「ムーミン谷の彗星」のこと 【感想文】

 わたしたちが毎日している過ちのなかで、いちばん多いのはたぶん、時間をたいせつにしないことかも知れませんが、その次か、そのまた次くらいに多いのはきっと、自分とは性格の合わない人たちを、すみっこのほうに押しやってしまう、ということではないでしょうか。ムーミン谷から旅をつづけて、何人ものはじめての人たちと出会うムーミントロールとスニフは、いちどもその過ちをおかすことがないように見えます。気むずかしいじゃこうねずみやヘムルたちのふるまいは、物語を読んでいるわたしたちをやきもきさせるでしょう。それなのに、ムーミントロールたちはそういう人たちを押しやることはせずに、旅のみちづれとして受け入れていきます。この物語のたいせつな点は、そういったところにあると思います。
 そして、時間をたいせつにするということにかんして言えば、登場人物たちはみんな、彗星が地球にぶつかる八月七日の午後八時四十二分に向けて、できるかぎりのことをしようとし、それぞれにものを思い、途中では彗星のことなど忘れて音楽にあわせて踊り、あれはてた土地をたいへんな苦労をかさねてくぐりぬけ、家路へとつくのです。

 さて、この物語の読みどころは以上のようなことがらだけでしょうか。もちろん、そうではありません。このお話のすぐれている点は、先に述べたような、自分とはちがう性格の人たちを押しやらずにいっしょに旅をすることや、彗星がぶつかる時間までにたくさんのことを思ったり、踊ったり、たいへんな苦労をして家路をいそいだりすることなどが、世にも不可思議な風景とともにつぎつぎと語られていくところにこそあるのではないかと思います。きれいなムーミン谷や、彗星のおかげで赤くなった空や、きりにつつまれたおさびし山や、海水がなくなってしまった海や…そのほかにも書ききれないくらいの、まったくおかしな、この世のこととは考えられない風景たちが、まるでもうそれを見ているかのように書きつづられていきます。さらにこの本には、いくつかの美しい線でえがかれたさしえがついていますから、それをながめることでも、ムーミントロールたちの旅のようすをうかがい知ることができるので、読んでいるわたしたちは、彼らの旅のはじまりから終わりまでを、それこそすぐそばで見ているような気分になれます。

 この物語は作者のトーベ・ヤンソンさんのつくり話です。では、このお話に書かれていることはぜんぶ嘘ということでしょうか。わたしは、それはちがうと思います。つくり話だということと、嘘だということは、似ているような気がしますが、似ているだけで、それはきっとおなじひとつのことではないでしょう。もし仮にぜんぶ嘘だとしても、それを読んだわたしたちの心がなにかを感じとったなら、その〝感じとった〟ということは本当のことでしょう。そして、それはきっと、作者のヤンソンさんが苦心して書きあげた物語のもつちからが、わたしたちにとどいたということではないでしょうか。みなさんはどう思いますか。

           二〇二四年 三月二十七日

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