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【推理しない探偵小説】探偵里崎紘志朗 shiny day(2/2)


3月の初め。日暮れは早い。
夕闇が迫る中、私たちは下田に着いた。
有料道路を下り、しばらく山道を上がる。
すると、森の中に突然大きなコンクリートの建物が現れた。
前のレクサスが入口のゲートをくぐる。
私もついて行った。
左奥に訪問者用の駐車スペースと表示があり、そこにレクサスが止まった。
横に止めて、後ろの亜理紗が見つかってはいけない。
私は3台分間を空けて、慎重に車を止めた。
後ろを振り返ると、亜理紗はフロアに顔をうずめて寝ていた。
素早くメモを書き、亜理紗の顔の前に置く。
「ここは伊豆の下田。建物の中にお母さんがいるようだ。会ってくる。車の中で待つように。」
矢崎は車を降りていた。
私も車を降り、矢崎に近づいていった。
「もう5時を回ってますので、こちらの通用口から入ります。」と、矢崎が言った。
「ここはどんな施設ですか?」
「麻薬患者専用のサナトリウム病院です。」
矢崎がガラス戸を開け、入っていった。
私も続いた。
しんとした廊下。
冬の冷たさが残る肌寒さを感じた。
ボウっと光る薄暗い蛍光灯。
エレベーターホールに着いた。
私が矢崎に訊いた。
「ここに奥さんが入院しているのですか?」
「そうです。」
エレベーターが下りてきた。
私たちはエレベーターに乗り、3階へと向かった。
3階に着くと、別世界だった。
チャコールグレーのカーペットが敷きつめられた廊下。
点在する美術工芸品や絵画。
蛍光灯だけが1階と同じで、みすぼらしさを強調してしまっている。
右奥のドアに着いた。
矢崎が不規則にノックする。きっと合図なんだろう。
「どうぞ。」
ドアを開け、矢崎が入った。私も後に続く。
美しい人。
舞岡いずみがベッドにいた。
矢崎が口を開いた。「いずみ、ごめん。」
「どうしたの、あなた?この方は誰なの?」
「里崎と言います。探偵です。」
「探偵さん?どうして探偵がいるの?バレたの、あなた?」
矢崎はその場で膝まづいた。口を真一文字に固くし、肩を強張らせて必死に何かをこらえている様子だった。
「違います。舞岡さん。私はあなたの娘さん、亜理紗さんに雇われました。」
「えっ、亜理紗が?亜理紗があなたを雇ったの?どうして?」
「あなたを捜してほしいと頼まれたんです。」
「亜理紗が?あなたにそんな事を頼んだの?私は、亜理紗に病院へ行って、ちょっと入院する事になると伝えてあったのに?」
「そうか。そうなんだ…」
「病院を教えなかったから、きっと心配したのでしょう。で、私はここであなたを見つけた。」
「そう。それならいいじゃない。帰って、亜理紗に伝えてください。ママは大丈夫よって。」
ずっと黙っていた矢崎が口を開いた。
「いずみ、もう無理だ。やっぱり無理だったんだ!もう、やめよう。やめにしよう。」
「あなた、何言ってるの?そんな事したら、捕まっちゃうわよ。」
「いいよ、もう、そんな事。里崎さんは僕が連れてきたんだ。里崎さんに本当の事を話して、亜理紗に伝えてもらおう。」
「あなた、本当にいいの?そんな事して。終わっちゃうわよ。」
「いいよ。本当の事を話そう。」
「あなたがそれでいいなら、私もいいわ。あなたから話して。」
私は窓際にある来訪者用の椅子を持ち出し、矢崎に薦めた。
もう一つを矢崎に向き合うように置き、自分が座った。
矢崎が話し始めた。
「2シーズン前のナイトゲーム。僕はセンターの野平と打球を追いかけ、交錯して膝を怪我しました。とても大きな怪我で、病院で完治は難しいと言われました。」
「知ってます。怪我したシーンを僕もテレビで見ていました。球場の中に救急車が入ってくるような大きな事故でしたね。」
「そのシーズンと、昨シーズン、僕はリハビリだけの毎日でした。何とか、もう一度野球ができるようになりたい、その一心で、辛いメニューをこなしてました。」
「でもです。痛みが取れないんだ!この膝の痛みが!」矢崎は叫んだ。
「寝てても痛い。起きても痛い。階段もうまく降りれない。スリッパを履くのが怖い。滑っちゃいそうで…一日中、ずっと痛いんです、膝が。どうかすると激痛が走る。僕は鎮痛剤を飲み続けました。でも、どんどん効かなくなってくる。」
「それで麻薬に手を出したんですな。」
「そうです。」
「強い鎮痛剤を探し求めて、ネットサーフィンをするうちに、覚せい剤を手に入れられるサイトを見つけました。」
「それで、覚せい剤を打ち始めた。」
「そう。打った途端、痛みを忘れるんです。あんなに痛かった膝が痛くなくなる。盗塁王を取った年並みに早く走れるんです。」
