見出し画像

朔夜 すべては私の掌に 第二部 雲野  

第二部 雲野(くもの) 三十一~五十二

 三十一、

 月明かりを頼りに入り込んだ森の中へ続く道は、太い木々が行く手を塞ぐように途切れていた。右手には、旧日本軍の塹壕後。スマホで着いたとメールを送る。しばらくすると、その木々の向こうから声が聞こえた。
「傀儡(くぐつ)さんですか? そのまま目を瞑(つむ)って真っ直ぐ歩いてください」と。少し迷う。
「かまわねぇ、奴の言った通りにしてみろ」と、後ろからヘッド………いや、卑墨さん。
 しかたなく、目を閉じて歩く。思わず手が前へ。しかし、そこにあるはずの木には触れず、躓(つまず)きもせずに進むと海自の制服を着た小柄な男が立っていた。
 仲間に入れと声をかけ、断った少しクセのある隊員。その男が、敵らしい新任の副隊長に卑墨さんの居場所をバラし、逆に匿(かくま)われていた。口外したら命はないという脅しを真に受けたよう。
 けれど優柔不断な男。そっち側に居ても金にならないと寝返り、隙をみて連絡をよこし、結局金目当てで敵の館へ導いてくれた。
 卑墨さんと二見港の空き倉庫に潜んでいると、海保の巡視艇に乗り込んで兄島へ向かう敵たちの姿を見た。こいつがバラした最初の潜伏先を急襲するらしい。
 どうも、優等生たちの行動はいまひとつ間が抜けている。悪党の側になると不思議なくらい鼻が利き、一枚上手になるから面白い。まぁ、そうでなければ生き残れない、危険な位置に居るということか………。
 なので、卑墨さん曰く『制服を来た高頭さん』の情報通り、敵の館は手薄。そして、中には再度寝返った男。今がサクヤという女を遣(や)るか、館から追い出す好機と、武器庫から持ち出していた小銃を手に乗り込んだ。
 敵に悟られぬようにと、赤いフィルターを付けた最小限の電灯さえ消すと、満月なのに森の中は暗闇。暗視ゴーグルを持ってくればと後悔。
 突然森が途切れて視界が開け、月に照らされた大きな建物が現れる。窓の一つ一つを注視。明かりの付く部屋は無い。つまり敵は寝静まり、気づいていないという証。
「卑墨さん、なんだか立派な建物に行き付きましたが………」
「ふん、これが『館』ってやつか」と、あまり感慨も無さそうな卑墨さん。
「………で、踏み込むんですか? 」と、聞く。後ろに付いてきた、寝返った奴を加えてもたった三人。しばらくの沈黙の後、
「いや、いくら武器を持っていても、やつらとまともにやり合うのはごめんだ」という返事。断片的にしか聞いていないが、数ヶ月前の戦いでは、相当な傷を負わされたよう。
「じゃぁ、どうします」と、卑墨さんの言葉を待っていると、
「あの、俺はもういいですか? 金は、後でかまわないっすから」と、後ろから。
「黙ってろ! 金はやる。但し、最後まで手伝え! 」と、卑墨さん。そいつに、ベルトに挟んでいたらしい拳銃を投げ渡す。
「へえっ~ベレッタじゃないすか、十五発の弾倉まで付いてる」と、拳銃を月明かりに照らして眺め回す。武器さえ手にすれば喜ぶマニア。実は私も………。
「むやみに撃つな。正面切っての戦闘なんてやらねぇ。これから三方に分かれて、火をつけるぞ」と、卑墨さん。
「火って、館にですかい? 」と、素っ頓狂な声をだすマニア。
「馬鹿野郎! ここでたき火でもするのか! いぶり出して、狙い撃ちにする! 」

 三十二、

「五瀬、何かが館に来た」と、朔夜様。隣室から跳ね起きる。真と珠も起こす。
 未明。神武、毛沼そして回復した夜織も加わった卑墨の捕縛隊が、海保の巡視艇で兄島に向かっていた。また、稲氷、明、彦火はヘリの手配や準備で自衛隊基地に行っていた。すぐに夜織と明に連絡を入れる。何かには、自分と真、珠で対応することになった。ここへ来てから朔夜様のもとに、防人が不在の事態は初めてと、改めて気を引き締めた。
 武器を揃えた部屋に行き、防弾チョッキを付け、暗視ゴーグルと小銃を持つ。
 ここは、富士の館のように見えない強固な壁に覆われてはいない。しかし、普通の人間には入る道が見つからない結界。そう思った瞬間、全身の毛が逆立った。内通者を一人、館に入れていた。あの者が寝返れば、ここへ入れてしまう。
 急いで男を住まわせている部屋へ。やはりもぬけのから。すぐに朔夜様の元へ。お部屋に入ると、真と珠を従え、御簾の向こうの寝台に座られる朔夜様。
「五瀬、事態は? 」とのお言葉。
「すみません、気づきませんでした」
「想定は? 」
「匿(かくま)った者が内通者だったようで、その者が手引きをした何かが、館の周りに潜んでいる様子です」と、ご報告する。
「どの程度の手勢? 」とのご質問。
「多分、数人かと」確かな数は分からない。その言葉が終わらないうちに、鼻に届く異臭。
「………敵は、ここに火を掛けたよう」と、呟くように朔夜様。
「朔夜様、進言をお許しいただけますか? 」と、真。無言で頷く朔夜様。
「この館には、地下に塹壕と呼んでいた地下室と、そのまま宮之浜まで行ける地下道があります」侍従の私も、初めて聞く。
「護り続けてきた館は惜しいですが、ここは一旦逃げましょう」と、珠。そう進言しながら、侍従の私の判断も仰ぐ珠と真。
「朔夜様、真や珠とともに宮之浜へ。兄島に向かったものたちに連絡し、落ち合えるよう手筈をとります。また、父島基地の明たちには、後方支援を請います」
「そちは? 」
「館に火をかけた者たちを、成敗してから行きます」
「わかった。真と珠、案内を! 五瀬、武運を祈る! 」と、朔夜様。
 三人を地下室へ見送ると同時に、館に煙が充満し始める。一階の裏窓からそっと退避。一旦森へ入り、敵が待ち構えているだろう正面玄関へ回る。
 館に火の手が上がる。悔しさで頭が満たされたが、必死に平静を保つ。見えない敵との駆け引き。感情に溺れては負ける。
『もしも生き延びたら侍従を継げ』と、幻聴………数ヶ月前に爆死した父の遺言。そんな父の手紙の最後に、侍従の戒めが一文。
『侍従は防人ではない。朔夜様を残して死ぬことは許されない』胸に突き立った楔。二度声を殺して呟きながら、闇を突き進む。
 炎が大きな照明の代わりをして、周囲の森を映し出す。居た。潜んでいるつもりだろうが、迷彩などを施していない顔が、周囲の闇から浮かぶ。匿っていた男。拳銃を手にしている。武器の部屋に荒らされた形跡は無かった。つまり仲間が居る。仕留めるのは簡単だが、銃声や発射光でこちらの居場所を特定される。
 見過ごして、もう一つの出入り口周辺に移動。こちらは火の手にさらされていない闇。暗視ゴーグルを使って、慎重に森を捜査。居た。海自の服を着た一人。小銃を構えている。やはり、卑墨は見当たらない。迷う。弓があれば、音も無く仕留められた。その時、
「動くな! 」と、聞き覚えのある声と、同時に首筋に当たる金属の感触。ダイビングナイフ。
「夜織殿、速かったですね」と、小さく答えた。

 三十三、

 真に付いて地下道を歩く。小さなダイビングライトでも、瞳が慣れれば十分な灯り。昔の夜は暗かった。瞳を暗さに慣らすことを、僅かの日々で忘れる。後ろには珠。二人とも背が高く体格もいい。千年前の私のよう。

 西暦と呼ぶ、西洋の偉人の誕生から数えると千六十二年。場所は奥州。安部氏に組みし、朝廷の軍に大敗した藤原経清(つねきよ)氏に付き従っていた。全身に甲冑を付け、素性を隠し………。
 宇治の別邸に、長らく隠れ住んでいた。しかし、度重なる高天原の襲来に苦戦した藤原氏は、密かに私を遠縁が治める奥州へ移した。
 その地は京の都と違い、緑の大地に生きのもが溢れる別天地。高天原の神が創造した頃の地の姿を残していた。私も、経清氏の守衛に伴われこそすれ、陽の下で野山を歩き、地に生きるものたちに触れる、幼き頃のような日々を送れた。
 しかし時の朝廷は、豊かな奥州を治めているにもかかわらず、朝廷への貢租(こうそ)を怠り、軍備も進める安部氏と藤原氏を憎み、討伐を図る。
 戦はつづき、謀(はかりごと)も幾多。その果てに、源頼義が率いる朝廷軍は、出羽の豪族清原氏を味方に付け、安部氏とともに経清氏を討ち果たすことに。
 特に、裏切り者と恨んでいた経清氏は、錆びた刀によるのこぎり引きという残虐な斬首に。最後まで付き従っていた私は、甲冑を解かれ、女と知れて、生かしたまま手足を切り落とすという無残な刑に甘んじる。数知れない鎧武者に囲まれ、武術を知らなかった身は、なされるがままに。
 その場に突然現れた、衣羽奈(いわな)と名乗る女性(によしよう)。手足を失い、息絶え絶えの私をもらい受けたいと希(こいねが)う。なぜか承諾する頼義。
 その後手当は受けたが、あまりに多くの血をひとときに失った。間もなく生まれるべきものも、子宮の中で息絶えてしまった。
 今思えば、あの時の源頼義と清原光頼は、四代祖神、角杙(つぬぐい)様と活杙(いくぐい)様の憑依体に操られていたのだろう。後で知る姉、衣羽奈様の強い思念は、その宿主の口をも操った。
 防人たちも善戦してくれた。しかし、九年という長い戦いの歳月に、それぞれ討ち果たされていた。
 姉は、手足を失った私を、故郷、富士の五瀬一族のもとへ残し、何処へともなく姿を消す。切り取られた私の手足を持ち………。私は館の中で、百年の眠りにつく。
 目覚めた時、『さくやさま』と呼ばれた。自らを侍従としか呼ばなかった五瀬一族の老人は、五日間、私について語り息絶えた。
 しかし、なぜか姉のことはふれなかった。五体満足だが小柄な身体。それが私だと、思い込んだ。百年の眠りの間に、私の身体が自ら修復を試みたよう。無くした手足の分、身体は小さくなっていた。
 千百六十二年。藤原氏の世は廃れ、武士が不動の地位を模索していた。平清盛が、平治の乱に勝利したばかりだった。

