【連載小説】夜は暗い ⑤
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ビルの地下にあるコロラドを出て、時計を見るとまだ11時を数分過ぎたところだった。
何が終電だ…
岩田は私に払わせる場面に一緒に居たくなかったんだろう。だから、幼稚な嘘をついた。
新宿に向かう通りはご機嫌で幸せそうな人間で一杯だった。
歩きながら私は石堂へ電話をかけた。石堂はすぐに出た。
「黒崎、うちに来るのか?」
「ああ、今新大久保だ」
「待ってる」
相変わらず石堂は無駄のない男だ。
必要最低限の言葉で用件を済ます。
私は石堂のジムがある新宿2丁目を目指して歩いた。
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私は夜の新宿を歩くのが好きだ。
夜は暗い。
暗いとネオンや電飾看板がキラキラと光り、車道を通る車のヘッドライトですら輝いて見える。
暗いお陰で色んなイヤなものを見えなくしている。
世の中全般のイヤなものをだ。
人の中身も見えなくなる。
夜の街で、人はまるで虚構の世界を生きてるかのように振舞う。
夢うつつの世界だ。
人は日々の暮らしを懸命に生きている筈なんだが、何故か夜の街はそれを隠してしまう魔力を持っている。
そんな事はあり得ないのに、夜の時間だけは叶うような気がしてしまう。
私は元刑事だ。
その時も私は夜の勤務が好きだった。
夜に起きる犯罪には私の中のアドレナリンを沸き立たせるものがあった。
だから、私は暗い夜が好きだ。
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石堂のジムは、場末感が漂う雑居ビルの中に入っている。
下はコンビニで、ビルの玄関には路上飲みをしている外国人が車座になって座っていた。
私は彼らの邪魔にならないように脇をすり抜けるように歩き、ビルの中へ入った。
このビルは6階建ての昭和時代のビルで、今時あまり見ない横に長いフォルムのビルだ。
横に長いビルの正面の階段は、大きくゆったりとしている。左端に4人乗りのガタガタいうエレベーターがあるのだが、そんなものに乗るぐらいなら階段を上った方が気分がいい。
しかし、それは石堂のジムが2階にあるから言えるのであって、3階以上なら私は迷わずエレベーターに乗るはずだ。
2階に着くと、右側に「石堂トレーニングジム」というロゴが入ったガラス扉がある。その扉からは右側にずっと全面ガラス張りになっており、石堂ジムは、全部のフロアに電灯がついていて、白色蛍光灯の青白い光で明るくなっていた。
フロアには全面に青いウレタンマットレスが敷き詰められており、右の奥にはサンドバッグやパンチングボールがある。ここは、痴漢撃退の自衛策としての対処術等を教えたり、ボクササイズみたいな格闘技ではないトレーニングを教える教室で、石堂はそのオーナー兼トレーナーだ。
部屋は明るいが、中には誰もいない。私はガラス扉を開けて中に入った。
右の器具が設置してある壁の向こうは事務所になっている。私はそのドアをノックした。
すぐにドアが開くと、大音量のカラオケが聞こえた。歌はお世辞にも上手いとは言えず、大きく音を外し気味だ。石堂だ。
石堂はB’zの熱狂的なファンだ。
事務所は完全防音になっており、石堂のデスクの後ろの壁にプロジェクターから出されたカラオケの動画が映っている。
真ん中には応接セットがあり、そこには石堂の部下であるファン君と金次郎君が座り、手拍子を打っている。
プロジェクターは天井吊り下げ方になっており、その下には小さいステージがある。そこで石堂はマイクを握り、今はラブファントムを歌っている。
エライところに来てしまったなあ…
石堂は歌いながら、左手で応接セットの右側のソファを指差した。私にそこへ座れと言ってるのだ。私は言われるがままにそこへ座った。
