できない自分を認められない...

社会人になって2年目。
ちょっと悩みがあるのでここにしたためます...

どうしても、上手くできない自分を認めることができない。

例えばオンライン会議。
チーム100人ほどが集まるので、下手なところは見せられない!と思い、スムーズに話せるように入念に準備をして望んだ。
しかしいざ自分の話す番になると、音で明確にわかるほど心臓がバクバクとしてしまう。
緊張のせいで、事前に行ったシュミレーションも水の泡。自分が今どこを話していて次に何を話せばいいのかの道筋が飛んでしまって、結局ただ画面に写した文字を追うだけの発表になってしまう。
わかりやすい発表をしようと準備までしたのに、結局下手な発表をしてしまう自分が情けなくて、恥ずかしくてしょうがない。

また、先輩にわからないことを質問するのが怖い。
質問をする前に、「これは本来知っておくべき事柄で、この質問をしたら、2年目にもなってこんなことがわからないのかと相手は自分にがっかりしてしまうのではないか?」という不安が頭をよぎる。
そう考えると、質問ができなくなる。
わからない自分、が恥ずかしいのだ。

おそらく、未熟な自分を見せることに強い恥の
感情を抱いてしまっているんだろう。
周りの人はとても上手くやっているように見えているから、自分が失敗するところを見せたら恥ずかしいと思っている。

先輩はみんな言う。
「まだ若いんだから、たくさん失敗した方がいい。その分成長するから。」
「失敗した質問なんてない。わからないことを質問しないことの方が失敗だよ。」

頭では理解できている。
失敗しなければ、わからないことを質問しなければ、成長はない。
頭では理解できているのに、やっぱりみんなの前で失敗するのは恥ずかしい。失敗している自分を見られるのが恥ずかしい。未熟な自分を見られるのが恥ずかしい。
はずかしい、はずかしい。

でも、もうわかってる。
失敗するのが怖いっていうプライドを持っていることが、一番恥ずかしいことだって。

学生までの自分は、とにかく失敗しないように入念に準備する性格だった。
発表の前は、「発表が失敗したら?」という最悪なシナリオを描いて、そうならないように人一倍準備に時間をかけた。

そうすれば大体失敗しなかったし、むしろ褒められたし、自分の有能感に浸って自信もついた。

でも、社会に出てからは、どんなに頑張っても自分は若手であって、自分より経験も実力もある人しかいない。
なんでもできる自分、失敗を見せない自分でいることなんて無理なのだ

これまで失敗しないように生きてきたからこそ、変なプライドが邪魔をして「失敗する恥ずかしい自分」を認められない。


でもいつまでも認められないなんて言っていられない!!
自分には叶えたい夢がある。そのためには失敗を繰り返さないと成長できない、ということを自覚しているからだ。

それは英語でのコミュニケーションスキル。

私はスウェーデン移住を目指している。

学生の頃、英語は得意科目だった。
TOEICも英検それなりに点数を取ってきた。
文法・単語で失敗が少なかったからこそ、英語でのコミュニケーションの際に話せない自分がなおさら、とてつもなく恥ずかしくなる。

でも、理論だけ完璧に学んだところで、実践なしで上手くいった例はこれまでの経験上一度もない。
テニス部に所属していた時だって、どんなに完璧なフォームを説明されたところで、実際にラケットを振ってみて、対戦を経験しないと試合では勝てない。
数学だって、どんなに公式を覚えたところで、何度も活用しないと応用問題に対処できない。

だからとにかく多くの人と、色んな状況の中で、話して失敗して学んで....を繰り返していくしかないのだ。
上手く話せるようになるためには、本当に多くの人の前で失敗する必要があるだろう。今から気が重い。失敗を恥ずかしいものと思い込んでしまっている自分にとっては...

しかし同時に、実践なくして学ぶことはできない法則は、「失敗は恥ずかしいことではないことを認める」という成長にも当てはまるのだろう。

失敗して失敗して失敗しまくって、何度も恥ずかしい思いをして、
「もう、いちいち失敗して恥ずかしいのを感じるのにも飽きた!!」
と思えたら、成長なのだろう。
それが、恥ずかしい自分を認めたことになるから。

飽きるほどに失敗する

これがいま、自分の叶えたいことを実現するために1番必要なことなんだと思う。
いつまでも避けて通ってはいられない。

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