 姉の記憶が、なぜ今断片的に蘇るのだろう。
 私たちは双子。しかし言い伝えでは似ても似つかない双子。瓊瓊杵(ににぎ)殿は、私を選んでくれた。此度の襲来の引き金は、きっと姉が握っている。姉は、あの時の恥辱を忘れない。
 姉妹としての温情で、地上から消え去るのは防いでくれた。しかし、次なるものを生み出すには、もとの身体が必要。姉を探し出し、手足を返してもらう。高天原の神の襲来も阻止しながら。
 そう決心した時に、地下道から出た。東の空が紫紺となっていた。夜明けが近い。

 三十四、

「夜襲を受け、館に火を放たれた。朔夜様は、館の地下道を通り、真と珠が宮之浜へお連れする! 」五瀬からの急報。悪い予感が的中。なのに潮に流される無様な俺。焦れば焦るほど………。

 満月に照らされた兄島瀬戸。穏やかだが動きのある海面を、西に傾く満月が細かく輝かせる。その上を、音も無く滑る船。
 卑墨の隠れ家を急襲しようと、エンジンを切って瀬にせまる監視艇。稲氷の言った手順を踏み、海保の署長にも報告してからの出航。
 出航間際に、『ヌッ』と現れた署長。自分も乗船するという。断る理由が無い。ここは、朔夜様のお言葉を信じ、こいつは見守るだけのはずと。その場の暗黙の了承。
 しかし、俺は信じなかった。海保の制服で偽装しているとはいえ、民間人の俺が監視艇に乗っていることを見て見ぬ素振り。こいつが急襲を知れば、まず、卑墨を逃がす。それから、館の手薄を知る。
 そして、陸の上を夜襲出来るのは卑墨たち。ともかく、行く手の島に卑墨が残っていることは無いと確信。
 流れの速い瀬を越えて、いよいよ島に迫り、にエンジンを切る間際に、後部甲板から海へ。容(た)易(やす)く泳ぎ切れる目測だった。
 ところが、静かに見えた海は、あっという間に俺を沖へ。そこへ、五瀬からの夜襲の急報。
 それどころじゃいと、中半諦めかけた時、足にゴツンと衝撃。背筋が凍る。ここでシャチに襲われた記憶が蘇る。自身の迂闊さに呆れ、こわばったまま辺りを見回す。
 すっと海面に突き出た、満月に照らされる小ぶりな背びれ。目前に顔も見せて『掴まれ』という声が聞こえた気がした。防人イルカの助太刀。
 イルカの背びれに掴まり、あっという間に瀬を渡り切り、館の真下の浜へ。すでに火の手が見える。海でもたついた俺より、館に近い父島基地の明や彦火は何をしていると憤る。
 館に近づくほど、その炎で周囲の状況が露わになってきた。裏手口が見渡せる位置に、小銃を持った五瀬を見つける。気配を殺して近づく俺に気づかない。
 背後からナイフで静止し、焦らないよう声をかけた。『速かったですね』と、落ち着いた返答。
「あれが、傀儡(くぐつ)という自衛隊員のよう。正面玄関には寝返りの隊員がいる」と、五瀬。
「卑墨は? 明と彦火は来てないのか? 」と、声を殺して確認する。五瀬が、気づいたようにスマホのメールを確認。
「明はこっちだ。どこかにいるはず。彦火は宮之浜へ向かったと連絡が入っていた。卑墨の確認は出来ていない………」と、五瀬。
「敵たちの捕縛に銃声はまずいな、こいつは俺が狩る。寝返り野郎をやれ! 」と指示。
「卑墨はどうする? 」と、五瀬。
「多分、明が補足してると思う」そう、五瀬に伝えた瞬間、パンパンと銃声二発。六十四式小銃の発射音。敵も、同じ小銃。どっちだ? 

 三十五、

 館に火が付けられた。またしても誤算。無能な司令官。屈辱で髪が逆立つ。
 前方の林に気配。僅かな殺気。視界を制限される暗視ゴーグルを外した。
 瞼を閉じ、気配を伺う。無音。そいつも自分に気づいたらしく、動きを止めた。ただ、消せぬ邪悪な気配。待つ。敵との我慢比べ。負ける気は無い。
 数十秒だった気がする。撃ってきた。一発は逸れ、一発は胸に命中。ボディーアーマーに食い込み止まる。大げさな転倒音を演出。引き寄せてから討つ。
 足音。近づく。しかし、数歩で止まる。強烈な殺意。跳ね起きる。同時に小銃の連射音。なんとか逸らす。
 瞬時に、七次郎の検死に立ち会った記憶が蘇る。頭に執拗に銃創があった。胴体への銃創の失血で身動きがとれない者へ。用心深い悪意。直感。卑墨だ。
 ハイランドでの血みどろの顔が浮かぶ。夜織が殺そうとしたが、朔夜様のご意向に反すると思い止めた。因縁。あの時夜織を止めなければ、この襲撃は無かった………。
 途端に小木へ足を取られる。転倒。自分の移動音を、忠実に追う連射の着弾。ただ、正確さは無い。
 発射の方向を移動した距離から確認。同じ位置から。逃げる時間が無い。瞬時にその方向に背を向ける。三発着弾。連射の弾丸が通り過ぎ、止まる。弾はアーマーが止めたが、凄まじい背の痛み。そして突如の静寂。苦痛を声にせぬよう堪える。
 発射された弾数の記憶をたどる。二十発。相手の位置から、弾倉を取り出す機械音。弾切れ。迷わず跳ね起き、暗視ゴーグルで確認。間に細い木々はあるものの約十メートル。直線で向かえば、弾倉替えを終えた直後。しかし………。
 この男を相手に死ぬ危険は冒せない。自分が標準し、撃てば良いでは無いか。なのに生かして捕縛しようと、一瞬迷う。相手は憑依体ではない。
 思い直す。暗視ゴーグルで補足して標準し、殺さず動きを止め捕縛する。しかし狭い視野に、すでに姿がなかった。落胆と後悔が遅う。
 直後に、背後から何者かの接近音。敵にしては動きが速すぎる。気を伺(うかが)う。殺意は無い。
「明か? 」と、夜織。卑墨に声を聞かれた。いや、夜織の接近音も聞き逃してはいないだろう。暗視ゴーグルで探る。やはり、補足出来ない。逃した。
「夜織、そっちは? 」と、聞く。
「チクリ野郎と、クグツは捕らえた。卑墨は? 」と、夜織。
「………逃がした」と、答えるしか無かった。直後の返答に身構える。
「そうか………そんな時もある」と、夜織。変わった。以前の夜織なら迷わず、自分を罵倒したろう、たかが人間一人を相手に。
「………館の代償としては、小物すぎるな」と、夜織。同感だった。なぜ、直ぐに銃口を向けなかったのか? 自分も変化していることを思い知らされる。
 五瀬殿に初めてお会いした時に、侍従の古文書で伝わる千年前の戦の顛末を聞いた。三人の防人は良く戦ったが、全て敵に討ち死にしたと。

