1930年代前半の対戦車砲

1920年代後半までは対戦車砲という概念はほとんど存在せず、対戦車戦闘には従前の歩兵砲や野砲を転用すればよいという考えでした。しかし1920年代後半から1930年代前半にかけて各国で37mmクラスの対戦車砲が次々と開発され、37mm対戦車砲が事実上の標準となるとともに対戦車砲という概念が急速に各国の軍隊に普及していきました。

第一次世界大戦で登場した戦車は装甲が最厚部でもせいぜい30mmしかなく、野砲の直撃に耐えられるようなものではありませんでした。野砲の直接射撃で戦車を撃破するという発想は早くからありました。しかし当時の野砲は威力が十分であっても重量が大きく隠蔽性も悪く射撃準備にも時間がかかるためため、射撃位置に着く前に返り討ちに遭う可能性が非常に高くとても現実的とは言えまませんでした。そこで、歩兵が使用する軽量な砲である歩兵砲が対戦車砲に転用されるようになりました。当時の歩兵砲は敵陣を近接射撃することを目的に、最前線に容易に人力で持ち込めるように性能を犠牲にコンパクトに纏めた小型火砲になっていました。第一次世界大戦における種の歩兵砲の典型例であるフランスの37mm M1917軽歩兵砲は非常に対戦車能力が低く、小銃の対戦車銃弾の方がまだマシというレベルでした。第一次世界大戦後もM1917のような軽歩兵砲を対戦車砲として使用すればよいという考えは残りましたが、各国で戦車の配備が広まった1920年代になると有効性の高い対戦車兵器の開発が急務となり、小型かつ対戦車能力に優れる火砲の開発が各国で始まり、1920年代末から1930年代初めにかけて次々と具現化されていきました。このような対戦車砲は歩兵砲の延長として位置づけられ、主に歩兵の管轄の下で運用されていくことになります。

これらの対戦車砲は25-40mm程度の小口径・高初速砲で、人力での陣地転換も可能な500kg未満の重量を持ち、移動目標に素早く照準でき、隠蔽性にも優れた背の低い開脚式砲架と速射性の高い固定薬莢式の弾薬を使用し、野砲並みの装甲貫通力を発揮するという新機軸のコンセプトを持ちました。

37mm M917歩兵砲

ラインメタルPaK36 (Tak29)

1920年代末に登場した3.7cm PaK36はこのカテゴリーの先駆者となり、各国における来戦車砲開発の手本になりました



3.7cm PaK36はドイツのラインメタル社が(ベルサイユ条約を無視して)開発した先駆的な口径37mmの対戦車砲で、弾薬は37x249mm弾を使用し、砲弾重量0.685kgの徹甲弾を初速745m/sで発射しました。ソ連が開発に協力し、1929年には開発が完成し輸出市場向けに3.7cm TaK29の名で販売されました。ドイツ軍に公式に採用されたのは再軍備宣言後の1936年までずれ込んだため PaK36の名前が付いています。実際には1936年以前から存在は広く知られ、各国で対戦車砲の開発の参考とされました。

37mm 1-K対戦車砲

ソ連の37mm 1-K対戦車砲は3.7cm PaK36とほぼ同型でした。

37mm 1-KはPaK36のコピーで、ソ連で最初の対戦車砲でした。PaK36はベルサイユ条約の制限を逃れるために試験場をソ連が貸し出して開発が行われたため、その見返りとしてラインメタル社からソ連に開発データが引き渡され、それを基にソ連国内で生産が行われたのが1-Kです。1-Kの基本性能はPaK36と同じでした。

シュコダA3 

シュコダA3はチェコスロバキアのシュコダ社が1934年にが開発した37mm対戦車砲で、社内名称ではA3と呼ばれました。1934年には3.7cm KPUV vz.34の名でチェコスロバキア軍に制式採用されました。砲身長は40口径で、弾薬は37x268mm弾を使用し、砲弾重量0.815kgの徹甲弾を初速675m/sで発射しました。装甲貫通力や砲架の基本仕様はPaK36とよく似ていました。

37mmバフォース対戦車砲。防盾を完全に装備した状態
防盾は必要に応じて半分ずつ外すことができた。

ボフォース37mm対戦車砲はスウェーデンのボフォース社が1934年に開発した対戦車砲です。弾薬は37x257mm弾を使用し、砲弾重量0.835kgの徹甲弾を初速875m/sで発射しました。37mm対戦車砲としては強力な部類に入り、装甲貫徹力はPaK36やA3を凌駕していました。この対戦車砲はポーランドへ販売され、ポーランドでは戦車砲としての戦車への搭載も試みられました。


フランスの25mm対戦車砲は小口径ながら37mm砲に匹敵する装甲貫通力を持ちました。しかし口径の割に大重量で機動性は37mm対戦車砲と同程度でした。

オチキス25mm対戦車砲

オチキス25mm対戦車砲はフランスのオチキス社が1934年に開発した口径25mmの対戦車砲です。37mm砲よりは小口径ですが口径の小ささを高初速で補う独自のコンセプトで、近距離であれば37mm砲を上回る装甲貫通力を発揮し、速射性にも優れていました。砲身は72口径と細長く、高い発射腔圧に耐えるために全体的に頑丈な造りになっていたこともあって砲架を含んだ重量は37mm対戦車砲と同等の480kgに達し、小口径にもかかわらず機動性の面では37mm砲に対するアドバンテージはありませんでした。1937年にはフランス国営ピュトー工廠が重量を軽減した独自の改良型(25mm APX Mle1937)を設計しています。

94式37mm速射砲

1934年に日本で開発された対戦車砲。日本初の専用の対戦車砲であり、性能や構造はPaK36に近いものだった。

1930年代後半に続く

対戦車砲の普及に伴って戦車の装甲も強化され、1930年代後半になると25-37mmクラスの対戦車砲では威力不足になっていき、新規に開発される対戦車砲の口径は45-50mmクラスが主流となっていきました。


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