75-76mm戦車砲

75mmM1897野砲系

75mm M1897野砲

75mm M1897は19世紀末にフランスで開発された世界初の駐退復座器付き実用野砲です。この砲は当時としては画期的な高い発射速度を持ち、第一次世界大戦ではフランスの主力軽野砲として使用されました。第一次世界大戦後はアメリカでも主力野砲として採用されました。フランスではこの砲を第一次世界大戦中に開発されたサンシャモン戦車や2C重戦車の主砲として使用しました。弾薬は骨底薬莢式で、寸法規格は75×350mmでした。閉鎖器は隔螺式の一種であるノルデンフェルト式を使用していました。

7.5cm FK 97 (f)

ドイツがフランス侵攻やポーランド侵攻で鹵獲したM1897に与えた名称です。

7.5cm PaK97/38

ドイツが鹵獲したM1897に独自の改造を施したものです。基本的にはM1897の砲身を5cm PaK38対戦車砲の砲架に載せたものです。被牽引速度や旋回角が改善していました。弾薬もフランスやポーランドで鹵獲したものが用いられました。

75mm T9 高射砲

アメリカで開発された75mmT9高射砲はM1897野砲を高射砲に改設計したもので、後のアメリカの戦車砲の原型になりましたした。変更点は砲身長を36口径から31口径に短縮、閉鎖器をノルデンフェルト式から水平鎖栓式に変更したことでした。

75mm M2戦車砲

T9高射砲の車載版で、M3中戦車(リー・グラント)の初期型に使用されました。砲身や弾薬はT9と同じでした。

75mm M3戦車砲

M2戦車砲の改良型で、M3中戦車の後期型およびM4中戦車(シャーマン)の主砲として広く使用されました。最大の改良点は主砲を31口径から40口径長に延長し初速が向上したことでした。弾薬はM2と同じもの(75×350mm)を用いました

7.5cm PaK40系

1930年代にドイツで新規に開発されたものです。

7.5cm PaK40

5cmPak38の拡大型としてラインメタル社によって開発されました。最初から高初速の対戦車砲として意図されたもので、野砲を転用したタイプの戦車砲とは一線を画する性能を有しました(6.8kg, 790m/s)。

7.5cm KwK40 戦車砲L/43

7.5cm PaK40の戦車砲型です。PaK40は薬莢が細長く(75×714mm)車内での取り回しに難があったのでこれについて改善するために太く短い形状の薬莢(75×495mm)を備えた新型弾薬が開発され、これを使用する戦車砲として KwK40が設計されました。弾薬の変更に伴って発射薬量が減少し初速は減少しています(6.8kg, 730m/s)。砲身長もPaK40(46口径)よりも若干短くなっていますが、初速減少の主な要因は弾薬の発射薬の減少によるものでしょう。
KwK40は初期のモデルでは砲身長が43口径でしたが、すぐに48口径の砲身が開発されたため43口径タイプが使用されたのは短期間でした。
このようにKwK40はPaK40の単純な車載版ではなく、PaK40から威力が低下しているのですが、PaK40の単純な車載型という誤解から両者の仕様や装甲貫通力のデータが混同されていることがあります。

7.5cm KwK40戦車砲 L/48

7.5cm KwK40 L/43の改良型で砲身長が長くなり、初速が若干向上しています。仕様砲弾はKwK40 L/43と同じです。大本のPaK40(46口径)よりも砲身は長いのですが、PaK40とは使用する弾薬が異なるためこちらの方が低初速になっています(6.8kg, 740m/s)

PaK40とKwK40の仕様の比較

7.5cm KwK42戦車砲

パンターの主砲として使用するための新型戦車砲として開発されました。口径はKwK40と同じ7.5cmで砲弾は共通したが、薬莢は大幅に大型化され初速900m/sを超える高初速砲になっていました。薬莢寸法規格は75×640mmで、PaK40(75×714mm)よりも小さく見えますが、ボルトネックを伴った太い形状になっていたため、内部に充填できる発射薬の量には大きな違いがありました。初速の大幅な向上により運動エネルギーはKwK440から1.5倍以上に向上し、イギリスの17ポンド砲と並び75-76mmクラスの砲としては最強クラスの装甲貫徹力を有していました。