 三十六、

 基地の車を借り、館へ通ずる三日月山入り口で明を降ろして宮之浜へ向かった。
 途中から、照明の無い狭く曲がりくねる林道を降りる。人気の無い暗闇。頭上に僅かに望む夜空の方が、満月でほの明るい。不安がよぎる。やはり、朔夜様のお側を離れるべきでは無かった。
 今回も、正攻法での先手のはずだった。館は手薄になるが、雲野殿が憑依したシャチはは海中。卑墨という男は兄島に隠れ、父島側に居ないことを前提にして動いた。
 硫黄島基地のヘリを、表向きは緊急医療搬送に出動させる。しかし、重機関銃も設置して飛ばす。その超法規的許可には、父の総監から陸自への極秘要請という手順を踏もうと稲氷。そのために、明と基地へ出向いた。
 手筈が整った時、五瀬から急報。裏をかかれた。
 右手の林が開け、夜空に浮かぶ兄島と月を写す瀬戸が見えてくる。宮之浜。突き当たりのロータリーに静かに車を止め、浜の様子を伺う。ボディーアーマーを着け、小銃も借りてきた。西へ傾いたとはいえ満月。目が慣れれば視界が開け、暗視ゴーグルは必要ない。
 背後から異臭。そして正面の兄島の影を照らし始めた赤い光。館を包む炎か? 悔しさで身が震える。
 私の位置は浜の中央。東の空も明け始めて紺色に。朔夜様たちが何処から現れるか予想。館の位置からすれば、左手の西側か。
 突如聞こえ始めたエンジン音。悟られぬよう浜に伏せて海を伺う。浜を囲む左手の岩陰から白い船体が現れる。卑墨の捕縛に行ったはずの監視艇サザンクロス。エンジンを切り、座礁しない深さの浜の沖に碇を降ろす。そして、
「朔夜、すぐに出てこい。来なければ、この男を殺す! 」という船の拡声器からの声。船が離れているので、甲板の状況がいまひとつ掴めない。朔夜様が館からここへ避難するという事実は、私もさっき知った。なぜ我々の行動が敵に筒抜けなのか分からない。
「男の名は、毛沼だ! 」との説明。目をこらす。青い白バイ隊の制服に身を包んでいる毛沼。後ろ手に拘束されている様子で、大きな身体のもう一人がこめかみに拳銃を当てている。指示を出しているのは、何度か見かけた海保の署長。館を焼く炎の揺らめきに浮かび上がる。夜織がいない。どうしている?
「彦火殿! 」と、背後から真の声。振り返ると、珠と共に朔夜様。
「朔夜様、ご無事で」と、姿勢をとり、安堵する。
「彦火、あれを」と、朔夜様。視線は監視艇。しかし、船に寄り添うように浮く黒い物体。潮を低く吹き、大きな白目のようなアイパッチと呼ばれる模様を見せる。
「雲野が憑依したシャチ? 」と、朔夜様に。小さく頷かれる。
「毛沼殿に銃を向けているのは、神武殿」と、珠。驚き、もう一度その男を凝視。背丈から輪廓、正しく神武。
「どうして? 」と、呟く。
「雲野様に操られている」と、朔夜様。
「なにをくずぐずしている! 本当に殺すぞ! 」と、署長の催促。どう判断していいか分からない。『諸行を見守る』はずのものが、敵の役割を担っている。 
「わかった」と、唐突に朔夜様。全身が怒りと緊張で張り裂けそうになる。
「すぐに海へ入ってこい! 」と、指示。それでは雲野のシャチの餌食に。仕方が無い。夜織や明の援助が無い今………。
「朔夜様。小銃で、神武を撃ちます! 」黎明と館の火に照らし出され、さらに露わになる緊急事態。毛沼の背後に立つ神武。残念だが、頭を狙うしか無い。

 三十七、

兄島の筋(すじ)岩(わ)岬に向かって、瀬戸を横切り滝の浦湾に入った。
 少し前に、背後で、夜織が船から降りたことは気づいていた。ともかく、筋岩岬に隠れているという卑墨に近づく気がしない。
 敵側の、何者かと知る署長まで乗り込んでしまった船。その者の目前では、神武と相談も出来ない。
 そして、岬を目前にして唐突に、
「予定の変更だ。宮の浜へ向かえ! 」と、署長の指示。さすがに黙っていられず、
「署長! 兄島に潜んでいる不法占拠者の捕縛では? 」と、神武。
「兄島に敵はいない」と、言い切る署長。
「なぜ、宮の浜へ? 」と、聞く。返事は無い。会話の間に船は向きを反転し、父島に。正面には三日月山。
 そこに異変。満月の明かりでみとめられる山腹に、白煙と共に揺らぎ始める炎。
「………味方が頑張ってくれた。お陰で宮の浜に標的がくる」と、署長。愕然。館に夜襲? 火をかけられたよう。どう行動すべきか神武に視線で請う。ところが、なぜか棒立ちの神武。直前に舟の進路を署長の指示通りに変えたことも可笑しい。
「おい、新入り海士。便乗させたそこの警官を捕縛せよ! あと一人防人が乗って居たはずだが………」と、署長が指示。神武が向かってくる。思わず脇に携帯してきた拳銃に手が延びた。しかし、踏みとどまる。
 神武は無表情に私の手錠で私を後ろ手に捕縛した。しかし、額に汗。視線も焦点が合わずに必死の抵抗。操られている。
「もう一人は、すでに降りた」と、返答してやる。
「ふん、少しは鼻がきく。さすがに防人」
 はて、この署長にそれほどの力が? と、見回したところ、船の脇に浮かぶ黒い巨体。方向を変えて動き始めた監視艇に寄り添い進む。時折先端から吹く潮。シャチ。それも、雲野が憑依した。これに、神武が操られていると直感。しかし、拘束された。為す術が無い。
 月明かりに浮かぶ宮の浜が見えてくる。人気は無い。視線を上げると炎が激しくなる館。久蔵たちは何をしている!
 署長が甲板に出て、真横に浮かぶシャチに近づく。言葉を交わすはずも無いが、あきらかに何か意思疎通をしている。
「よし、碇を降ろせ。マイクだ」神武は、言われるままに。
「浜に見える位置に警官を立たせろ。そして、警官の拳銃を頭に突きつけるんだ! 」神武が指示通りに動く。だが、表情には苦渋がただよう。必死に回生の策を練る。
「朔夜、すぐに出てこい。来なければ、この男を殺す! 」と、拡声された署長の声が浜に響き渡る。返事は無い。名を聞かれる。答えるしかない。
「男の名は、毛沼だ! 」と、説明。確かに、薄明かりでは細かな判別の難しい距離。やはり返事どころか、人影も見つけられない。署長が再びシャチに指示を請う挙動。そして、
「なにをくずぐずしている! 本当に殺すぞ! 」と、最後通告、確かにこめかみに銃口がグッと押し込まれ、引き金に指を触れる神武。その時、
「わかった」と、朔夜様御自身のご返答。声の位置を追う。四人。真、珠、そしてあの体格は彦火。どうやら、小銃で私たちを標準している。頭が澄み渡る。何もしなければ、次の瞬間、彦火は神武を討つだろう。自分の使命が浮かぶ。

 三十八、

「彦火、神武を討つな。私に向かってきたシャチの、開けた口の中に連射を浴びせろ」
 そう彦火殿に耳打ちしてから、何の躊躇も無く海に入っていく朔夜様。急いで左右に従う私と珠。朔夜様に迷いは無い。的確なご指示。私は、後ろ手に敵に見えない角度にナイフを持つ。
 ゆっくりと深みに入る。足(あし)下(もと)から生き物のように這い上がってくる水面。シャチが私たちの様子で、水深を確認してる。水の冷たさとともに、増すはずの恐怖を感じない。朔夜様がいる………。
 次の瞬間、水面で凝視していたシャチの頭がふっと潜る。来る。朔夜様の前に出る。珠も。命に替えても御護りせねば、私たちの存在する意味が無い。
 マスク無しの水中。輪廓のゆがむ視界。まだ暗い。でも、シャチの顎から下の白い模様が薄らと浮かぶ。
 『コッコッコッ』という水中音。自ら音を放って、反響から周囲の物体や位置を探るエコロケーション。シャチに標準された。
 来る。上下に僅かに動く黒白が見る間に近づく。水中銃があればと思った時、視界の端にすっと出た珠の手。水中銃を握っていた。あっという間に射程距離。発射。
 同時にシャチの鼻先につき立つ細い銛。気勢を削ぐ。直線的な接近のラインが僅かにぶれる。
 朔夜様の身体を抱き上げ、シャチの近づけない浅瀬へ。持ち上がらない。
 私たちの横をゆらりと旋回したシャチ。頭への一撃など無かったように。しかし、即座に襲ってこない。
 なぜか、私たちをじっと眺め回す。珠に『陸へ』とハンドサイン。二人で朔夜様を両肩に抱えて猛然と泳いだ。進まない。背後から追われている。これでは容易く襲われる。絶体絶命。
 突然、朔夜様がふっと軽くなる。私にも寄り添う黒い影。イルカたち。助けに来てくれた。
 朔夜様の両手が、二頭のイルカの背びれに。珠と私もイルカに引かれて進む。
 あっという間にイルカも限界の水深。背びれから手を放す。自然に退いていく。ようやく浅瀬に立とうとした瞬間、背後から襲う黒白模様。開け放たれた鋭い牙のならんだ顎。
「伏せろ! 」という陸からの叫び。彦火殿。ほぼ同時に銃声。身をかがめる。
 連射の弾道が私たちを掠めて着水する。視界の端で、大きく開いたシャチの顎に、何発か食い込む。
 シャチの動きがあきらかに鈍り、止まる。胴体も座礁したよう。大きな口がゆっくりと閉じる。でも、そこに私の左足があった。
 脹ら脛に食い込む鋭い歯。激痛。珠に視線を送る。『後はお願い』
 シャチが私を振り回しながら、深みへ戻っていく。シャチの激しい動きと、私たちの血で濁った水の中へ引き込まれる。
 足がちぎれた。けれど、痛みはもう感じない。呆然と水中に留まってしまった。来る。濁りの中から目前に現れた、横向きに空いた口。深々と、上半身がその中に。私に食い込む歯。胸がかみ砕かれ、当たり前だった身体の営みと記憶が薄れていく。
 目の前にシャチの目。満足そうに微笑んでいる。残念ね。私の手にはナイフ。その目に突き立てる。ナイフの身がきらめきながら突き進む。その惨(むご)たらしい絵が、白く消えていく………。
 一矢を報いた? お爺さん。早すぎる再会になるけれど、きっと私を褒めてくれる。

