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夏目漱石「行人」考察(29)長野父は婿養子

大正元年(1912年)連載開始の夏目漱石の小説「行人」。
この小説の主人公・長野二郎の父親は、なぜか下の名が明かされないままである。
この「長野父」が、いわゆる婿養子であると推察した。
論拠は以下の2点である。

① 長野父の実家・親族に関する話が全く一つもない
② 妻であるお綱のほうが、お金を持っており実際に家庭内での権力も強い

これらについて、敷衍していきたい。

1、長野父の実家や親族の話が皆無

長野母(お綱)の親族関係については、2か所ではあるが語られている。

岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎い親類とばかり覚えていた。

(「友達」一)

「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。

(「兄」十一)

今思ったが、ここでわざわざ「封建時代」という言葉を、綱の親族に絡めて出している。やはり長野家(特に綱側)の階級意識と、本家・分家意識を表している。

これらに対し、長野父については、その実家の話も、親族の話も皆無である。
手持ちの文庫で全465頁もある中で、一か所もふれられていない。

上記引用の「兄・十一」のように、二郎は子供の頃に母の親族に関する思い出があると示されている。しかし父に関しては一つも記されていない。

他の漱石作品「それから」においては、主人公:長井代助の父である実業家:長井得に関し、その過去や親類について細かく描写されている。それとは全く異なるのだ。


2、長野母(綱)のほうが金も権力もある


2(1)長野父は(今では)金がない

お金をめぐる二郎とのやり取りのにおいて、綱と長野父とが、かなり離れた時点で対照的に書かれている。

大阪旅行中、三沢が芸者の「あの女」に渡すために、二郎が岡田から借りた金につき、二郎が綱から岡田への返済分を出してもらうとする場面

「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「何も出して上げないと云ってやしないじゃないか」
 母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、何の必要があって、自分までこの年寄を苛めるかと云わぬばかりの心細さが籠っていた。自分は母のいう通り元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無恰好な態度で、さも子供らしく母から要るだけの金子を受取った。母が一段声を落して、いつものように、「兄さんにはないしょだよ」と云った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。

(「兄」七)

二郎が家を出て下宿をすると決め、それを父に伝えようとする場面

父は長い手紙を裾すその方から巻き返しながら、「何か用かね、また金じゃないか。金ならないよ」と云って、封筒に上書を認めた。

(「帰ってから」二十五)

このように、綱は苦言を呈しながらも二郎にすぐ現金を渡してやっている。しかもおそらくはそれなりに多額であろう(二郎も三沢もそれなりに金を持っているだろうのに、わざわざ借りなければならなかったほど)。

しかし対照的に、長野父は話も聞かずにいきなり、「金ならないよ」と、理由に関係なく金は出せないと言い出している。「また金じゃないか」とあるので以前はともかく、この時点でもう自由に使える金はあまり持っていなさそうだ。

さらにここから少し後で、また金に関する話題がされる。

次の間は電灯で明るく照されていた。父が芳江に何か云って調戯うたびに、みんなの笑う声が陽気に聞こえた。すると突然その笑い声の間から、「おい二郎」と父が自分を呼んだ。
「おい二郎、また御母さんに小遣いでも強請ってるんだろう。お綱、お前みたように、そうむやみに二郎の口車に乗っちゃいけないよ」と大きな声で云った。

(「帰ってから」三十二)

7個前の章で長野父が「金ならないよ」と発言している。しかしここでの長野父の、「また御母さんに小遣いでも強請ってるんだろう・むやみに二郎の口車に乗っちゃいけないよ」との発言は、綱のほうは二郎にやろうと思えばすぐやれるだけの金を、手元に保有していることが前提となっている。そう読める。

またこれはわかりやすく明記されているが、一郎夫妻らの大阪旅行の費用は、綱の所有していた不動産の売却金である。

自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末の地面が、新たに電車の布設される通り路に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連つれて旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟な計画になったのではなかろうか。

(「兄」一)

なお、二郎の記述を見る限り綱は主婦であり、美容師や自営業等、当時の女性が金を稼げる職業に就いていた様子はない。
綱は相当な相続財産を有していたと思われる。しかし長野父には、そういったものはなさそうだ。

2(2)家庭内の権力でも綱のほうが強い


お貞をめぐる考察でも引用したが、お貞の縁談話が持ち上がった際、まずお重からだという長野父の意見は、綱に押し切られている。

お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山ない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地に多少譲歩している父も無事に納得した

(「帰ってから」十)

他にも、そもそも「行人」はその冒頭から、綱が主導して物語が動いているのである。

梅田の停車場を下りるや否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。
(略)
母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入の菓子を、御土産だよと断って、鞄の中へ入れてくれたのは、昔気質の律儀からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控えているからであった。

(「友達」一)