3インチ砲M1898系

アメリカで沿岸砲として開発された砲に起源をもち、第二次世界大戦期には3インチ対戦車砲(自走型と牽引砲型)や76mm戦車砲に発展しました。

3インチM1898要塞砲


3インチM1898 : 1890年代に小口径の隠蔽砲(Disappearing gun)としてアメリカで開発されました。隠蔽砲とは沿岸防御用の砲台の一形態で、砲撃時以外は砲を陣地に造成された窪みの中に砲を隠せるようにしたシステムのことで、沿岸防御に効果的な方式として当時盛んに研究されていたものです。砲自体は普通の76mm砲で、遠方の艦船を砲撃するために比較的強力な弾薬を使用し、隠蔽状態に移りやすいように砲架の背が低く設計されていたことと砲座を伸縮して高さを低める機構が組み込まれていたことが隠蔽砲としての特徴でした。所定の寸法で造成されたコンクリート製の円形の窪みの中央に台座を固定して使用されました。弾薬は固定薬莢式、閉鎖器は隔螺式でばね式の駐退復座器を備えていました。

3インチM1902要塞砲 : M1898は伸縮式の台座を砲架として使用することで隠蔽砲としての機能を実現していました。この砲架はコストがかかり嵩張る上に射撃精度に悪影響を与えていました。そこで砲架の伸縮機能を廃止したモデルも並行して生産・配備されることになります。これがM1902です。M1902は艦載砲としても使用されることになります。その目的は大口径砲では対応が困難な、航路上に発見した機雷の緊急爆破、小型魚雷艇の迎撃などに、使用するためでした。艦上に搭載する以上伸縮式の台座はあまり意味がないのでこの目的には専らM1902やM1903が利用されました。

3インチM1903要塞砲

M1902の砲身を55口径に延長して射程の延長を図ったモデルです。M1902と同様に非隠蔽砲架を使用していました。

3インチM1917高射砲

3インチ高射砲M1917 : M1903要塞砲を高仰角を採れる新型砲架に載せて高射砲としたモデルです。55口径長で薬莢の寸法は76×690mmでした。閉鎖器は半自動式鎖栓に変更されました。これは発射後に薬莢の排出を自動で行い装填待機状態になるというものです。M1917は据え付け型で、要塞や陣地の防空を意図したものでした

3インチ高射砲M1918 : M1917を四輪式の架台に載せて被牽引による移動を可能にしたものです。

3インチ高射砲M1 : M1918の砲身の内張りを着脱式にしたものです。製造・整備の容易化のための改設計で性能は同じでした。

3インチ高射砲M2 : M1917の砲身の内張りを着脱式にしたものです。製造・整備の容易化のための改設計で性能は同じでした。

3インチ高射砲M3 : M1917の砲身の内張りを着脱式にし、新型の移動式砲架に載せたものでした。

3インチ高射砲M4 : M2の砲身の内張りの仕様を変更したものです。製造・整備の容易化のための改設計で性能は同じでした。

3インチT9高射砲

3インチ高射砲T9 : M1917の改良型として1930年代に開発されたものの90mm高射砲が次期高射砲に選ばれたため試作のみに留まりました。砲身や弾薬はM1917と同じで、閉鎖器や砲架に改良を加えたもののようです。90mm砲との競作に敗れた後に対戦車砲に転用されました。