 三十九、

 視界にそれが入った途端、俺は頭の隅に追いやられた。意志に反して手足が勝手に動く。
 ただ、それの力は波のようで不安定だった。毛沼に手錠をかける? こういう場なら、手すりのパイプとか不動の物との拘束が基本。それを、動けるよう後ろ手に。
 拳銃を抜いて頭にあてろだと? 仕方ない、まねだけは。おっと強い………外していた指が引き金に触れる。安全装置を、上げたままにしといて良かった。
 何かに操られているという署長の、薄暗く様子が見えない浜に向けた脅し。加担している俺の身体。頭は悔しさで今にもはち切れそうだ………。
 しばらく沈黙する宮の浜。本当に、朔夜様たちはここへきているのだろうか?
 朔夜様の声が聞こえた。浜の様子が暗く、かろうじて波打ち際に進む三人の姿が見えた。
 それが、視界の端から海中に消える。途端に、俺に入っていたものがすっと遠のく。それを待っていたかのように、全身に力を漲らせる毛沼。まずい、
 今すぐに攻撃されたら、俺はまだ反撃しかねない。合図と思い。拳銃をこめかみからずらした。毛沼の緊張が緩み、ゆっくり頭を回して俺を伺う。
 左手。もう俺の意志で動く。毛沼にだけ見えるようOKサイン。手錠の鍵の位置を確認し、そっと解除。
 海へ視線を注ぐと、俺を操っていたシャチが朔夜様たちに向かう。真と珠が盾のように前へ出る。何処からともなく現れたイルカたち。加勢のよう。
 その見物にかじりつく署長。俺たちを忘れている。解放した毛沼とともに、取り合えず捕縛。手錠は確実に船の手すりへ掛けた。
「もう、遅い。シャチ相手に何ができる」と、うそぶく署長。放っておき、急いで監視艇装備の小銃を取り出し、朔夜様の援護を。
 位置に付きかけた時、小銃の銃声。それも連射。
 何が起きている? 浅瀬で朔夜様たちに襲いかかるシャチ。全身が凍り付く。一人が食いつかれた。他の二人と引き離してから沖側へ振り回し、もう一度胴体に噛みつく。
 そのままゆっくりと沖へ潜り去るシャチ。人を咥えたままでは、銃撃ができない。為す術がなく見守りながら、全身の力が抜け、その場に跪く。負けたのか?
「神武、見ろ」と、毛沼。指し示す浜辺には、岸に上がった二人。迎える一人。あの体格は彦火。小銃弾は彦火だった。
「朔夜様は? 」思わず呟く。二人の背丈、あきらかに違う。
「………朔夜様は、無事だ。やられたのは、真か珠だ………」と、毛沼。
 安堵とともに、一気に広がった視界に炎を上げる三日月山が入った。あの位置は館。
 頬を涙が伝った。安堵と、悲しみ。そして、悔しさ。操られ、敵に荷担し何もできなかった。生き返ったのは、こんな無様なことをするためか! 沸き上がる憤りと復讐心。どうにも出来ず、叫び声をあげた。
 いつの間にか、監視艇の周りに群がってきたイルカたち。俺の荒んだ叫びを消すように、時折声をあげる。その悲しみに満ちた鳴き声が、朝日が差し込み色を取り戻す宮の浜に響き渡った。

 四十、

 しくじった。小娘たちに謀(たばか)られた。
 痛みなど無いが、視界は半分。頭に突き立った敵の得物も、抜き取る術が無い。口の中にも数個の礫(つぶて)を打ち込まれ、血が止まらぬ。
 一つ一つの傷は、此奴の身体からすれば致命傷ではない。ただ、放っておいて治るような浅い傷でもない。
 しかし、此奴の身体のつくりでは、自ら傷の手当すら出来ない。とすれば消耗が続き、やがて命も危うくなるだろう。
 ことを急がねば、千年前のように悔いを残す。この中へ、朕の領域へ再度小娘をおびき出さねば………。
 目前の岩に、何食わぬ様子で止まる黒い鳥。周囲の海水が、朕の憑依体の流す血で染まるのもお構いなしという素振り。思念が来る。
『雲野様、お怒りのようで………』察したか。
『貴様は、朔夜が小さくなっていたことを知らなかったのか! 』
『………先のものからは、聞いていませんでした』確かにこのものも、今の小娘は此度初めて見(み)留(とめ)たらしい。
 千年前に見た朔夜の面影で、大きな身体のものを襲ってしまった。高天原のものが放つ気は、寄り添ってしまうと判別が難しかった。
 そういえば、角杙(つぬぐい)殿と活杙(いくぐい)殿が小娘を葬ったと戻られた時、『手足を削いでやった』と言っていた覚えがある。小さな朔夜には手足があった。不思議な術を使いおって………。
 しかし、監視の寸前の知らせであの場が持てた。
 朕は白服と敵たちの乗った監視艇の後をつけ、あわよくば一人でも討たんと思っていた。そこへ、小娘が宮の浜に出てくるはずと急報。それも闇夜に?
『それは、夜も飛べるのか』と聞く。
『これは昼の姿。夜は暗闇を飛ぶものに入っていました』との返事。
『闇に空を飛べるものなどいるのか? 』
『コウモリという、ネズミに翼を付けたような醜い生き物です。特にここのものは大きいです』なにやら得体の知れぬ姿を想像し、胸苦しくなる。
『おまえの前任の入った白服は、敵に捕縛されてしまったな。それに、悪党たちも』
『一人は、逃れて潜んでおります』
『ほう、陸にまだ味方が残っていたか』と、起死回生の機運。
『白服は………約を守れば抜けぬかと』
『その悪党を使い、小娘をこの中におびきだせ』
『………お言葉ですが、私の命に反するかと』先の監視が、常立殿に荷担し、高天原から此奴が消すよう言いつかっていたことを思い出す。
『ならば、そちが直接手を下さずに、朕の手助けをせよ』
『………わかりました。囚われた前任と、何処かに潜む悪党をつかいましょう』
『急ぐのだ。時間が無い』
『………』返事の思念をを返さずに、黒い鳥が飛び立つ。底なしの暗澹が襲う。朕のような麗しき存在が、あのようなただの気と思念を交わし策を委ねるなど、どこまで不愉快な事態がつづくのか………。

 四十一、

 夜明けの父島基地に、救急搬送用のヘリが飛来した。UH-60Jのエンジン爆音と回転翼からの暴風に耐えて近づく。一瞬、アフガニスタンの戦場が脳裏を過(よ)ぎる。
 スライドドアを開けると、硫黄島基地で装備してきた重機関銃と、若い隊員の緊張した顔がのぞいた。
「稲氷三佐、基地上官からの指示で、M2装備の本機の飛行指示を! 」と、若い隊員。
「いいか、本機の任務は『緊急医療搬送』だ。だが、対象者は病状が急変し亡くなった。とりあえず、次の本官の指示があるまで基地で待機! 宿舎でしばらく休んでいろ」と、指示。
「了解しました! 」と、敬礼ともに返答し、表情を少しほぐす隊員と操縦士。回転翼のスピードがガクリと落ち、やがてエンジンが止まる。
 ゆっくりと静けさが戻る黎明の中、父島診療所に車を走らせる。夜来の悪夢が蘇る。館が襲われて焼失。朔夜様は避難した宮の浜で雲野の憑依体に襲われ、味方に死傷者。
 私はその場に立ち会えなかった。慚愧の思いが全身を襲う。
 シャチに襲われたのは真だった。飛び込んだ治療室。目前の診療台に横たわる痛ましい真の身体に、ある救命処置が施されていた。
 雲野の憑依したシャチは、真の左足首を食いちぎり、胸を噛み砕いていた。
 しかし、すぐに放棄された身体と足は、駆け付けた明や夜織に救い上げられて、二見港に面した診療所に運び込まれた。
 損傷も激しく、すでに心肺停止状態の身体を前にした若い女性の医師は、その場に居合わせた朔夜様からの蘇生の願いを直ぐ聞き入れた。後から知ったが。彼女と手伝う看護師は、朔夜様が小笠原に滞在すると決まった時点で派遣された、あの特別医療班に所属する優秀な外科医と看護師だった。富士の戦後に、私と神武、毛沼を蘇生させたチームの一人だった。
 肋骨が折れて食い込んだ胸を開胸すると、心臓もズタズタだった。仕方なく再診の人工心肺装置を繋いでの、輸血となる。本来小笠原の診療所に無かった設備もお、彼女らの派遣と共に運び込まれていた。
 輸血の血に、明や夜織の回復を促した彦火の血も加えられた。その血が機械を経て全身に行き渡ると、真の体は甦生した。この驚異に、ある程度予想しながら立ち会った自分たちさえ戦慄した。
 医師は、肺に折れ込んだ肋骨を抜き出して元の位置に戻し、肺の傷を縫合して手際よく胸を閉た。数カ所のシャチの歯傷は、看護師がきれいに縫合してくれた。
 看護師が胸の傷も縫合している間に、医師は食いちぎられた足も、時間をかけて骨、血管や神経をみごとに繋ぎ、元の形に戻し縫合して固定した。
 十時間を越えた全ての治療を終えた医師と看護師は、ずっと傍らで見守っていた朔夜様に向き直り、
「最善を尽くさせていただきました。後は、早期の心臓移植が必要です………」と言って、その場に座り込んでしまった。
「ありがとう」と、二人の手を取る朔夜様の言葉に。
「お会い出来て光栄です」と、涙まで見せていた。
 真は、曲がりなりにも蘇った。その場に居合わせた私や神武のように、死の淵から朔夜様に救っていただいた。
「毛沼は? 」と、神武に聞く。
「捕縛した、海保の署長と敵の自衛官二人を警察署で拘束して尋問中だ」と、神武。
「卑墨は? 」と、名が出なかった敵の動向を聞く。
「逃げた。この島の何処かにまだ潜伏している」ふっと鮮明に蘇る一場面。私が一度死ぬ前に殺したはずの男の名。あのハイランドの駐車場に現れた、トラックの助手席にいた。確かに、心臓の位置に小銃弾を撃ち込んだはずだった。

