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【創作大賞2024・恋愛小説部門応募作】ブルーアネモネ(4)


大きめにカットされた抹茶のシフォンケーキの載った皿が出された。
その後、プリンが載っている銀の足付きの皿が回された。今日は、デザートも豪華で、ブルーアネモネスペシャルだ。
「シフォンケーキにホイップクリームがいるヤツは、これから回すから自分で好きなだけ取ってくれ。後、プリンのメイプルシロップもな。」とマサさんが言うと、クリームが入った三角形の大きな絞り器をアカネに手渡した。アカネが絞ると、次に回す。その後すぐにメイプルシロップのガラスの瓶が回される。これも自分の好みでプリンにかけ、後は次に回す。
「飲み物は、どうする?コーヒー?紅茶?それとも、麦茶?ジャスミン茶?」
この店は、ドリンクの料金システムも変わっている。コーヒー、紅茶は、アイスにする場合の氷代は、一杯ずつにかかってくるのだが。コーヒー、紅茶自体は、600円で飲み放題となる。コーラとオレンジジュースは、一杯200円で、これは飲み放題にはならない。
面白いのが、コーヒー、紅茶飲み放題の客だけに選択権がある「麦茶」と「ジャスミン茶」は飲み放題に含まれる事だ。確かに、如何に飲み放題とはいえ、コーヒーも紅茶も何杯もガブガブと飲めるものではないから、このシステムはありがたい。
河端先生を除き(先生は基本熱いコーヒーしか飲まない)、みんなホットの麦茶を選択した。何故なら、これもこの店の隠れたスペシャルメニューだからだ。この店では熱い麦茶には砂糖が溶かしてあり甘いのだ。熱い麦茶だけでもあんま飲まないのに、甘いヤツだ。一度やってごらん、病みつきになるぜ。
そうは言ってみたものの、僕はウチでやってみた事があるんだが、これがどうもうまくいかない。水出しのパックのヤツだと違うみたいだ。確かに、この店では大きなやかんで湯を沸かし、その中に焙煎された麦を投入しており、そのやかんに直接砂糖を入れる。それをカップに入れる時は濾し器を使っている。きっとそれがいいのだと思う。だから、試すなら水出しではなく、ちゃんと沸かして作る麦茶に、熱いうちに砂糖を入れる事をお薦めする。