3インチM5対戦車砲

3インチ対戦車砲M5 : T9の牽引式対戦車砲型で、制式採用され2500門が量産されました。76×585mm

3インチ対戦車砲M6 : M5自走砲で使用されたモデルです。

M5自走砲

3インチ対戦車砲M7 : M10自走砲で使用されたモデルです。

M10自走砲


76mm戦車砲M1

76×539mm

76mm砲搭載型のM4中戦車

76mm戦車砲M1 : 1942年、低初速の75mm砲M3を搭載するM4中戦車の火力強化のために一連の3インチ砲をM4中戦車に搭載する実験が行われました。しかしそのままでは砲塔内が狭くなりすぎ砲の操作に支障があることが判明しました。そこで3インチ砲の砲弾を3インチ砲と同等の初速で発射できる3インチ砲よりも小型簡素な戦車砲が設計されました。これは75mm砲の閉鎖器を参考にするなどして開発がすすめられ、76mm戦車砲 M1として完成しました。この砲では従来の3インチ砲(76×585mm)よりも太くて短い薬莢(76×539mm)を使用しており、砲弾は共通しているものの弾薬の互換性はありませんでした。補給上の混乱を避けるためこの系列の砲は「3インチ砲」ではなく 「76mm砲」と呼ばれることになりました。薬莢の形状が変わったことで薬莢の容積はは若干減少しましたが、従来の薬莢が発射薬を完全に充填せず少し隙間を空ける仕様だったものを完全に充填する仕様に変更したこともあり、発射薬の量は新旧弾薬で同じに保たれていました。このため弾薬規格の変更にも関わらず砲の性能はほぼ同一に保たれていました。76mm戦車砲M1は弾重7kgの砲弾を790m/sで発射でき、この性能は3インチ高射砲や3インチ対戦車砲と同等でした。
76mm戦車砲の運動エネルギーは従来M4中戦車が装備していた75mm砲を大幅に上回り、同時代のドイツの48口径7.5cm戦車砲KwK40よりも優れていました。



76mm M1902系

76mm M1902野砲

76mm M1902野砲は、ロシア帝国で開発された75mm M1897に似た野砲です。M1897の75×350mm弾よりも少し強力な76×385mm弾を使用していました。

76mm M1902/30野砲

M1902野砲を近代化したものです。砲身延長(30口径→40口径による初速向上(589m/s→662m/s)および最大仰角の拡大です。これにより最大射程が8.5kmから13.3kmに大幅に向上しました。

76mm F-22野砲

M1902/30野砲の後継として開発された野砲です。砲身が延長され51.2口径になりましたが弾薬は同じ(76×385mm)だったため初速や射程距離は微増(13.3km→14.0km)にとどまりました。高仰角(75度)をとることができ、高射砲としても運用可能でした。また、砲架も大幅に近代化され、従来の単脚式から開脚式になり左右に合計60度の旋回が可能になり、高速での被牽引も可能でした。このように多岐にわたる高機能化が行われていた半面で重量が大幅に増加しており、戦場での取り回しに困難があったことからあまり評価は高くなく、改良型のF-22USV野砲が開発されることになりました

76mm USV野砲

F-22の軽量・低コスト版として開発されました。砲身長がM1902/30野砲に近い42口径に短縮され、最大仰角が野砲としての使用に差支えのない45度にまで低減されて高射砲としての機能は廃止されました。最大射程はM1902/30野砲と同等の13.3kmに戻りましたが、F-22に対して軽量化されており運用性は向上しました。

76mm ZiS-3野砲

ZiS-3野砲はUSV野砲のさらなる低コスト化・軽量化を図った後継機です。ZiS-3の砲架は同時期に開発されていた57mm ZiS-2対戦車砲と共通で、ZiS-2の砲架にUSVの砲身を載せたものがZiS-3と言うこともできます。ZiS-3は1942年に制式採用されて以降ソ連軍の主力野砲として大量に生産されます。ZiS-3ほUSVと同じ砲身・弾薬を使用しており、性能もUSVとほぼ同じでしたが、大幅に量産性に優れていました。

