夏目漱石「行人」考察(20) 「行人」は一年間の物語


夏目漱石「行人」は、「友達」33章、「兄」44章、「帰ってから」38章、「塵労」52章の、計四章で構成されている。

1、夏


物語はこう始まる。

 梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。

(「友達」一)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

この時点で、季節は、
 縁側のない座敷の窓へ日が容赦なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床の間に懸けてある軸物も反っくり返っていた。
(「友達」二)
とあるので夏である。

その後に大阪や和歌山の暑さが度々ふれられている。
「友達」「兄」は夏の話だ。

2、秋


そして、「帰ってから」の「五」、既に主人公らが東京に帰ってしばらく経過し
 自分は秋に入ると生れ変った様に愉快な気分を時々感じ得た。
と秋に入る。

秋の間の出来事としては、


・直、お重に「あなたも早く佐野さんみた様の方の所へ入らっしゃいよ」と言って泣かす → お重が長野父に泣きつく → 父、お重を三越に買い物に連れ出す。
(「帰ってから」十。
 ただし語り手の二郎がこのエピソードをどう知ったのかは不明。現場にいたのか?)

・長野家に来客が訪れ、父が「盲目の女」の話をする
(「帰ってから」十一~十九)

・「二十」 そのうち秋が段々深くなった。

・一郎と二郎がもめる。 「この馬鹿野郎」「お前はお父さんの子だけあって、世渡りは己より旨いかも知れないが、士人の交わりは出来ない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児め」
(「帰ってから」二十一・二十二)

・二郎、家を出ることを決意。家族にそれを伝え、下宿する。一郎からは「お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとする積だろう」
(「帰ってから」二十三~二十九)

・二郎が三沢から、一郎が講義でおかしかったこと(Hからの伝聞)、「精神病の娘さん」の法事の話を聞く
(「帰ってから」三十・三十一)

・「三十」の時点で、「初冬の寒さ

・長野母から二郎が、一郎が熱を出して「妙な囈語を云った」と聞かされる
(「帰ってから」三十二)

このあたりまでが、「秋」の話だろうか。


3、冬

以下は、冬の出来事

・大阪から佐野・岡田が上京し、お貞の結婚式が行われる
(「帰ってから」三十三~三十六。三十三で、岡田と佐野は、氷を裂くような汽車の中から身をふるわせて新橋の停車場に下りた。

冬はずいぶんとすぐに過ぎたようだ。

 お貞さんが去るとともに冬も去った。
(「帰ってから」三十七)


4、春

そして、「塵労」は、春の迎えとともに語られる

 陰刻な冬が彼岸の風に吹き払われた時自分は寒い窖から顔を出した人のように明るい世界を眺めた。
(「塵労」一)

春の出来事は以下のとおり


・直、予告なしに二郎の下宿を訪れる → 二郎が精神に混乱をきたす
(「塵労」一~六)

・直の突然の来訪から、「五日目の土曜」に、長野父が二郎の勤務先に電話を掛ける。
・二郎の下宿に大阪の岡田から岡田夫妻と佐野夫妻とが出掛けた記念の絵葉書が届く
(「塵労」六)

・日曜、長野父が二郎の下宿を訪れて、「この棒の意味が解るか」などと語り、外出し、実家に連れてくる
(「塵労」七~十二)

・三沢の結婚がきまる
(「塵労」十三)

・「十七」において、以下のように一気に4月から、6月2日まで時が進み、夏となる。

冒頭 四月は何時の間にか過ぎた。
(略)
 大阪の岡田からは花の盛りに絵端書が又一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。
(略)
 五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。(略)「六月二日音楽演習相催し候間同日午後一時より御来聴被下度候此段御案内申進候也」
(略)
 六月二日は生憎雨であった。


5 夏(二度目)


・六月二日の音楽会。二郎が三沢が招いた「もう一人の女」を眺めてチェックする。
(「塵労」十七~二十)

・Hが一郎を旅行に連れ出すことが決まる。二郎がH宅を訪れて旅行中の報告を要求する
(「塵労」二十一~二十三)

・(細かい時期不明)大阪岡田から二郎の元に、「相応な地位が彼地にあるから来ないか」旨の手紙が届く
(「塵労」二十四)
・同じく「二十四」で、一郎とHが旅行に出かける。直が二郎に「お父さんが貴方へ知らせて置けと仰るから」と言って電話でそれを知らせる。


 ― 大学で講義をしている一郎が旅行に出掛けたということは、「二十四」の時点で夏休みに入ったということか。

・二郎、実家を訪れる。この際に二郎と直が、「宅じゃもう氷を取るんですか」「ええ二三日前から冷蔵庫を使っているのよ」と会話したり、「平吉という男が裏から出て来て、庭に水を打った。」とあるから既に7月か8月に入っていると思われる。
(「塵労」二十五~二十七)


そして、Hの長い手紙によって語られる一郎との旅行は、暑い夏の最中である。

「行人」は、語り手から見たリアルタイムでの進行としては、約1年間の物語であった。

またこれから、物語開始以前の時系列について、確認してみたい。


6、追記

以前に私は、「芳江が一郎-直夫妻の子ではない」と推察し、その間接的な証拠として、「誰一人、一郎や直に、『そろそろ二人目の子を~』とか長男である一郎に長男誕生を期待した話をしていない」事実や、「一郎夫妻が露骨に険悪なのに誰一人として離婚を云い出さない(二郎が内心で一度ふれるのみ)」事実にふれてきた。

今回「行人」の経過を見直して、一年間に渡って、誰一人・一言も上記の話をしていないのは、「不自然だとわかるように書かれた不自然」であると思った。

お貞の結婚直前、岡田が酔って、一郎をめぐる長野家の微妙な関係について堂々といじりまくる場面がある(「帰ってから」三十三)。

「尤も一郎さんも善くないと僕は思いますよ。(略)然し二郎さん始め、お直さんや叔母さんも好くないようですね。」

ここまでのうのうと言ってのける岡田ですら、一郎夫妻の二番目の子や、「長男の長男」はまだですか、とは口にしないのである。一言も。しかも序盤で自身とお兼に子がいない話題を二郎にふっておきながらだ(「友達」四)。

やはり、二郎が書いていない事情がなにかある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?