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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑮

タバコを吸った後、栄一郎はトイレに顔を洗いに行った。
店の電話が鳴った。
私が出ると、小松だった。
飯が炊けたので、車で迎えに来て欲しいという事だった。
私は分かったと言い、電話を切った。
 
栄一郎がトイレから出てきた。何か心の棘が取れたようなさっぱりした顔つきになっていた。
「栄一郎さん、頼みがあります。車を出してもらえますか?」
「いいですが、どこまで行くのでしょうか?」
「すぐそこです。この店の左側の道を真っ直ぐに行くと、駅前に出ます。その駅の手前のこっちから見て道路の右側に小松屋という中華料理屋があります。そこで店主の小松さんと小松さんの荷物をピックアップしてきてもらいたいのです。ここから5分以内の距離です」
「分かりました。で、荷物は何でしょう?」
「多分、一升炊きの炊飯器です」
「一升炊き…多いですね。まあいいです。行きますよ。すぐに出た方がいいですか?」
「ええ、今電話がありまして店の前で立って待ってるみたいなので、すぐ出ていただけますか?」
「じゃあ行ってきます」
「お願いします」
栄一郎は出て行った。
私はチャーシューを切り始めた。この後は万能ねぎを切らねばならない。
 
 
「こんにちは、いいですか?」大杉琢朗君が入ってきた。
「大杉君、早いね?」
「ああ、やっと、名前覚えてくれましたね。いや、いったん学校へ行きますので、ちょっと寄っただけなのですが、昨日こちらにお邪魔した後で、僕がSNSに上げたら、ウチの学校の僕の友達が、どうしても今日、僕と一緒に味見をしたいと言ってきてるんですが、ダメでしょうか?」
「ああそう、何人?」
「ああ、ええ、十人ほど…」
「十人?多いな。まあ、順番に食べてくれるならいいかな?それと、食べ終わったら皿洗いを手伝ってくれるという条件でどうだ?」
「じゃあそれでお願いします。約束通り12時ぐらいまでに全員で来ますので…」
「分かったよ。じゃあまた後で…」
そう言って、大杉は出て行こうとしたが、その前に引き戸が開いた。
「ただいまあ!」
諒太君が勢いよく店に入ってきた。
「六浦さん、今日も来ていただき、すいません」そう言いながら、紗季代さんが入ってきた。
「ああ、奥さん、お久しぶりです」
「あっ、ああ、東城大の方でしたかしら…ホント、お久しぶりです。一年ぶりぐらいかしら?」
「そう、外国へ長期出張してたもんですから。ご主人がお亡くなりになられたそうで…お悔やみ申し上げます」
「ご丁寧にありがとうございます。今日は何か?」
「昨日六浦さんから味見を頼まれまして、今日のお昼に伺いますが、私が行く事を話すと、ウチの大学の私の知り合いや友達が、どうしても一緒に来たいと言いましてね。そのお願いをしにここへ寄った次第です」
「そうですか、ありがとうございます。是非皆さんでお出で下さい。私が一人でやってた時は川田屋の味を再現までなかなか至らなかったんですけど、今日はきっと六浦さんが主人の味を取り戻してくれるでしょうから…」
「いや、奥さん、そんなにハードルを上げないで下さいよ。頑張りましたが、まだ私にはそこまでの自信はないんですから…それと、うちの娘と菅原君はどうしました?」
「二人は菅原さんのお店に行きました。さっき病院を出る時に、事情聴取で来てくださった安田さんという警察官の方とバッタリ病院のエントランスで会いましてね。菅原さんが安田さんにお昼の味見の件を話したところ、警察署からも何人か参加させて欲しいと頼まれまして。六浦さんのお嬢さんが大丈夫ですって、お答えになられたんで、野菜が足りないかもしれないって言いだして、それで野菜を取りに戻ったんです。ですから、もう少しで戻ると思いますわ」
「えっ?じゃあ、警察からも人が来るんですか?何人ぐらい?」
「分かりませんけど、話してた感じで言うと、五人ぐらいじゃないかしら」
 
五人!
 
大杉が十人、警察から五人、白百合会は四人だったな…それと栄一郎さん、紗季代さん、諒太君、僕と小松さんはいいとして、後は?ああ、菅原君だ。それと愛美!全部で24人。麵はあるし、スープも足りる。まあ大丈夫か?
また、引き戸が開いた。小松が一人で一升炊きの炊飯器を持って入ってきた。
「おう戻った」
「重いでしょう?手伝いますよ」
「何のこれしき。手伝うなら、外のヤツの分を手伝ってやってくれ」
「うへえ、重い重い…小松さん、平気なんですか…あっ、紗季代さんですか…」一升釜をもう一つ抱えながら、栄一郎がよろよろと歩いて来た。

その姿を見て、諒太君が「父ちゃん…」と言った。
紗季代さんが諒太君の腕を抱いて言った。「諒太、違うの。この人はね、父ちゃんの双子のお兄さんで栄一郎さん。栄一郎さん、どうしてここに?」
「六浦さんから味噌の追加の連絡が来てさ。一刻も早く届けたくて、俺が運んできたんだよ」
「栄一郎さん?お父ちゃんの兄弟なの?」と諒太が紗季代さんを見上げて訊いた。
「そうだ、諒太君。俺は栄次郎の双子の兄ちゃんの栄一郎だ。よく似てるだろう?でもね、俺は父ちゃんではないんだよ。ごめんな」と栄一郎が答えた。
「ごめんなじゃないよ。来てくれてありがとう」
「えっ?ありがとうだって?あり…が…とう…すまん、すまなかった、諒太。紗季代さん、俺が俺がだらしないばっかりで、親父を説得できないで…ホント、すまない」
そう言って、栄一郎は泣き崩れた。
「おい、兄ちゃん!いつまでも湿っぽい話してる場合じゃねえぞ。人手が足りねえんだ。お前さんも手伝ってくれ」と小松が栄一郎へ言った。
「分かりました。僕は何をすればいいのでしょう?」
「俺の店の並びに練り物の相模屋って店があるんで、そっからナルトをもう3本ほど買ってきてくれ。」
「分かりました。行ってきます。じゃあ、紗季代さん、諒太君、また後で」
そう言って、栄一郎は店を出て車へと向かった。
 
 
「ただいま」今度は愛美と菅原が帰ってきた。
野菜が厨房に運び込まれると、小松さんはチャーハン用の長ネギを切り、私は追加のホウレン草とモヤシを茹で始めた。
 
「こんにちは、堺屋です。漬物持ってきました。」
「福神漬けと、紅ショウガだな。カウンターに置いておいてくれ。伝票も一緒にな。お嬢ちゃん、それ受け取って、すまんが、その漬物を全部、そこにあるボウルに入れてくれんか?」
カウンターに座ってた愛美が指名された。愛美はやっと休めたのに…と言わんばかりの不服な顔で「分かりました」と言うと、諒太君が「僕も手伝うよ」と言い、二人で作業を始めた。
 
追加の茹で野菜が出来た。
さあ、いよいよラーメンを作る時が来た。
 

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