ローテーブルの真ん中にはカセットコンロがあり、その上に鉄板を置き、モツを焼いていた。
ファン君が私に訊いた。「黒さんはまだ飲みませんよね?」
「ああ、炭酸水をくれないか?」
「分かりました」そう言って、ファン君はドアを出て行った。給湯室にある冷蔵庫へ向かったのだろう。
金次郎君が「黒さんもモツ食いますか?」と訊いた。
「いや、さっき食べたところなんだ。今は腹一杯でね」と私は答えた。
石堂はシャウトして歌い終わった。
次の曲は入れてないらしい。途端にこの部屋に似合わない静寂が訪れた。
石堂はステージを降りて、私の対面のソファに腰を下ろして「真っ直ぐ来たのか?」と言った。
「ああ」ファン君が炭酸水を持って帰ってきた。
「相変わらず夜は飲まねえんだ?」
「そうだ」
「俺なんて、もうへべれけだよ」
「何時から飲んでるんだ?」
「教室が終わるのが9時だからな。そっから片付けなんかをしてたら、あっという間に10時だ。だから10時からかな?」
「まだ11時半だぜ?1時間半でへべれけか?そりゃないだろう…」
「嘘だよ、まだ全く酔ってこねえ。これからだな」
「それで、若いこの二人にも朝まで付き合わせるのか?パワハラだし、モラハラだぜ」
「バカ野郎、こいつらは俺が何してたって、自分が腹一杯になって、好きなだけ飲んだら、とっとと帰っちまうんだ。まあ、酒以外は片づけて帰ってくれるがな。そうだろう?」
「ええ、俺ら、もうそろそろ帰りますよ。今日は黒さんがお見えになるってんで残ってただけですから」とお調子者のファン君が明るく答えた。
「そうかい、そりゃ悪かったなあ。僕のせいで二人とも残業だったんだ?それは本当に申し訳ない」
「いや、大丈夫ですよ。お陰でモツ焼きを食えましたし、ビールも飲みましたんで…じゃあ、社長、黒さんはモツ焼きを食べないそうですので、コンロと鉄板だけは片しますね」
「ああ、頼むわ。じゃあ俺は黒崎とあっちで話してくるから。黒崎、ここを出よう」
「ああ」
私は石堂に促されて部屋を出て、隣にある更衣室へ入った。
更衣室には、長いベンチが二本あった。石堂がベンチをまたぐように座ったので、私も対面するようにまたいで座った。
「で、用件は何だ?」
「薬の売人を探したいんだ。薬って言っても合法の方だけどな」
「頭痛薬とかか?オーバードーズだな」
「そう」
「未成年相手?」
「その通りだ」
「そんなんなら、お前のビルの下でスカウトやってるあの白い髪の兄ちゃんに訊けばすぐに分かんじゃねえか?うちでも若いヤツに聞いてまわらせりゃ、割とすぐに分かるだろうけどな」
「デビッドだな。ヤツには一番最後に話を聞くつもりなんだ。その前に分かる事は分かっておきたいんだ」
「分かった。でも、ガキに薬を売ってるヤツなんて、ここには何人かいるだろう?特定したいのか?」
「そう。まず第一に咳止め薬を未成年に売ってるヤツで、そいつが売った客の中にAリサというハンドルネームのJKがいるヤツを探してるんだ」
「Aリサね。その娘の特徴は?」
「それはまだ分からん。後でSNS何かをさらったら顔写真ぐらいは見つけられるだろうから、見つけたら送るよ」
「で、その売人を見つけられたら、お前はどうするんだ?昔の仲間の刑事にそいつを売るのか?」
「いや、そんな事はしない。ただ話を聞くだけだ」
「話を聞くだけ?面白い、乗ってやるよ。明日からでいいな。今日はファンも金次郎も帰ってしまうからな」
「結構だ」
「で、協力した見返りは?」
「若い女の子を救うのに協力出来て、清々しい気分になる」
「つまりタダだな?」
「うん」
「よかったよ、お前にモツ食わさなくて…」
「じゃあ頼んだよ」
私は部屋を出た。
奥の給湯室でファン君と金次郎君が鉄板を洗ったりしている音が聞こえた。
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