食べ始めてすぐに、サオリが「マサさん、ちょっと訊いていい?」と言った。
マサさんはカウンターの中で皿を洗いながら「何を訊きたい?」と答えた。
「在学中の時からずっと気になってたんだけど、しょっちゅう通ってた頃は何故か気まずくて、訊けなかったんだけど…」
「気まずいって、何?俺が怒るとか?」
「いやそんなんじゃないんだけど、何となく訊きそびれてて…ここにあんまり来れなくなったら、余計に気になっちゃってて…」
「そんなか?いいよ、俺に答えられる事なら何でも答えるよ。だから、言ってみろよ。」
全員が自分たちのおしゃべりを止めて、釘付けになってしまった。次何を言うのかと、サオリに注目が集まっている。
「じゃあ訊くけど、この店さあ、普通の店と色々違うじゃない。でも、私が気になってるのは、メニューもだけど、温度差の方が気になるんだよねえ…」
「温度差?」
「そう」
「何の?」
「だってさあ、メンチカツはマサさん手作りでしょう。ソースも手作りだし、ポテトサラダもそう。あんなスパイスの入ったポテサラはどこでも食べられないじゃん。」
みんな同意して頷いた。
「でもね、デザートになると、確かにケーキもプリンも手作りだけど、ホイップクリームはコストコで買えそうなヤツだし、プリンだって、普通はカラメルソースがかかってそうなのに、何もかかってなくて、かけたいならメイプルシロップって…これだって、コストコで買えるわ。どれも文句なく美味しいんだけど、このギャップがね、謎だなって、ずっと思ってたの。何で?」
「何だ、そんな事か…簡単だよ。うちで出してるメニューはね、全部俺のオリジナルじゃないからだよ。人が書いたレシピをその通りに作ってるだけなんだ。だから、そうなってるんだ。」
「という事は、秘密のレシピ本があるの?」
「手書きのノートだけどね。秘密?秘密だなあ…」
「で、誰のレシピなの?」
「いや、それは…やっぱ秘密だなあ」
「秘密?ここだけの話で、お願い!」
「いやあ…」
「祥ちゃん、いいよ。僕が話す。レシピはね、僕の亡くなった家内が書いたものなんだ。」と急に河端先生が話し始めた。
「良平さん、いいんすか?」と、マサさんが慌て気味に河端先生に訊いた。
「ああいい。この子たちはもう僕の学生ではないからね。余計な気遣いはしないだろうから。僕の家内はね、僕がアメリカに赴任中にシカゴのダウンタウンで事件に巻き込まれてね、大怪我をして日本に帰ってきたんだけど、死んでしまったんだよね。その家内は、僕と結婚する前は家の仕事を手伝っててね。それがこの高見が原駅前にあったコーヒーショップ・パンジーなんだよ。僕は当時、君たちと同じようにうちの大学に通っててね。駅前の古本屋で論文の参考書を買って、コーヒーでも飲みながら読もうと思って、パンジーに入ったのさ。その時に、昌代がウェイトレスでね。僕に水と熱いおしぼりを持って来てくれたんだ。あっ、昌代ってのが僕の家内なんだけどね。彼女からおしぼりを受け取る時に、目が合って、その目に僕はいきなり夢中になって…それで色々あって、僕らは結婚したんだ。そのパンジーで出していたのが、この抹茶のシフォンケーキとプリンだったという訳さ。」
「へえ、そうだったんですね。でも、コーヒーショップ・パンジーって、今は、都内ならどこにでもある、あのパンジーですか?」
「そう、あのパンジー。本当は家内が店を継ぐ予定だったんだが、事故で身体の自由がきかなくなった時点で、義理のお父さんがね、外食チェーンに権利を売ったのさ。店で出してるメニューのレシピのうち、シフォンケーキとプリンだけはレシピを出さずにね。まあ、向こうにとってもそれは興味がなかったんだろうな。何せ、パンジーと言えば、ワッフルだからね。」
そう、パンジーと言えば、ワッフルが有名だ。コーヒーショップ・パンジーは、都内の主要な駅前には必ずあると言っていいお馴染みのちょっと高めのカフェだ。確かに、この店はコーヒーとワッフルが売りで、コーヒーの種類も何十種類もあるし、ワッフルのメニューは、果物やアイスクリームが載ったスィーツ系から、ベーコンやパティが載った食事系があり、種類が豊富だ。
「じゃあ、あのワッフルもレシピはあったんですか?」
「多分ね、でも、それは分からないけどね。まあ、お義父さんにとってはそんなに大事じゃなかったんだろう。」
「そうなんですねえ…で、プリンにはカラメルソースもないし、シフォンケーキにはホイップクリームがないという訳なんですね…」
「そう、レシピに書き忘れたわけじゃないと思うんだけどね。ないんだ。だけど、お客さんはホイップクリームを欲しがるし、カラメルソースを欲しがるだろう。だから、祥さんと相談して、ホイップクリームとメイプルシロップを置いたのさ。」
「そういう事なのか…じゃあ、この店ではホイップクリームをつけてケーキを食ったり、メイプルをプリンにかけるのは邪道なんすね?」とショーゴが訊くと、マサさんが「まあ、そうなるな。」と答えた。すると、全員が自分の皿を見た。全員、ホイップクリームが山盛りだし、シロップはジャバジャバかけてある。
暫くの沈黙の後、僕が「何か、すいません。」と言うと、マサさんと河端先生は空気を破るように吹き出し、爆笑した。そして、先生が「気にしなくていいよ。さあ、食べよう」と言った。
 
久し振りのシフォンケーキは、やっぱり美味かった。
他の店では食べられないと思うほど抹茶の割合が高く、苦いのだが、甘くもある。そのバランスはホイップクリームの載ってないところを食べて実感した。
プリンもそうだ。昭和のプリンというヤツで、焼プリンじゃないから柔らかくもない。でも、その固さの中にミルクと卵を感じる事が出来る。そして、そのバランスの良さは、残念ながらメイプルシロップをかけてしまうと、分からなくなる。
なるほど、そういう事か…
みんな感心しながら、無心で食べた。
食べ終わると、ショーゴが河端先生に言った。
「奥様の愛のレシピをありがとうございました。ごちそうさまでした。」
それに続いてみんなで「ごちそうさまでした。」と言った。
河端先生は「お粗末様でした。」と答えた。
 
楽しい時は終わりを迎え、みんな帰る事になった。
僕はアカネにショートメールでメアドを送った。アカネは「今晩、美月ちゃんに送ってみる」と言ってくれた。
 
みんなでぞろぞろと駅へ向かい、思い思いに帰っていった。

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