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日本を原(たず)ねて 心の健康 ストレス解消 [夏目漱石]


3夏目漱石  (1867~1916)
良寛の生きざま    書家 榊 莫山(1926~2010)  毎日新聞 1998年11月28日

 良寛(1758~1831)の生きざまの中で夏目漱石も良寛の書を見て「頭が下がる」と言ったそうですわ、漱石も書を書き絵も描いて、それが高く評価されているけれど、良寛の書には人の心を洗うものがあるのでしょう。良寛の有名詩に「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ねる…」というのがあるんですわ、これは…人間の生きざま、自然に従ったらいい、無理するなと。そして日本人として歴史の中で良寛さんを位置付けると日本人の原形にふさわしい人である。

 良寛に対する漱石のおもいは、あるがままと、とらえていて、漱石は日本古来からの生活感情をあらわしている。

漱石と子規 愚陀仏庵100年        朝日新聞 夕刊 1995年6月9日
 1915年に描いた南画「青嶂紅花図」も漱石が愛した禅語[柳は緑、花は紅]を風景画にした心象写生といえるかもしれない。

 漱石の描いた南画「青嶂紅花図」は、あるがままをあらわし日本古来からの生活感情をあらわしている。

忘れられたニッポン  ❶ 山折哲雄     毎日新聞 夕刊 2012年8月13日
 夏目漱石の「草枕」の冒頭に出てくるつぎの言葉だった。
  智に働けば角が立つ
  情に棹させば流される
  意地を通せば窮屈だ
 漱石はそうつぶやいて、人の世はとかく住みにくい、と嘆いたようだ、そこから脱出して、非人情の岸辺で息抜きをし、遊びたいと思っていたのだろう。…漱石は「草枕」にでてくる絵描きのように、非人情と画の世界に遊ぼうとしていたのであろう。

明治大正文学全集 第27巻        夏目漱石著  東京春陽堂出版
 西洋の詩になると、人事が根本…うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。
  菊を東籬(り)の下ににとり悠然として南山を見る
…世の中を丸で忘れた光景が出てくる。          279ページ
 この詩は陶淵明(365~427)の詩の代表作で、終わりに、この自然の中にこそ、この世の真実なものがあり、それを言葉に出して説明しようと思うがとたんに言葉を忘れて、どう表現してよいかわからない。【詩経から陶淵明まで】近藤春雄著 武蔵野文庫 に書かれています。                           171ページ

 この時、陶淵明は、自然と合一した状態になり、日本古来からの生活感情をあらわしている。

別冊太陽 (日本のこころ 231) 平凡社
夏目漱石の世界   現代文学である     半藤一利著
 大正5(1916)年の正月に年頭の辞というべきものを漱石は書いている。中国の唐の時代の趙州和尚(778~897)が61歳になってから初めて道に志し、修業すること20年、80歳になって「初めて人を得度し出し」120歳の高齢まで人を導いたという例を引いて、漱石は決意らしいことをはっきりと記すのである。…趙州の顰(ひそみ)にならって奮励する心組でいる。…自己の天分の有り丈をつくそうと思うのである。(点頭録)  150ページ
             
 趙州については、次のような話があリます。
 一休さんが珠光に「趙州和尚のお茶はいかに」と問うと「柳は緑花は紅真面目」と答えた。この話しにより、趙州は、あるがままの人である、よって漱石もあるがままの人で、日本古来からの生活感情をあらわしている。

草枕   夏目漱石著  小学館文庫
 空しき家を、空しく抜ける春風の抜けて行く…自から来たりて、自ら去る、公平なる宇宙の意である。…ある人は天地の耿(こう)気に触れると云うだろう。…わが唐木の机に憑(よ)りてぽかんとした心裡の状態は正にこれである。…強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春のもの、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったといいたい。                    91~94ページ

 解説にかえて — 『草枕』から漱石の世界へ    夏川草介  
 「こんな小説は、天地開闢以来類のないものです」…著者たる漱石自身の評である…本書にこそ…「漱石らしさ」がもっとも濃厚に結晶化されているのである。 
…漱石はいつも近代日本を憂いてきた人物であった。…効率、能率だけを重視して、足元も見ずにひた走りに走り続ける日本という国の行く末を憂慮してきた人物であった。…西洋の文明を「つまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ」と記したのが漱石であった。
                       212・218・232ページ

 よって夏目漱石は、「柳は緑花は紅」あるがままをあらわしている。

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