SU-76自走砲はZiS-3の自走砲向けモデルであるZiS-3Shを搭載していました。

76mm L-11戦車砲 : ZiS-3と同じ弾薬を使用するが砲身長が30.5口径と短い戦車砲です。KV-1 1939年型とT-34 1940年型で使用されました。SMK多砲塔戦車ややT-100多砲塔戦車でも使用されましたが、これらの重戦車は試作に留まりました

76mm F-32戦車砲 : ZiS-3と同じ弾薬を使用するが砲身長が39口径と短い戦車砲ですKV-1の1940年型で従来のL-11戦車砲に代えて使用されました。

76mm F-34戦車砲 : F-34はT-34の1941年型以降で使用された戦車砲です。これまでの76mm戦車砲(L-11やF-32)が使用弾薬はZiS-3と同じでも砲身長が短縮されており、初速や装甲貫徹力がオリジナルのZiS-3よりも低下していたのに対し、F-34ではZiS-3と同じ長さの砲身(42口径)と弾薬を使用しZiS-3と同等の初速・装甲貫徹力を発揮できるようになりました。

76mm ZiS-5戦車砲 : T-34に使われていたF-34戦車砲をKV-1に搭載できるように手直ししたモデルで、性能はF-34戦車砲やZiS-3野砲と同じです。KV-1の1941年型以降で従来のF-32戦車砲に代えて使用されました。

第二次世界大戦中期の1943年になるとドイツが新型戦車を投入し始めたため76mmM1902野砲系列の火砲は装甲貫徹力不足となり、後継の戦車砲として85mm砲や122mm砲が導入され、この系列の火砲は戦車砲としての役目を終えました。

17ポンド砲系

17ポンド砲

6ポンド砲の後継としてイギリスで開発された口径76mmの対戦車砲です。牽引砲と車載砲の両方のモデルがあります。既存の火砲をベースとしたものではなく、弾薬規格を含めて新規に設計されたものです。砲弾重量は7.7kgと、口径76mmの火砲としては例外的なまでの大重量の徹甲弾を使用することが特徴です。砲口初速も880m/sと高速で、ドイツの7.5cm KwK42と並んで75-76mmクラスの対戦車砲としてはトップクラスの運動エネルギーや装甲貫徹力を有しました。砲身長は55口径とあまり長くありませんが弾薬は大量の発射薬を使用する強力なものが使用されていました。ドイツのKwK42は同じく1940年代に入って新規に開発された高初速対戦車砲/戦車砲で、口径・弾重・初速は異なりますが、装甲貫徹力において重要となる砲弾断面積当たりの運動エネルギー面密度で見るとほぼ同一の値(差がわずか0.2%)を持ちます。


77mm HV戦車砲


17ポンド砲は強力でしたが、大型で反動も強かったため戦車砲として使用するには困難を伴いました。そこでイギリスの主力高射砲として用いられていた3インチ20cwt高射砲の薬莢と17ポンド砲の大重量(7.7kg)の砲弾を組み合わせた新弾薬が考案され、これを使用する戦車砲として77mm HV戦車砲が開発されました。3インチ20cwt高射砲の薬莢は17ポンド砲の薬莢よりも小さいため発射薬量は減少しており、初速は17ポンド砲に対して100m/s低下しました。それでもアメリカの3インチ高射砲M1917やそれから派生したアメリカの76mm M1戦車砲と同等の初速を有しており、弾重が大きい分装甲貫徹力は少し上回っていました。この砲の後継は3インチ(76.2mm)でしたが既存の76mm弾薬との混同を避けるために77mm砲と称されました。この砲は17ポンド砲に対して小型化されて反動も減少したため戦車砲として搭載することが容易という利点がありました。装甲貫徹力は17ポンド砲から低下していましたが3インチ高射砲M1917や76mm戦車砲よりも優れていました。この砲は76mm戦車砲との比較審査で良好な結果を収め、大戦末期に開発されたコメット巡航戦車の主砲として採用されました


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