「でも、徐々に効き目が薄れました。どんどん打たないといけなくなる。そして、ヤツが現れ始めました。」
「ヤツ?」
「今では分かっています。幻影です。でも、その時は分からなかった。ヤツが追ってくるんです。俺に、全部バラすぞって。そんなことされたら、僕の野球人生は終わりです。」
「それで?」
「僕の野球人生も終わりなんですが、彼女の、妻のキャリアも終わらせてしまう事に気づきました。」
「それで、離婚をしたんですね?」
「妻には覚せい剤の事を黙っていました。ただ、このままじゃ野球がダメになるから、一度原点に返って、自分一人でやり直したいって言って…」
「その時、私にはもう分っていました。」いずみが話し始めた。
「強い鎮痛剤が効かなくなっているのは近くにいて、すぐに分かりました。でも、ある日、それまでとは違って、シャキッとして。軽快に階段を下りてくる姿を見て、悪い薬に手を出したんだろうなって、うっすら気づきました。」
「じゃあ、何で離婚に同意したんですか?手を差し伸べてあげたらよかったのでは?」
「私も自分のキャリアの事しか考えなかったんだと思います。この人がつぶれていく中で、私まで潰れるわけにはいかないと…」
「離婚して、僕は何とか覚せい剤と縁を断ち切ろうとしました。復帰に向けて、膝のリハビリにも精を出した。どうしても復帰したかった。」
「全部告白して、引退して、罪を償う、という選択肢はなかったのですか?」
「それはありません。どうしても二千安打を達成したかった。」
「それは何故?プライドですか?」
「違います!」
「なら、どうして?」
「亜理紗と約束したからです。パパ、二千安打を絶対やるからね。二千安打を達成する試合には亜理紗を球場に呼んで、ヒーローインタビューの時に亜理紗をグランドに入れてあげるからねって…」
「そうですか。」
「その矢先に、いずみから電話がかかってきました。その電話を受けて、あの夜、久しぶりに家に行ったのです。」
「ここからは私が話すわ。あなた。里崎さん、私はミュージカルに出てるって、ご存じかしら?」
「ええ。そしてシンガーでもある。」
「あら、よく知っているわね。」
「僕は、あなたのJAZZのアルバムを持ってますよ。」
「そうなの。それはありがとうございます。私、歌うのが好きなの。」
「そうでしょうね。いい声をしておられる。」
「でもね、もうすぐ私、歌えなくなるの。」
「ほう。」
「声帯に腫瘍があって…」
「取らないといけない?」
「取ったら歌えなくなるわ。」
「取らなければ?」
「おそらく死ぬ。」
「それ以外に方法は?」
「ないみたい。」
「お気の毒です。」
「歌えなくなるなんて、私には考えられない。」
「でも、命の方が大切です。」
「違うわ。歌の方が大切。私も亜理紗と約束したの。あの子はね、もっと小っちゃいころに私の舞台を観て、自分もミュージカル女優になるって言ったのよ。」
「ええ、聞きました。それで今はレッスン中みたいですね。」
「そう。私の夢は、あの子と一緒に舞台で歌う事だったの。それがもうできない。」
「無念ですね。」
「だからね、この人に言ったの。麻薬、やめなさいって。でもね、今やめただけじゃあ、この人捕まっちゃうじゃない。そしたら、野球続けられなくなる。この人まで野球辞めたら、亜理紗との約束、二人とも守れなくなるのよ。それでね、私が身代わりになる事にしたの。肌に注射針の跡が残るのが嫌だったのでね、焙って嗅いで、そして今、ここにいる。」
「そんな事をしても、事態は好転しませんよ。」
「好転なんてしなくていいのよ。この人が野球をやめなくて済めば…どうせ、私は死ぬんだし…」
「イヤよ!」
 
ドアの外。亜理紗がいた。
「ママは死んじゃイヤ。生きて。」
私は亜理紗を部屋に引き入れた。亜理紗はいずみに抱きついた。
「亜理紗…でもね、ママ、歌えなくなるのよ。声が出なくなる。」
「声が何よ。声なんていらない。ママがいればそれでいいのよ。」
「でもね、ママは亜理紗との約束が果たせなくなるわ。」
「約束が何よ。ママと歌えなくたっていい。その分私が大きな声で歌うわ。」
「亜理紗…」
「パパ、罪を償って。」
「野球は?」
「膝が痛いんだもん。辞めていいよ。」
「二千安打打って、ヒーローインタビューを受けるという約束は?」
「インタビューなら、私が自分で受けられるようになる。だから、パパはもういいの。元気になって、また家に帰ってきて。」
「分かった。」
 
親子三人、涙が止まらなかった。
 
 
私は一人で病院を出た。
 
有料道路に上がると、遠くにライトアップされた河津桜の並木道が見えた。
 
濃いピンク。満開だった。
 

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