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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】 最愛 #9


あの大地震から2週間が過ぎた。
ユニオンの片岡さんから連絡をもらい、「ある通信社の記者の交代要員として、岩手に行ってくれないか?」と言われた。僕は、悩んだ。そんな過酷な現場で取材活動をした事がないし、そもそも僕は生粋のジャーナリストではなく、ライターだからだ。
 
どうしよう…
 
行きたくないの?
 
いや、行ってみたい気はあるんだ。現地で何か役に立ちたい…
 
じゃあ、行ってみれば… あなたは、大丈夫。きっと何とかなるから…
 
僕は行く事にした。
 
 
僕は、大船渡をベースにして、取材活動を続けた。
来る日も来る日も悲しく辛いニュースばかりを書き続けた。
ある女子中学生が話してくれた「自分だけ、たまたま高台に逃れられて、上から街を見ているとお母さんの乗ったピンクの軽乗用車が坂を上りきれず、やがて波にのまれていった」という話が、特に胸に響いた。彼女は何の感情も見せずに、淡々と話したからだ。話し終わると彼女は、無表情のまま、ぽろぽろと涙を落とした。
それを見て僕は、何と声を掛ければよいのか分からなかった。
 
毎日、自分が負けそうになった。
目の前の傷みに必死で耐えている人々の姿を見て、自分を奮い立たせた。
 
ある避難所で取材を終えた夕方、僕の携帯が鳴った。
 
涼子のお母さんからだ。珍しい…って言うか、初めてだ…
 
「はい。」
「達哉さん…?」お母さんの声は震えていた。
「ええ、お母さん、どうしました?」
「落ち着いて聞いてね。」
「ええ…」
「涼子が、涼子が死んだの…」
「えっ!何で?」
「事故よ。交通事故… 自転車で、車にはねられて…」
 
何だか、よく分からない…
 
目の前がぐるぐる回ってる…
 
こんな時、どうすればいいんだ…
 
僕は、電話を切り、急いで帰れるよう、手配を始めた。
 
 
病院から運び出された涼子は、葬儀屋のシステマチックな進行で、あっという間に骨になり、僕は左手で涼子を抱き、右手で舜の手を引き、家に帰った。
 
涙なんて、一滴も出なかった。
 
舜は、行った事がないところで、大好きな神戸のじいちゃん、ばあちゃん、川越のバア、そして、僕の妹夫婦や、涼子のお兄さんたちがいるという事だけで興奮していた。そして、セレモニー会場にいる間中、みんなと遊んでもらっていた。
時折、「かあちゃんは?かあちゃん、どこ?」と訊いてきたが、その度に僕は、遺影を指し、「あそこ」と、答えた。
舜は、理解できないためか、「ふーん…」と言い、また、遊んでもらいに行った。
 
家には、親族がみんな来てくれた。
神戸の僕の父母、川越のお義母さんは、泊ってくれる事になっていた。
僕はリビングの片隅に葬儀屋が作ってくれた祭壇の棚に、涼子を置いた。
祭壇の涼子の写真を眺めた。涼しげな微笑み。コロコロという笑い声が聞こえてきそうだ。
 
プロポーズの時に「私より先に死んじゃ嫌よ。」って、言ってたのを思い出した。
 
それにしても、早すぎるじゃないか…
 
君はいつも、僕に「大丈夫、きっと何とかなる」って、励ましてくれた。
でも、今回は大丈夫じゃない…
 
相棒だって、言ったろう?
 
大切な、大切な、相棒なのに、先に逝っちまって…
 
僕はどうすればいいんだ? 僕は… どうすれば…
 
僕は泣いた。
 
 

涼子が死んで、一年が経った。
 
僕はそれまでの、「外で取材し、記事を書く」という仕事を止めた。
ユニオンの片岡さんに頼んで、家で書ける仕事を回してもらうようにした。
僕の両親も、涼子のお義母さんも、舜が手が離れるまで、同居して助けてくれると申し出てくれた。しかし、僕はその両方を断り、一人で舜を育てる事にした。その方が、涼子が喜ぶと思ったんだ。
 
新橋の事務所は畳んだ。折角、きれいにしたのだが、仕方がない。
 
僕は、毎朝5時に起きて、舜が幼稚園で食べるお弁当を作る。
弁当が出来たら、夜中に入ってた仕事のメールをチェックし、今日の仕事の段取りを頭で考える。
7時に舜を起こし、トイレに行かせ、歯を磨いて、顔を洗い、着替えさせる。
朝ご飯を食べさせたら、もう一度歯を磨かせる。歯を何度も磨かせるのは、涼子の躾だ。
 
ごはんが終わると、舜にはスマホで大好きな動画を見ていてもらい、僕は、洗濯機を回してから、さっき考えた仕事のスケジュールをエクセルの表に落としたり、返信したりする。
 
8時45分に家の前で、舜を幼稚園バスに乗せる。
 
9時には洗濯物を干す。そして、デスクへ持っていくコーヒーを淹れる。
 
9時15分から、舜が帰ってくる15時まで、みっちりデスクに向かう。
仕事に集中できる時間がここしかないため、この時間がとても大切なのだ。
 
僕たちの生活を維持するためには、デスクのみの仕事だと、相当にこなさなければならない。
夜は、舜が眠りにつく20時から25時ぐらいまで仕事をするが、どうしても疲れがあるため効率が落ちる。
だから、昼のこの時間がとても大切なのだ。
 
舜が帰ってくると、途端に僕は家事一色になる。
舜におやつを食べさせた後は、スイミングスクールへ連れて行ったり、歯医者へ連れて行ったりする。そのまま買い物に出かけ、夕食の買い物をする。
家に帰ると、洗濯物を取り入れ、畳む。舜には録ってあるアニメを見ててもらう。
夜が近づいてきたら、雨戸を閉め、晩ごはんを作る。
テレビは、勿論、涼子の好きだった西武の試合をつける。
舜も、最近は野球の事がちょっと分かってきたようで、手を叩いて喜んだりする。
 
晩ごはんを食べさせたら、野球を見ながら食休みをして、7時半には一緒に風呂に入る。
風呂では、今日幼稚園であった事を聞く。舜は話すのが好きなので、大体長風呂になる。
風呂から上がりパジャマに着替えると、舜に歯を磨かせてトイレを済まさせてから一緒にベッドへ行く。
舜は、一瞬ですとんと眠りに落ちる。
このように僕らは二人で暮らしている。
不思議と、舜は「かあちゃんは?」と、僕に言わない。
だが、よくかあちゃんの遺影の前で、舜は一生懸命話している。
きっと、僕が聞いた「今日、幼稚園であった事」を涼子にも報告してるのだろう。


 
 

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