 四十二、

 二見港に面した海上保安著の宿舎にある、署長の部屋に潜り込んでいだ。部屋の鍵は預かっていて、夜の港で出会って以来、隠れ家として寝泊まりしていた。でも、間もなく奴らが来るだろう、長居はできない。

 奇襲は見事に失敗。何処からか現れた敵と暗闇で対峙。ハイランドで俺を殺(や)ろうとしていたもう一人を止めたあいつだ。
 必死に先制し、何発か喰らわしたつもりだった。だが、なぜか効果は無く執拗に迫る。ゾンビかよ? こんなバケモン相手にしてたら命がいくつあっても足りないと、俺らしくも無くさっさと退散。
 そんな時、『宮の浜に来い』と、署長からのメール。傀儡たちと落ち合う余裕も無く、林を彷徨い宮の浜の駐車場へ出た。
 自衛隊の車両が一台止まっていた。目前の浜に人影が四つ。標的がいる。どうやって館からここへ逃げたのだろう? 
 海側に船。兄島に俺を捕まえに行ったはずの海保の監視艇。その船から拡声された署長の声。浜の連中とやりとりを始める。
 署長が乗組員だった敵を人質に取り、標的を海へおびき出す。浜の敵も応戦しようとしていたが、なぜか素直に海へ入る標的と付き人の女たち。そこへ、船の近くにいたらしいシャチが突進してくる。人対シャチ! 勝ち目は無い。
 あぁ、これで俺の標的も『一巻の終わり』かよ、なんだかなぁ………と、俺なりの妙な心残り。
 不思議な落胆をして立ち去ろうとしていたら、岸に上がってくる女一人と標的。シャチが得物を間違えやがった。ほぼ同時に、船の上も攻守逆転の模様。なんだか、ハイランドでの戦いの顛末を思い出す。

 昼下がりに、海保の署長の制服を着て警察署へ。 
 ずらかる算段をしていたら、署長の部屋の窓をコツコツ叩く音が聞こえた。窓の外の木の枝に、でかく黒い鳥。目が合う。なぜかついて行こうと思う。
 容赦なく照りつける日中の日差し。真っ赤な花を付けた街路樹。悪党には似合わない南国の景色。おっと、海保の白服を着てたっけ。
 ともかくここは人気(ひとけ)が無い。逆に、珍しい動きは誰かに見られているのだろう。俺らしくも無く人目を気にして十分あまり、鳥の後を追って着いた警察署。そこに『仲間がいる』と感じる。さらに『助け出せ』との指示。ふざけんなと思いつつも、なぜか逆らえない。
 入り口の右手に、内地と変わらぬパトカー。その脇に、見慣れた白バイ。VFR800P?こんな小さな島に………いやな予感。
 帽子を深く被り、玄関から入る。受付から出てきた警官に敬礼。初対面なのに何の警戒も無く、直立して敬礼を返す若造。制服の効果絶大。通り過ぎる瞬間に背後に回り、そいつの携帯していた拳銃を抜き、背に突きつける。
「逆らえば殺す。今朝、ここへ連行された奴らのところへ案内しろ」と、耳元で。相手が極度に緊張したことを確認。逆らわずに動き始める。
 こんな乱暴なやり方でいいのかよと、俺らしくもない不安。振り返ると、一部始終を入り口で見ている鳥。なんだかゾッとする。
 奥の留置場へ。こんな島の警察署でも一応その場がある。素直な警官。もしかしたら、本当にこれで味方を解放できるかもと思いきや、留置場前に立ち、スマホを見詰める見覚えのある警官。いやな予感ほど当たりやがる。でも、ここまで来たらやってみるか、火事場の馬鹿力とかいうやつ。
「毛沼さん、こいつの命と引き替えに、留置場の連中を解放してもらおうか! 」

 四十三、

 警察署に現れた、白い海保の制服に身を包んだ卑墨。なぜか、待っていた自分。
「卑墨、似合わないぞ! 」と、先制。やってることが似合って無いと諭したつもり。
「好きでやってる訳じゃ無い」と、やはり予想した返事。船上の神武ほどではないが、意にそぐわない行動を強要されているよう。
「この連中を解放してどうする? この狭い島で逃げられるとでも思ってるのか? 」
「ふん、逃げやしねえ! 目的を果たすだけだ」との返事。
「目的とは? 」
「朔夜という女を殺す! 」予想した答だったが、人間の卑墨がなぜそれほど執着するのか? 
「卑墨、何に操られている? 」と、聞いてみる。
「………毛沼さんだから言っとくが、富士の襲撃は、俺の面倒を見てくれた頭(かしら)への忠義だった。けれどな、今は………」
「今はなんだ? 」
「俺の目的になっちまったんだ」と、吐き捨てるように言う。
「お前は人だ。朔夜様の側なんだぞ」と、諭す。
「………人の方か。俺は、悪党というはぐれもだ。おかげで頭(かしら)に付いていた虫に………」言いよどむ。
「虫になにかされたのか? 」
「あぁ、………朔夜を殺すものに変えられたんだ。その後は、その目的だけで生きている」言葉を選び、ようやく心中を吐きだした卑墨。あきらかに、最初の敵にその後を操られていた。異常とも思える執着が、ようやく理解できた。
「卑墨、お前は人だ。もう、この戦いに組みするな」ここまでは、良く聞いていた卑墨だった。しかし、
「卑墨、なにをぐずぐずしてる! 早くここから出せ! 」と、留置場の署長。消沈していた表情が豹変し、
「あんただから、いろいろ話しちまった。俺はもう変わっちまったんだ、後戻りは出来ねえ! 」と言った瞬間、拳銃を下にずらし、警官の足に一発発射。苦痛に悶え、跪く警官の頭に銃口を付け、
「すぐに解放しろ! 逆らえば次は頭だ! 」と、恫喝。仕方なく、預かっていた鍵で留置場の扉を開けて三人を解放する。
 当然、所内の職員が銃声を聞いて何事かと集まってきた。卑墨は足を撃った警官から、人質を自分に替え、後ろ手に手錠もしてこめかみに拳銃をあてた。
「マッポども、手を出したらこいつを殺す! どけ! それからパトカーの鍵を持ってこい! 」と、指示。
「卑墨、よくやった。この者を人質に、朔夜をおびき出す! 」と、解放された署長。
「さすが、卑墨さん! 」と、嬉々とする傀儡。
 まずい事態だ。真を診療所に運んだ明たちとも連絡が取れていない。夜明けの船上では、雲野の憑依したシャチが動き出したとたん、神武が正気に戻った。しかし。相手が今の卑墨ではそれも叶わない。
 そのまま、遠巻きの所員や警官に見守られながらパトカーの中へ。傀儡が運転し署長が助手席。自分と卑墨、それから手を貸している自衛隊員は後部座席へ。
「傀儡、海上保安署だ」と、署長。
「高頭さん、策は? 」と、卑墨。高頭? 確か、戦死した小川組の幹部の名。
「もう一度サザンクロスで沖へ出る。此奴で朔夜を呼び出す」と、署長。まるでデジャブ。
「という訳だ。さてと毛沼さん、お仲間を呼び出してもらおうか」という卑墨の手には、何時の間にか自分のスマホが握られていた。

 四十四、

「警察署が卑墨に襲われ、毛沼が人質となった」着信したスマホを耳にあてた明が、唐突に言った。真の治療が一段落し、見守る珠を診療所に残して一時的に稲氷の宿舎にしている父島基地へ向かう車の中だった。
「明、それを」と、後部座席の朔夜様が助手席の明に手を伸ばす。
「海上保安署長です」朔夜様の指示は絶対。スマホを手渡す明。無表情に聞き入る朔夜様。どんな指示が話されているのか、稲氷が急停止させた車内に異様な緊張が走る。
「わかった」と、ひと言。無造作にスマホを明へ渡す朔夜様。全員が、朔夜様の指示を待つ。一瞬目を閉じられた朔夜様。見守る。瞼を閉じられたまま、
「稲氷、私をヘリで兄島瀬戸まで運び、落とせ」と、無表情に。敵の指示。全員が怒りで彷彿。
「それは………」と、ただ一人血の気の引いた稲氷が口をひらく。
「最後まで聞け。私はできるだけ浮く。襲ってきた雲野殿が憑依したシャチを、ヘリの重機関銃で撃て」
「わかりました」と、稲氷。
「敵は毛沼を連れ、すでに兄島瀬戸へ向かっている。雲野殿が憑依したシャチを仕留めるには、そんな策しかなかろう」
「お言葉ですが」と、顔を真っ赤にした明。その明の口を腕で制し、
「朔夜様。毛沼と引き替えに死地へ向かわれてはなりません」と、夜織。
「もう返事をした。私は行く」と、朔夜様。思わず、
「無礼をお許しください。それで朔夜様にもしものことがあれば、我々も人質の毛沼も、生きてはいられません! 」と、叫んでしまった。あまりの声の大きさに、朔夜様もあきれた表情で私を見詰め、
「………彦火、私はやすやすとは死なない。お前たちを相手に鍛えた体がある。心配するな」その、ゆっくりと私たち全員を諭される冷静でいて優しさの籠もったお言葉に、緊張しきっていた車内の雰囲気が一気に落ち着いた。一番狼狽え、声を荒げてしまった私は、恥ずかしさで消え入りたかった。
「では、朔夜様の仰るとおりに。同時に我々は………」明は表情を押さえ、瞬時に立てた策を語り出した。
「ヘリの操縦は、朔夜様のご指示通り自衛官の稲氷。搭載してある重機関銃の銃座には、海保で訓練をした神武。五瀬も、朔夜様に従ってヘリへ。防人三人は別働隊。スキューバの装備をして宮の浜から瀬戸に向かって海に入り、海底に待機。朔夜様用に準備しておいたナイトロックスを充填したダブルタンクを付けたスキューバ機材と、新たに入手しておいた水中用の火器を海中に持ち込む。
 ヘリから、一時的には浮いて居られるように空気を充填したBCDを付けた朔夜様を、海底で自分たちの待機した場所に届く海面へ落とす。
 朔夜様を見留めためたサザンクロスの敵や雲野の憑依したシャチは即座に襲ってくるはず。シャチが波間の朔夜様を襲うために水面に姿見せたところで、朔夜様にはBCDのエアーを一気に抜いて急潜行していただく。その潜行についていけるよう、頃合いを見計らって五瀬もヘリから飛び込め。朔夜様と五瀬が潜ったと同時に、神武が重機関銃でシャチを撃ち殺す。シャチを仕留めたら、サザンクロスへも機関銃を向ける。雲野を失った敵は戦意喪失となるだろう。それでも刃向かってくれば、機関銃でサザンクロスを撃沈して、海底に待機していた我々が人質の毛沼を救う。珠には、海神殿の船で近くに待機してもらい、戦況を見極めて浮上した仲間を救出する後方支援を要請しよう」
 目を閉じて、明の策を聞かれていた朔夜様。聞き終えた瞬間、その瞼をすっと見開き、
「わかった 」と、金色の瞳を輝かせてのお言葉。
「心得ました」と、皆の声がそろった。

