夏目漱石「坊っちゃん」⑤ 坊っちゃんには友達も恋人もいない

「坊っちゃん」の主人公:坊っちゃんは孤独である。
小説の文体が快活な江戸っ子っぽい語り口調なので、「雰囲気」は明るい。
しかし内容は孤独である。物語の主人公としては異常なほどに。

1、坊っちゃんに恋人も恋人候補もなし

この世の多くの物語において、男性の主人公は、女性にモテているか、少なくともヒロイン女性一人には好かれている設定である。
しかし、「坊っちゃん」には、主人公の恋人になりそうな異性とか、主人公といわゆる「友達以上恋人未満」の関係の異性は出てこない、一人も。
坊っちゃんと仲が良い女性としては、お手伝いの「清」がいるが、清は坊っちゃんいわく、「婆さん」「元は身分のあるものでも教育のない婆さん」(「一」)であり、恋愛対象ではない。
他にもある程度親しかった女性としては、「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」と会話していた四国での下宿の「お婆さん」ぐらいである。二十代前半である坊っちゃんの、恋愛対象になりそうな異性は一人もいない。東京にも、四国にも。

これがまだ、フィクションとして恋愛や結婚といった要素を完全に排除しているお話であれば、同年代の異性が全く出てこない設定だとしても理解はできる。
しかし「坊っちゃん」は既に見たように、「ヒロインが婚約者を見捨てて悪役と付き合うことを選択する。その理由は(おそらく)お金」という、恋愛・異性選択の出来事があり、そこからのトラブルが物語の重要な要素となっているお話である。
また坊っちゃんはマドンナを遠くから眺めただけで、

 色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人
(中略)
 全く美人に相違ない。何だか水晶の玉を香水で暖(あっ)ためて、掌(てのひら)で握ってみたような心持ちがした。

(「七」)

(※著作権切れにより引用自由です。
改正前著作権法・死後50年経過(現著作権法では死後70年)。夏目漱石は大正5年(1916年)死去。享年49歳)

と感想をあれこれ並べ立てるほどに、マドンナの容姿に着目している人間であり、女性に興味がないわけでもなさそうだ。ついでに言えば赤シャツにはマドンナ以外にも、ある芸者の女性と仲が良いことも示されている。

こういった恋愛や男女関係のエピソードがあるにも関わらず、「坊っちゃん」は冒頭から結末まで、主人公には恋人も、仲の良い同年代の女性も、一人もいないお話なのである。
真面目な物語の主人公には、通常ない設定である。

(2)坊っちゃんには親友も一人もいない

物語中に、坊っちゃんに親友らしき人間は一人も出てこない。
そもそも友達らしき人もいない。子ども時代の回想で一緒にいたずらをした仲間がいたぐらいである。

唯一、四国での同僚教師である「山嵐」とは、終盤は行動をともにし、二人で赤シャツ達に制裁を加え、ともに四国を去る。
しかし坊っちゃんは山嵐とも仲が良いわけではなく、四国から離れた後は、次の描写のみで山嵐は物語からあっさり退場する。

神戸から東京までは直行で新橋(※)まで着いた時は、ようやく娑婆(しゃば)へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分かれたぎり今日まで逢う機会がない。
(「十一」)

この一言だけで山嵐についての描写は終わる。山嵐がその後どこへ向かい、どうなったかの話は全くない。山嵐は会津出身と作中で語っているので、新橋から福島県に帰郷したのかもしれないが、それすらも書かれていない。

 (※:現在の新橋駅とは別の駅。大正3年(1914年)に東京駅が開業するまでは旧新橋駅が、現在の東京駅のような汽車の東京における終着・始発駅でした。なお「坊っちゃん」は明治39年(1906年)の作品。他の漱石作品においても、船ではなく汽車・電車で出掛けたことを「じゃ船ですか」「いいえ矢張(やっぱ)り新橋から、、、」との会話で示す例があります(「行人」)。

(3)坊っちゃんは身内とも生徒とも交流がない

既に両親は病死しているが、唯一の肉親である兄とも子供のころからあまり仲は良くなく、坊っちゃんは子供時代の回想で兄のことを

 元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。
(「一」)

と評している。
(注:この部分だけみると女性蔑視のようですが、こんなことを書きつつ、夏目漱石の他の小説に出てくる男性たちは、女性を好きになっては悩み、翻弄され、苦しみ、時には命を絶ってしまう人も出てきます。できれば漱石の他の小説も読んだうえで、この一節を再度、読み返してほしいと思います)

この兄とも関係は淡白で、亡くなった父親の遺産分割をすませると兄は仕事で九州に移るのだが

 新橋の停車場で分かれたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
(「一」)

このように先の山嵐と別れた描写と同じようにあっけなく兄と別れ、その後も再開どころか連絡を取った様子も語られない。序盤で兄は物語から完全にフェードアウトしている。

さらに、坊っちゃんは教師だったが生徒達とも仲は良くない。上述のように教師を辞める際に、同僚にも生徒達にも一言の挨拶もしようとせず、辞表を郵便で出しなんの未練もなく一日で四国を去っていった。生徒や同僚と別れる未練など坊っちゃんは一切感じていない。

このように坊っちゃんは極めて孤独な主人公である。
たとえば主人公が事情があって正体を隠して生活しておりそのために孤独という設定はあるだろうが、坊っちゃんは一般人で、教師として堂々と普通に生活している。そのような主人公が、ここまで孤独というお話は、他にはまずない。

これもまた、「坊っちゃん」とは坊っちゃんの遺書なのでは、と。

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