夏目漱石「三四郎」⑥ 女は絶対的な他者である

1、謎のヒロイン・里見美禰子


夏目漱石作品の特徴に

・ヒロイン女性が内心でなにを考えていたのか不明なまま話が終わる

との点がある。
ヒロイン女性の内面に、小説の語り手は一切入り込まないのである。
小説の語り手が主人公男性にせよ客観描写であるにせよ、主人公の内面、主人公がなにを見てどう思ったのかについてはしっかりと描写されるが、ヒロイン女性の内心については、不明なのである。

かつ、それが終盤で「実はあの時は~」と種明かしされることもない。
ヒロイン女性が一体なにを考えていたのか・どう思っていたのか・あの言動はどういう意味や動機であったのか
すべての答え合わせはなに一つないまま、話は終わる。

代表例でいえば「こころ」のお嬢さん(静)だろう。あの話を端的にいえば「なにを考えてるかわからないヒロインを好きになった男二人が、二人とも自殺した」という筋である。
他にも「行人」の兄嫁(直)もそうだし、「それから」の三千代も主人公にアプローチかけてるのは明らかだが、いつ頃からどの程度好きだったのかは不明なままだ。「坊っちゃん」のマドンナに至っては漱石作品中で知名度でいえば屈指のヒロインなのに内面性どころか台詞すらない。

そして「三四郎」のヒロイン・我らが(?)里見美禰子も、まさにそれである。

そのため、「三四郎」の感想・評論では、
「美禰子の内心はこうだったのでは」との推理がよく見られる。
・美禰子は実は三四郎を一時期好きだったのに、三四郎がすぐに反応しないから冷めた、であるとか、・美禰子が好きだったのは野々宮宗八だが野々宮の反応が薄いので当てつけに三四郎と仲良くしてみせたとか、・単に三四郎が身近にいた男性なので半分からかったり自身の魅力で翻弄して楽しんでいただけだ、等々である。

なお私は、わからない。
里見美禰子が内心でなにを考えていたのか、全くわからない。
自分がそれがわかるような人間であるとも、思われない。

こういった「謎」こそが、ヒロイン女性の魅力や作品の面白さを増しているといえるだろう。

2、モテない男のリアリティー


既に再三書いたが、三四郎には実にリアルな「モテない男あるある」が多数ある。
・美人との結婚+都会での成功を夢みる田舎の若い男
・美人からちょっと仲良さそうなそぶりをされて完全に好きになってしまう
・好きになった美女のことで頭がいっぱい。その女の言動ひとつひとつに気持ちが動かされてしまう
・自分が告白すればその女性との関係が良くなると信じ込んでいる
・しかし告白したら全くそんなことはなく、聞かなかったことにされてしまう
・その予想外の反応にとまどい、思わずもう一回告白してしまう
・見事に迷惑がられる
・自分にはなにも告げずに女は既に婚約している。自分の全く知らない男と。
・それを本人ではなく知人から伝えられる
・女が一時期仲良くしてくれた頃の回想にひたり出す
・既に女は結婚してこちらとは無縁の新しい生活を始めているのに、自分はいつまでも失恋を引きずり、さまよったまま

「モテない男あるある」を並べただけで話の筋になってしまった。
そして、筋ではなく「三四郎」全体に共通している「モテない男あるある」は

・女がなにを考えてるかわからないまま

これである。

—― 三四郎は近頃女に囚われた。恋人に囚われたのなら、却って(かえって)面白いが、惚れられているんだか、馬鹿にされているんだか、怖がって可いんだか、蔑んで可いんだか、廃(よ)すべきだか、続けべきだか訳の分からない囚われ方である。三四郎は忌々しくなった。
(略)
―― 実際に交渉のある或(ある)格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一遍考えてみた。ところが気障(きざ)か気障でないか殆んど判断が出来ない。三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなかろうかと疑い出した。
(以上「七」)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

これも要は、「美禰子の内心がわからん、俺のことを好きっぽい言動もあったしもしそうなら大歓迎だけど、違うならこんな悩むだけ無駄じゃん、ああ女心わからない俺ダメだわ」ということである。

ふと思い出したが、学生時代にある友人が、
「いま恋人募集中なのかそうでないのかを、みんな一目ですぐわかるようにしておいてほしい」
と愚痴をこぼしていた。募集中でないとわかっていたら最初から頑張って仲良くなろうとしなかったのに、ということであろう。私も同感した。まだマッチングアプリなどない遥か昔のお話です。

3、私の話


そして私自身も、三四郎や他の漱石作品に出てくる男達と、同じである。

好きになった女が、内心でなにを考えているのか、全くわからなかった。
わからないまま、話すことも会うこともなくなっていった。向こうの人生から私はフェードアウトした。あるいはフェードアウトさせられたというべきか。ただ一人を除いて。
少しは向こうも俺のことを好きなんじゃ、と思ったケースもあった。ほんのわずかな人のほんの一時期だけの話だが。
それを聞いてみたいと思っても、もう連絡する手段もない。そもそも、それを聞いても意味はないが。
あの時、あなたは内心ではどう思っていたのか。あの話の時、あなたはどういうつもりだったのか
気になっているのは私だけだ。聞いてみたくとももう連絡手段もない。また仮に会えて聞いたところで、あれこれと覚えているのは私側だけだろう。

だから私は夏目漱石の作品がすきなのだ。
好きになった女が内心でなにを考えているか不明。不明なまま、話は終わる。

三四郎は俺だ

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