 四十五、

 紺碧の水面を荒々しく騒々しく切り裂いて進む。自ら心地よく潮風と化す。何時しか、初めて地に降りた時を思い出す。
『首尾は良い。だが雲野様の憑依体は弱っている』唐突に強い圧迫とともに思念を受けた。真上に飛ぶ黒い鳥。傀儡という自衛官の男にサザンクロスを操縦させ、兄島瀬戸へ向かっていた。
『此度が限界か? 』と、鳥に思念を送る。
『たぶん、そうなるだろう。幾多の傷は浅いのだが、手当が出来ぬ』しばらくしてから答えが来た。瀬戸につく。エンジンを切り、辺りの様子を伺う。雲野殿のシャチはまだ見えぬ。鳥は、上空を優雅に旋回している。ひとときと思えたが、あるはずもない脳裏に、我が記憶と思しき情景がうかぶ。
 常立殿の再度の降臨を千年待った。我はただの意志。長い月日。宙に浮遊したままでは消えてしまう。朔夜が起きている日々は、周りの者につかず離れず出入りして見張った。しかし眠りにつく年月は、手頃な大樹に入って待つことにした。人が歴史と呼ぶ日々。争いは絶えぬ。しかし、大乱の後は、しばらく平穏な日々がつづく。人にも、自らの諸行を恥、繰り返さぬよう願うひとときはある。だが、忘れてしまう。その寿命があまりにも短いために。それも、人の業(ごう)。
 すがたかたちは、母、朔夜を写しているのに。こやつたちのような醜い邪心を生まれ持つものさえ絶えず生み出してしまう。船には、傀儡と卑墨。それに人質として乗せた敵の警官。もうひとり、朔夜が仮住まいとしていた館を焼く手引きをした男がいたが、乗船を拒んだので、港で殺して捨てた。
 やはり、次なるものが地に立つ時ではないだろうか? それを阻む行為に、何ほどの意味がある? 
『標的は、本当に来るのだろうな? 』と、また思念。迂闊。しかし、問い以外の思念は送ってこない。我の回想や逡巡は読まれなかったと、ほっとする刹那。
『やはりそなたは、魑魅魍魎の蠢く地に長く留まり過ぎたようだ。邪念まで共有しておるよう。首尾良く朔夜を抹殺した後は覚悟しておけ! 』………やはり読まれていたか。しかし、私が後任でも、同じように思考したに違いない。
『邪念は捨てた。今は高天原のご意志のために』と、一応送ってから思考を止めた。
 途端に、耳にとどく回転翼の風切り音。
「署長! 来ました」と、サザンクロスの操舵室から傀儡。嬉々とした様子で、船にあった小銃を手にしている。見上げると、瞬時に近づく大きな機影。
 私の横には、対物狙撃銃の指示バーを操舵室の屋根にあててヘリを標準し始める卑墨。その物騒な武器は、傀儡が基地から脱走する際に兵器庫から盗んできていた。
「卑墨、狙えるか? 」と、声をかける。
「あぁ………」卑墨としても、そんな代物を扱うのは初めて。武器マニアという傀儡から扱いの説明を受けてはいたが、奴にしては珍しいほど声に緊張が走る。
「朔夜がヘリから離れたら………」
「わかっている。傀儡、こいつなら一撃でヘリを落とせるんだろう」と、卑墨。
「バレットM82っすからね、装甲車だってイチコロです! 」
「おっと………」
「なんだ? 」
「標準スコープの中に、海保に潜り込んでたでかいのが俺に向けて機関銃を標準してる姿が入っちまった………どうする? 」と、卑墨。返答しかねていると、
『彼奴(あやつ)の標準は、朕だ! 』と、強い思念が左舷の下から。目を向けると、シャチが船にゆらりと併走していた。

 四十六、

『やはり無理か』夜織の示した残圧計の針が、レッドゾーンの50barを大きく割り込んでいた。タンクの空気が無くなる。
 迂闊にも、夜織が毛沼と共に卑墨を追って島から出ていて、スキューバのスキルを身に付けさせてなかったことを忘れていた。わかっていた本人も、なんとかなるだろうという自信過剰。どうしても潜ると、彦火から一瞬のガイダンスを受け、なんとか予定した海底にはたどり着いた。
 しかし、極度の緊張と力んだ動きは、そこまででタンクの空気を使い果たしてしまった。水深二十メートル。けして浅くは無い。
 彦火の残圧も、確認すると100barを切る。ふっと、彦火の体の変化を思い出す。
『落ち着いて、ゆっくり呼吸しろ』と、水中メモに書いて見せ、自分のオクトパスを差し出す。吸い尽くしてからもらうと、残圧計の針を示して伝えてきた夜織。もう一度、『無理するな』と書き示す。
 宮の浜の右手奥から入水した時には、すでに沖にサザンクロスの船影かあり、ブラックホークのエンジンが遠く聞こえ始めていた。予定通り運べば、程なく終わるはず。
 注視していた水面が、多くの巨大な魚影で満たされる。特徴的なT字頭の群れ。ハンマーヘッドシャーク。小笠原諸島では、はぐれの個体は見かけるも、大群の目撃例はほとんど聞かかない。彦火や夜織も、その異様な光景に戦慄。
 同じ浜の反対側で、夜織と雲野のシャチとホワイトチップシャークに囲まれた。その時は、危ういところをイルカたちに救われた。この群れも、きっと雲野に操られているのだろう。大きさも攻撃性も、ホワイトチップより数段上。
 彦火が構え、夜織もあわてて手にする異形の機関銃。自分も背負ってきたその存在を確認する。海上自衛隊が極秘に装備していた、旧ソ連製のAPS水中銃。稲氷が幹部に掛け合って送ってもらった。
 ほとんどの火器は陸上での射撃しか想定せず、水中では無力化してしまう。しかしこの銃は水中射撃で殺傷力を保つ構造と特製の銃弾。水深が増すほど射程距離は落ちるが、水深20mなら20mの有効射程があるはず。26発の弾倉も十分持ち込んだ。伝え聞くほどの威力なら、これしきの群れなら三人で連射を浴びせれば十分撃退できる。
 そんな水中銃を構えた二人の視線が、さっと自分に集中した。視界の端に、ゆらりと現れたサザンクロスの船底。そして、その左舷にぴたりと寄り添う大きな影。
まさしく雲野が憑依したシャチ。
 夜織の呼吸が激しくなり、浮かび上がる気泡がぐっと増えた。水底に潜んでいることを気づかれる。そう思った刹那、シャチの頭部にきらりと光る物体。目をこらす。左目の位置に深々と突き立つ水中ナイフ。きっと、真が報いた一撃。すると、やつは視界が半分。我々の潜む水底側は死角。
 しめたと思った時、耳に届いた『コッコッコッ』という音。シャチが体をグルリと反転し、頭をこちらに向けていた。反響定位。気づかれた。三人の銃口がスッその頭に集中。しかし、襲って来ない。来たのは、中層であてもなく大きな輪を描いていたハンマーヘッドシャークの群れだった。

 四十七、

「神武、撃つな」とのお声で、機関銃のトリガーから指を浮かせることができた。大きな銃を向ける卑墨との標準スコープでの睨み合いを、朔夜様自ら仕切っていただいた。直後にこの身に銃弾を受けようと、朔夜様のご意志と思えば救われる。
「私が潜行する機を決める。決して後に続くな! 」何時になく厳しい気を含むお言葉に圧倒される。直ぐに後を追う姿勢でいた五瀬が凍り付いた。そして、何の躊躇も無く宙へ。そのお姿が着水されるまで、永遠と思える時が流れた。
 スコープを卑墨から外し、シャチに向ける。一瞬、サザンクロスの上で体を操られた記憶が浮かび、戦慄を覚える。しかし、シャチの頭部は海底に向き、あの時のような異様な圧迫は来ない。そして次の瞬間、頭部の噴気孔から血潮を吹き上げ標準スコープの視界を赤く染めた。すでに肺に血流が流れ込んでいるよう。
「神武、打て! 」と、稲氷が恫喝。我に返る。外していた指を瞬時にトリガーへ戻し力を込めた。

