夏目漱石「行人」考察(40)二本目の敷島
夏目漱石「行人」。和歌山の夜で嫂:直と二人きりになった二郎。
前回の記事で、「翻弄されてるように見せかけて実は二郎は冷静では」と推察した。
そう思うますます二郎が冷静に見えて来る。
1、煙草のけむり
1(1)折れた敷島の吸殻で二郎のうそはわからない
蚊帳の中で直が再度、死について語る。より自殺願望めいたものを強めに出す。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
私は前に、自死をめぐる直と二郎の会話において「もし直が死んだら娘の芳江はどうなるのか」を双方とも全く一度もふれない・二郎の内心でも全く想起すらされないのが不自然だと考えた。
その不自然に対する私の回答は「芳江は直の実子ではない」である。
ちなみに「坊っちゃん」でも坊っちゃんが自殺を考える場面が一瞬だけある(「七」)。坊っちゃんは唯一の肉親である兄とは三年以上会っておらず他に家族はいない人間である。その坊っちゃんは(もし自死なんかしたら)「先祖へ済まない」と気にしている。
話を二郎に戻すが、やはり二郎は冷静ではないか。直から「死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ」と、素直に受け取ればこれまでの長野家での日常生活でもこの大阪-和歌山旅行の最中でも、死ぬ事を毎日毎日考えているのよと告白されたのである。激しく動揺してもよさそうである。
しかし二郎は、特段慌てることもしなかった。
黙って「二本目の」「敷島」を吸い出したのである。何本目の煙草であるかと銘柄とを明確に把握している。「気が付いたら吸い殻がたくさん増えていたー」というような動揺は示していない。
「折れた煙草の吸殻で あなたの嘘がわかるのよ」という歌詞がある(「うそ」作詞:山口洋子)。私は煙草を吸わないので想像でしかないが、動揺してるとタバコを吸い変えるペースや消し方にいつもと違う様子が出るということだろうか。
そうすると、ここでの二郎はうそを付いていない、もしくはうそを付いても他人にはわからないと。
1(2)一本目の紙巻
ちなみに遡るが「二本目の敷島」が「三十八」の終盤であるが、「三十七」冒頭に一本目の煙草が書かれている。
ここでは二郎は動揺しているように見える。
この後に直の「妾死ぬなら首を縊ったり咽喉を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌いよ」が出て来る。
引用のように当初は「紙巻・煙草」だったものが、二本目では「敷島」と具体的な銘柄が記述されている。
まるで直の自殺願望告白によって冷静さを取り戻したようだ。
そう思って見てしまうと、直の手練手管が少し鈍ったようにも見える。急に停電となった暗闇で無言で帯を解く音を聞かせたこと(三十五)に比べれば、「三十七~三十八」の「嘘だと思うなら、和歌の浦まで伴れて行って頂戴」は少し弱い気がする。この時点から実際に和歌の浦まで二人で行くことなどあり得ないからだ。
さらにいえば、直の言動から「色気」がなくなっている。暗闇で「さわって御覧なさい」と声を掛け帯を解く音を聞かせたのと比べると、「死に方」話を振りかざされると恋愛めいた雰囲気はなくなるであろう。まるで「私と心中する覚悟がないなら手を出すなよ」と、告白する前からくぎを刺されたようだ。
2、一郎の「プログラム」
今更であるが、この「二郎と直が二人で外出」は、一郎の企画である。
紀三井寺のベンチで夕方頃
(もし和歌山旅行する機会があればぜひ紀三井寺に行き、ベンチに腰掛けて「直の節操を御前に試して貰いたいのだ」とつぶやきたい)
これを見ると、そもそもこの「大阪-和歌山旅行」に一郎夫妻が来たこと自体、少なくとも一郎の目的は「直の節操を二郎に試させる」ことにありそうだ。
そして宿泊ではなく二人での外出で二郎を合意させたのも、おそらく一郎の予定通りであろう。流石に母・兄夫妻・弟の旅行先で兄嫁と弟とがいきなり一晩宿泊するなど不自然すぎる。そして二郎も外出には特段抵抗していない。
ちなみにこの場面の少し前と物語の後半に、一郎の計画を指すような単語が旅行関連で書かれる。「プログラム」と。
こうして旅行計画・旅行内での行動計画として「プログラム」との単語が複数回使用されている。
むしろ「プログラム」とは評されなかった一郎の企画こそが、「此方で拵えた勝手なプログラム」と呼ぶにふさわしいものであろう。その結果が「取り返す事も償う事もできない」事態になったのは皮肉なのか。
あるいはその結果も含めてプログラムされていたのか。
既に何度か指摘したが、旅行中に二郎と直が二人だけで出掛けるなど明らかに不自然である。綱(長野母)は何度も異を唱えている。
直に対してどの段階で、一郎と二郎のどちらが予定を告げたのかは不明である。しかし「直と二郎が二人で外出すること」及び「それは綱がどれだけ反対しても実行すべきこと」このプログラムが旅先で急に決まった不自然さは、当然直にも伝わっていたはずである。
それを踏まえて、直は二郎に暗闇で帯を解く音を聞かせていたのである。
そして二郎も、直があえて色仕掛けまがいをやっていることを、承知していたと思われる。
(この考察続けます。)
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