一郎と二郎が喧嘩→ 二郎が下宿→ 長野父が二郎と外出→ 長野両親と二郎が話合い→ 二郎がHに一郎を旅行に連れ出すよう依頼→ 一郎が断る→ 再度Hが旅行打診→ 一郎が了承→ 
一郎出立日に二郎が実家に。同日、長野父は「築地」に外出

という流れになる。

長野父は、どうしても一郎を長期旅行に出させなければならなかったのではないか。
その間に「築地」に向かい、一郎の実父にいろいろ話をしに行ったのではないか。

一郎を旅行に連れ出させるために、あえて一郎の義憤を引き起こさせるように話を改変し、自身を軽薄にみせかけるようにした。

それが、長野父の拵えた「プログラム」なのだ。

「信頼できない語り手」二郎は、「女景清」話を聞いたその当時の感想としては、なぜ「こんな話をするのだろう」としている。
しかし「今現在も父がこの話をした意味が自分には不明である」とは一言も書いていない。

二郎は現段階では知っているのだ。父がこの話をした意味を。


5、(追記)長野家の得意技


以上のように私の推察では、「長野父があえて一郎を長期旅行に出立するよう仕向け、その間に事を進めた」ことになる。

そしてこのやり方は、長野家の得意技である。

4、5年前にも長野家は、二郎が富士登山旅行に出た隙を狙って、二郎に秘して、お兼と岡田とを結婚させていたではないか。

「行人」冒頭で語られたこの二郎の旅行中の話は、終盤の一郎の旅行に、しっかり対応していたのである。

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