 瀬戸が見えてくる。朔夜様が身に付けたBCDのインフレーターホースを咥え、空気を吹き込んで充填。ふと、ご尊顔を仰ぐ。無表情に見開いた朔夜様の視線は、開け放たれたスライド扉から空に。緊張という言葉を超越されている。これまでの修羅場も直後に待つ戦いも、朔夜様の眼中には無い。しかし、
「眼下にサザンクロス! 」という稲氷の声がヘッドホンに。
「これより本機をホバリングさせます。明たちが海底で待機する位置は、本機から六時の方向! 」マイクで伝える操縦席の稲氷と顔を見合わせる。稲氷の視線は、ブローニングM2重機関銃の銃身をサザンクロスに向けた神武に。すでに、指がトリガーへ吸い付いていた。その時、
『神武、撃つな』と、朔夜様。確かに聞こえた。しかし、自分や神武は、マイク突きヘッドホンを付けていた。ヘリでは、機内の騒音の中で意思疎通をはかる必需品。朔夜様は、それを付けることを断られた。騒音の機内では声が聞こえませんとご説明すると、『五瀬、そなたが伝えよ』と、私に。でも、今確かに聞こえた朔夜様の声。そして、『私が潜行する機を決める。決して後に続くな! 』と、ご指示されて体を宙へ。同時に飛び込むと決めていた自分の体は、そのお言葉で凍り付く。

「シャチが見えたら直ぐに撃ち殺せ。サザンクロスも撃沈しろ。後は、我々に任せろ 」と、ヘリに乗り込む前に明の指示を受ける神武。彼の横で同時に聞く私。明は視線でその指示の支援をと私に。頷く。我々から離れ、朔夜様の準備を手伝う五瀬には伝えなかった。このヘリを操る私は、容易に攻撃的な支援には加われない。
『神武、撃つな』
『私が潜行する機を決める。決して後に続くな! 』と、矢継ぎ早に我々を制し、宙へ舞われた朔夜様。騒音がはたと止み、紺碧の海原へゆっくりと吸い込まれていく朔夜様の姿。見とれるほど美しい。やがて着水。純白の飛沫に包まれる。と同時に止まっていた時間が轟音とともに急発進。浮き上がる朔夜様の間近にサザンクロスとシャチ。怒りで全身の血が逆流。
「神武、打て! 」と、叫んでいた。

 四十八、

 急潜行。同時に敵の銃撃を浴び水面が炸裂。凄まじい何かが数発体にくい込んだ。幸い先に海底に向けた頭には受けず意識は留まる。致命傷? かまわず潜行を続ける。残った視界の右後方に引きずる真っ赤な煙幕。こやつの血。いよいよ時が無い。
 着底。まだ動ける。赤く染まり眩しく輝く海面に頭を向け、超音波を放つ。標準した位置に、二体。加勢か。もろとも、血祭りにしてくれよう! 
 その朕の突進を妨げ、視界の覚束無い(おぼつかな   )左方向からの矢継ぎ早の体当たり。時折狭い視界を横切る、素早い動きの灰色。どうやら、何時ぞやも昨夜への攻撃を妨げたイルカたち?
 思念を送り、海底の防人に放った異形の鮫を呼び戻す。止まぬイルカたちの攻撃に、一瞬中層に留まり体制を立て直す。イルカたちも様子を伺い、朕の周囲を遠巻きに回遊。
 今一度、朔夜たちの位置を標準。浮いて居たはずの水面は無反応。標準を水中に。ゆっくりと潜行する二体。愚かな。空中に留まれる船がまだ健在ならば、救い上げさせれば良いものを。防人でもない、ただの仲間一人との交換条件などで、自らこの獣の世界に入り込むとは常軌を逸している。
 朔夜たちが水底に降りた。なるほど、そこに防人たちの放つ気。鮫が戻る。ずいぶん数が減った。防人の技か? この中でも強者よ。だが、こやつの攻撃には敵うまい。愚かな策を悔いろ! 

 俺の標的が、あっけないほど潔く宙を舞った。あわてて銃口を飛沫が上がった水面に。標的は、何事もなかったように浮上して、涼しげに波間を漂う。
「卑墨! 何をしている! 早くヘリを打ち落とせ! 」と、高頭さんの怒鳴り声。そうだ、今の俺の役目はそっちだった。だけど………途端に、ヘリの機関銃が火を噴いた。猛烈な火勢がサザンクロスの船上にも。思わず甲板に伏せる。しかし、着弾は左舷の海面に集中。直前の視界にはそこに………これじゃあ、あのシャチもお陀仏か? と、思った途端に背後から腕を取られ、何度が覚えのある金属の感触が手首に。同時に予想できた声。
「卑墨、警官は手錠の鍵を携帯してるのを忘れたか? 」と、毛沼さん。取られた手錠付きの右手はそのまま船の手すりに拘束。振り返ると、傀儡も捕縛され、船首にいたはずの高頭さんの姿は無かった。一瞬で形勢逆転。俺の役目、あっけなく幕。
 あとは、気になる成り行きをと、海を観る。そこに、射殺を予想したシャチの姿は無かったが、波間には夥しい血が漂う。
「シャチは死んだんですか? 」
「………わからん」と、不安そうな答え。視線を朔夜が浮いていた海面へ。姿がない。
「朔夜様も、潜行された………」と、聞く前に。
「ところで、高頭さんは? 」
「高頭? 海保の署長か? 捕縛しようとしたら、海へ飛び込んだ。なぜか浮いてこない」その言葉を聞き取ると同時に、頭上のヘリのエンジン音で世界が満たされた。見上げると、数ヶ月前に俺の前で死んでいた男たちが不安そうに水面を注視していた。次の瞬間、銃座に座っていた海保の大男が、背中に日本刀を括(くく)って宙に舞った。

 四十九

 残圧0。極度の緊張で曇り続けるマスクがフッと晴れる。

 すでに着底された朔夜様と、追って潜行した五瀬を中心に、明と彦火、俺で迎撃のトライアングルを作った。そして周囲を回遊しながら、止めどなく襲い来る鮫たちに水中銃を放った。
 朔夜様用の装備は持ち込んでいたが、五瀬のものは無かった。結局、有無を言わせぬ朔夜様のご指示で、五瀬は朔夜様のオクトパスをお借りすることに。弾薬に余裕はあったが、みなエア切れが近づいていた。
 ハンマーヘッドシャークは、攻撃を受ける度に銃弾を浴びせて怯ませるが、銃創を負って出血しながらも、もとの回遊に戻る。すでに数発打ち込まれた個体も、血の帯を引きながら平然と泳ぎ、また攻撃をつづける。
 鮫と逆回りに旋回し、体当たりで動きを阻むイルカたち。しかし、ほとんどのイルカが、鮫の牙で傷を負い、出血をしながらの白兵戦となっていた。
 そして、鮫たちの一廻り外側で回遊でする雲野のシャチ。我々の消耗とエア切れを持っていた。シャチもヘリの銃弾を受けたらしい。数カ所の傷から大量の出血をしている。
 海中は鮫とシャチ、そしてイルカの出血で、しだいに赤く染まり透明度が落ちてきた。間もなく、俺のタンクのエアが切れた。鮫の囲いを突破して、シャチと差し違える。銃をダイビングナイフ持ちかえ、空のタンクが着いたBCDを脱ぎ捨てシャチに向かおうとした。

 ヘリの真下の海中で、朔夜様の危機が迫る。サザンクロスは毛沼が制圧し、打ち落とされる危機は去っていた。雲野のシャチは水面下に。その深みでは機関銃も無力。群がる鮫の攻撃は絶えることが無いようで、イルカの迎撃の甲斐も無く回遊の半径は徐々に狭まり、水底の防人たちのエア切れも間もない。
 待てない。ヘリに持ち込んだ正宗を背負った。
「神武! どうする! 」と、背後の操縦席から稲氷。知れたこと。
「正宗で、シャチを切る! 」
「待て! 急潜行の水圧、今のお前の心臓では無理だ! 」その通り。
「俺にヘリの操縦は出来ない。差し違えるまでもてばいい! 」振り向くと、サングラスを外したヘッドの視線があった。一瞬、俺たちの始まりの日が蘇る。俺たちは戦死し、生かされてここに。生かされた理由はひとつ。朔夜様の盾。『行け』と、聞こえるはずもない七郎次の声………。
 騒音が消える。一直線に海面へ。着水、そして潜行。シャチの真上。遠く聞こえていた心音が止まる。正宗を抜く。振りかぶる。目前にシャチの頭。ゆっくりと右旋回。力の限り振り下ろす。
 ダメだ。水圧で振り切る力が保てない。意識が遠のく。正宗を大きく右脇に引きつける。狭まる視界の最後、シャチの右目に切っ先を刺し込む。そのまま脳まで串刺しに!
 正宗が止まる。浅い………無念。視界が消え、ブルーアウト。二度目。夜(やた)鴉(からす)さん。ようやくあんたのところへ行く………。

 目前で、俺の先を越す光景。シャチの真上から無謀なひと太刀を図る神武。だが、刀を振り切れない。それでも右目に刺し込み、動きが止まった。シャチは刀が突き立ったまま神武をはじき飛ばし、瞬時にその胴体に食らいつく。見る間に噛み砕き両断。中層に別々に放たれた神武の上・下半身。空かさず、ハンマーヘッドが群がり食らいつく。地獄絵。俺の視界も、酸欠で消えかける………。