さらに、お貞と佐野の結婚についても、家長であるはずの長野父ではなく、綱が最終の決裁をしているのだ、また二郎に様子見をさせたのも長野父ではなく、綱である。

自分は東京を立つとき、母から、貞には無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。
(略)
「先方があまり乗気になって何だか剣呑だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」
 自分は母からこう頼まれたのである。

(「友達」七)

しかもそのような長野両親の力関係は、岡田-お兼夫妻においても共通認識のように示されている。

だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた。
(略)
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初めからきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟をいうのが厭になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼った。

(「友達」十)

お母さまが御満足なさる」とお兼も完全に綱を主眼として発言し、それを岡田も肯定しているのである。長野父の意向についてはあまり気にもしていないように描写されている。

長野父よりも綱のほうが家庭内権力が強いことは、周知の事実なのである。


3、長野父が婿養子であることの意味


以上論じてきたが、それでは長野父が婿養子であるとして、それがどういった意味を物語にもたらすのか、夏目漱石はそれでなにを表現したかったのか。

「生家を失った者の、悲哀」

これだと思う。

何度も指摘するが、作者:夏目漱石こと夏目金之助は生まれてすぐに塩原家に養子に出され、9歳頃に養親夫婦の離婚トラブルがきっかけで、夏目家に引っ越した。しかも引っ越し後には夏目家と塩原家がトラブルになり、金之助が「夏目」姓に戻ったのは20歳頃であり、それまでは「塩原金之助」であった。夏目家で生活しながらである。

漱石の意識にとって、塩原家と夏目家の、どちらが「生家」であったのかは不明である。しかしたとえ「夏目」に正式に復籍した以降も、自身が夏目家の本来の家族である、との感覚は持てなかったのではないか。

3(1)「鉢植」はそんなに悲哀ではない

このことと似てはいるが異なる表現が、直の言葉として顕出されている。
二郎の下宿を急に訪れた、二人切りの(下女はいるが)場面。

「男は厭になりさえすれば二郎さん見たいにどこへでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんかちょうど親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立枯になるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」
 自分は気の毒そうに見えるこの訴えの裏面に、測るべからざる女性の強さを電気のように感じた。そうしてこの強さが兄に対してどう働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。

(「塵労」四)

悲劇のヒロインのような口ぶりだが、直に悲哀は感じない。少なくとも私は全く悲哀は感じなかった。
何故ならば、以下の2点である。

① 直がその気になれば二郎なり誰か男性を本気で誘惑すれば、「誰か来て動かしてくれ」る男らはすぐ見つかるだろうから

② ややすると「二郎さん、あなたが私を動かしてほしい」と直が誘っているかのようにも見えるが、しかし直接的には決して誘ったり愛の告白はしていないという、「三四郎」の里見美禰子を髣髴とさせるいやらしさを、私が勝手に感じたから。

ここで引用の「鉢植」のたとえは女性に対するものとして言われている。
しかし、より権力の強い、裕福な家に養子に出された男性も、「とても動けやしない鉢植」に該当しないだろうか。
時代劇「必殺仕事人」で藤田まこと演じる主役の侍は婿養子であり、嫁からは冷たくされ、姑からも「婿どの!」と叱られ、いびられているという設定であった(無論そんな男が実は殺人を仕事にしている剣の達人というのが設定の妙である)。

そして直と違い、長野父には、「鉢植を動かしてくれる誰か」は、もう現れないだろう。

それどころか、「鉢植」よりも余程辛い状況に長野父があるのではないかと思われる例えが、前半に存在する。

3(2)鉢植えよりも苦しい「犬」

大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬なら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒へ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上るのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河の清水を飲もうとするのを、車夫が怒って竹の棒でむやみに打擲くから、犬がひんひん苦しがりながら俥を引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。
「厭だねそんな俥に乗るのは、可哀想で」と母が眉をひそめた。

(「兄」六)

しかし一行はすぐに有馬ではなく和歌の浦行きを決めるので、このエピソードは宙に浮いた感じがする。
しかしここで注目すべきは、二度出て来る「綱」だ。犬に付けられる「綱」。
この点、綱ではなく、「太い紐」とか「縄」と表現しても意味は通じそうである。それをわざわざ、長野母の名と同じ漢字一文字を用いているのである。

やはり、そこに意味がある。そう解釈しないと、このエピソードが浮いてしまう。
ここでいう「綱」が、長野母だとしたら、長野父はなにに該当するのか。
むろん、「犬」である。

竹の棒で打擲(打ち叩)かれ、ひんひん苦しがりながら俥を引く
これが、長野父の立場なのである。
これに、「厭だねそんな俥に乗るのは、可哀想で」とすぐに反応したのが長野母、すなわち「綱」である。

生家を失った男・長野父の立場はそんな「犬」なのである。

そう夏目漱石は描いた。生家を失った男として。

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