 五十

 シャチの視界と引き替えに、神武が戦死。同時に、無限に続くかに思えた鮫の攻撃が止まった。
 気絶寸前の夜織に、自分のオクトパスを咥えさせてたたき起こした。彦火のタンクの残圧も僅か。水中に居られる時間はあと数分。シャチの動きが極端に鈍った。きっと、大量出血と呼吸できぬまま一暴れした奴の息も似たようなものだろう、ともかく直ぐに決戦だ。  
『彦火と夜織で、シャチの後ろから回り込み尾びれの動きを止めろ。自分は右目の正宗を刺し込み、脳を貫いて止めをさす』と、水中メモで二人に。我々の水中銃を五瀬と朔夜様に手渡し、援護をお願いした。
 赤く染まった海中を、統率が無くなった鮫の間隙を縫い、イルカたちに曳航され、ぐったりと水底に佇むシャチに近づく。視力は失っても、反響定位で標準されたら最後。慎重に背後から近づく。
 尾びれに届く位置まで接近に成功。夜織に彦火のオクトパスを咥えさせ。二人が尾びれにナイフを突き立てると同時に、正宗の位置までフィンを使い猛ダッシュ。
 背後で、大きく跳ね上がる尾びれへ必死に組み付く二人。あと数十センチ。シャチが海底の砂を巻き上げて進む。手が、刀に届かない。シャチの体がゆっくり回転する。泳ぎ続けながら、ナイフを抜く。回転する体に力任せに突き立て、そのナイフを手がかりとしてシャチの動きに身を任せた。
 大きな背びれの横。尾びれの二人も、突き立てたナイフでなんとか尾びれを掴みつづける。正宗は遠い。シャチの動きは緩慢だが、このままでは自分たちの空気が持たない。絶体絶命!

 明の手が、正宗に届かなかった。かろうじて背びれの位置に留まっているが、動き始めたシャチの体から前方に移動することは無理だ。朔夜様にいただいた力で、シャチの尾びれを羽交い締めにすることは出来た。とても人間業ではない。明も私の体を知って、この役に当てたのだろう。そんな私と共に尾びれに組み付く夜織は、限界を遥かに超えても耐えている。
 しかし、すでに苦しい。エア切れ寸前。明も同じだろう。死力は尽くしたが、もはやこれまでか? いや、防人の自分が朔夜様を残して死ぬ訳にはいかない。まだ力が出る。この尾びれ………へし折ってくれる! 

 目前で、防人たちがシャチに組み付いていた。しかし、シャチに止めをと神武が突き立てた刀を目指した明は、まだ背びれの位置。程なく三人のエアが切れる。彼らの戦闘能力が無くなりシャチが向かってくれば………。
 と、思った瞬間、水中に『ボキッ! 』と不気味な図太い破壊音が響いた。同時にシャチの動きが止まり、組み付いた三人とともにゆっくりと海底に沈む。多くの鮫も同時に息絶えたか水底に落ちていく。
 傍らの朔夜様が、
『五瀬、雲野殿にお帰りいただく』と、ご指示。水中で聞こえるはずもないが、従う。気づくと、イルカが朔夜様の左右と自分の右に。彼らの背びれに掴まりシャチの真上へ。すでに明たちのレギュレーターからエアの放出はなく、動きも止まっていた。朔夜様とともにシャチの頭部へ。
 シャチはまだ生きていた。だが、彦火に尾びれの骨を折られて身動きが取れず、またその体も限界のようだった。朔夜様は、右目に突き立つ刀を掴み、あっけなく差し込まれた。

 五十一

 赤く染まった生臭い塩水から意識が浮き上がる。熱く濃い大気。上がる。ほどなく冷え始めて眩しさも減る、眼下は一点の赤いシミをつけた青い海原。やがて、高天原の域へ………。
 負けた。無念。憑依したものの力に頼り過ぎた。所詮は獣。やはり神を写す人を操らねば勝てぬか………。
『雲野様、口惜しさ、如何ばかりかと………』と、天に向かう朕に近づく黒い鳥。
『ふん、宙にとどまり監視ができたのか? 』
『雲野様が入られたシャチが、朔夜自らに刺し殺されたところは、水面にて』
『もう朕に用はなかろう! 消えろ! 』
『お怒りのようで………お帰りになるまえに、ひとつ伺いたきことが』
『さっさと申せ! 』
『実は、白服に入っていた前任のものが、逃げ去りました』
『お前たちは、朕が差し向けたものではない。勝手にしろ』
『では、そうさせていただきます』

 人質に反撃された傀儡と卑墨を船上に残し、雲野様の加勢をと海中に。役に立たない体から、大きめのサメに入る。後任との約束はこれで反故。直後、不器用にもがく抜けた体は興奮した数匹のサメの餌食に。
 赤く染まった海中はすでに地獄絵。捨て身で体当たりしてくるイルカや、防人の銃弾を浴びながらようやく雲野様のシャチに近づく。
 突如、急潜行してシャチに刀を振り下ろす敵の大男。なんという向こう見ずで、あまりに無垢な捨て身の闘志に唖然。刀は雲野様のシャチの目に突き立つも、直後に無残に食いちぎられる大男。そして間髪入れない防人たちの猛攻が、ついにシャチの動きを制した。
 三人の命を賭して組み伏せられたシャチに、静かに止めをさす朔夜。負けた。
 ふと我に返る。我が身のサメも絶命。気配をけして辺りの気を探る。水面に、こちらを伺うもの。ゆっくりとサメを抜け、悟られぬよう大きく迂回し海面へ。
 サザンクロス。捕縛され呆然と佇む傀儡。気配を消してそっと入る。視界に薄らととらえた、海面から浮き上がり、昇天される雲野殿。後を追う黒い鳥。どうやら回避に成功。当分、こやつの中に潜むことにする。

 ここまで追ってきた標的を標準したのに、なぜか撃ち殺せなかった。そして、またしても完敗………。でも、ハイランドの時ほどボロボロではなく、死んだシャチも俺に置き土産はしなかった。
 夕日に染まり始めて薄紫に透き通る空を眺め、その色を写して輝く海原を爽やかな潮風を受けて進む船。拘束されながらも、不思議なくらい心は穏やか………これまでの俺の悪逆な人生に、こんな平穏な場面は一度も無かった。長い付き合いとなった毛沼さんの、
『卑墨、お前は悪党だが人だ。もう、この戦いに組みするべきじゃ無い』という言葉が浮かぶ。今は、強く逆らう気にならない。なぜか、書き込まれた文字も頭の片隅に。改めて、俺が朔夜を殺す意味を問い始めた。

五十二、

 海中決戦の翌朝、救急搬送のために飛来した飛行艇が本土の基地へ向けて飛び立った。稲氷とともに、晩秋の青空に消え行く機影を基地のポートから見送る。
 搬送されたのは、心臓移植を受ける真。付き添いの親族として珠。そして朔夜様が身内として五瀬もつれ同行された。真には、修復を終えたが戻す体を失った神武の心臓が移植されることになった。
 だが、朔夜様と五瀬は手術に立ち会うこと無く『イワナ』という人の消息を追ってすぐに旅立つという。『高天原の次なるものは、すぐには降臨しない』と、防人も伴わない旅を急ぐ朔夜様………。
 
 朔夜様が、雲野のシャチの息の根を止めたあと、水底で心肺停止状態だった防人たちを、駆け付けた珠の船に救い上げ、五瀬が救命処置を施した。三人ともあっけなく甦生。朔夜様のお働きを知り、その場にいらした朔夜様に深々とお礼をしたという。
 捕らえた卑墨と傀儡の罪状は、海上保安士の神武と署長への傷害致死とした。シャチやサメのいる海に二人を突き落としたと。二人とも、なぜか無言でそんな罪状を受け入れた。
 卑墨の様子があまりにも素直なので驚いた。卑墨と長い付き合いのはずの傀儡とも、終始言葉すら交わさない。今回の戦いが、卑墨に何かの変化をもたらしたのだろうか? 当分父島警察署の留置場で暮らし、いつか東京へ護送し新たな拘置所送りになる。

 防人三人は、次の小笠原丸で東京に戻り、旅立たれた朔夜様を追う。父島警察署勤務の自分と、自衛隊父島基地隊長補佐の稲氷は、それぞれの任務が解かれ、新たな赴任先が告げられるまで島に留め置きとなった。新たな赴任先とは、次の戦場となる地………。
 尚、祖父を失った海神姉妹は故郷の父島を離れ、朔夜様の侍女として付き従うことになった。もちろん、真は術後の回復を待ってから。同姓の侍女の補充は、若い異性の五瀬にとって舞い上がるほど喜ばしい進展になった。彼なりに、単独の侍従の責務は重いものだったよう。
 離島を戦地にした雲野との戦いは、常立との戦いに比べれば確かに人をほとんど巻き込むことなく勝利で終えた。自分にとって神武の二度目の死は辛いが、真の中で彼が生き続けることに僅かな励みはある。
 防人も去った静かな島で、稲氷と共に神武を葬った。決戦の海域、兄島瀬戸が見える小高い丘に。結局、回収できた遺体は頭部と左手だけ。命を賭して朔夜様に尽くしたその勇姿は、前回の戦いで散った仲間たちと同様に秘され、けっして語り継がれることはない。

      
  第二部 雲野 
                                  完

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?