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教員を目指し、諦めた理由。

私は、教員免許はありますが、教師や教育系の仕事には就いていません。
今回は、過去に教師を目指していた時のことについて書きたいと思います。


そもそも、なぜ教師を志し、教員養成系の大学に入学したのか。
一番の理由は、親が教師であり、上の兄弟も教師を目指して大学進学していたことだと思います。
身近にいたから、どんな仕事をしてどんな生活を送っているのかが想像しやすかった。

教師を志す人には、親が教師だったり、自分が学生時代の時に出会った先生が好きだった、とかはあるあるな理由だと思います。

そして、私自身も先生や友達に恵まれ、
受験期はお互いに勉強を教え合ったり、
志望校出身の先生からは「お前ならやれるぞ」と言われ、それを励みにしたりしていました。

そして、中学の社会の先生になりたい、と年代や教科まで明確な目標がありました。

なぜ、中学社会を選んだのか。
中学校は義務教育期間の最後であり、家庭の事情に関係なく学ぶことができる場所である(登校できない人もいるということには当時思いが至りませんでした)。
そのような役目がある中学校で、現代社会の仕組みや制度、過去の歴史など学んだことが、その後社会で生きのびていくための財産になると考えていました。

その考えは、大学に入ってからも、今も変わりません。社会の仕組みや制度を知らないと騙されることもある。だから学ぶ必要があるし、一番多くの人にそれを伝えられる手段として、中学校の社会科教師が最適だと、少なくとも当時の考えとしては正解だったと思っています。


念願の第一志望の大学に入学し、教育学のこと、子どもの発達のこと、教科教育のこと、歴史・地理・政治経済などの知識、それらを学ぶことは新鮮でどれも興味深く思えました。

しかし、大学3年の秋、教育実習という最難関にぶつかります。夏頃から準備等を始めるのですが、教材研究まではよかった。ダメだったのは、模擬授業。同学科の人たちの前で授業をやってみるのだが、自分で言うのもなんだが、決して全く形になっていないわけではなかったと思う。頭が真っ白になることもなく、そつなくこなしたと記憶している。
ただ、自分が学生(生徒)たちの前に立って何かを教える立場になるという状況に対して、違和感と呼べばいいのか、「自分がこんなとこに立っていると学生(生徒)たちに笑われる」「私は人に教えられるような人間じゃない」という思いが拭えませんでした。
私の所属する学科は、教員免許取得必須=教育実習をやり切らないと卒業できなかったので、違和感と戦いながらも本当にギリギリで実習を終えることができました。
(もちろん、事情があってどうしても難しい人は延期なり免除なりそれなりの制度はありました。ただ、その手続きをやる方が面倒だった)

なので、私にとって3年次の実習は、教員になるためのものではなく、卒業条件を得るため、そして、自分は教員にはならないということを確かめるためのものでした。

苦手意識を持っていたのは、人の前に立ったり教えたりすることだったので、休み時間や放課後に生徒たちと雑談をすることや、教材研究をしている時間は楽しかったです。

実習を終え、教師にはならないことを決め、就活の時期になりました。
学校の先生以外で教員免許を活かせる道として、個別指導塾の講師や、放課後デイサービスや児童養護施設など児童福祉に関係する業界をまず考えました。内定をもらったものの中に児童養護施設支援員もありました。しかし、この先多くの可能性を秘めている子どもたちに影響力を与える立場は、当時の自分には荷が重すぎました。迷った末、他業界への就職を選択しました。

それから数年経った今でも、できることなら子どもと関わる仕事がしたいという気持ちが、心の奥底あたりで手を挙げている気がします。
でも、子どもには嘘やごまかしが効かない、できないと思っているので、なかなか仕事として接するのはハードです。私のような適当に仕事をこなしてる人間にはできない気がします。

なので、まだしばらくは子どもと関わる道には就かないと思います。10,20年後、「今ならできそう」と思える時が来たらやるかもしれません。


今まで何十回と人から「なんで教育を学んだのにこの仕事に就いたの?」と聞かれました。
だいたいの人には「教育実習をして自分には合わないと感じたから」と定型文のように答えていました。間違いではないけど、そこには自信のなさと適当に仕事をこなしたいという、なかなか人には言いにくい理由も絡んでいました。


大学も就職先も、その時の自分なりに適切な選択をしていたと思います。強いて言うなら、大学はもうちょっと他学部とも交流できるところで視野を広げたかったなということくらいです。せっかく時間がある大学生活なので。でも、学外の人とも交流し、そこで得た経験は一生モノの財産になったので、学内での交流の幅が狭かったことはそこまで悔いに残っていません。


終わりどころが迷子になってしまいました。
過去を振り返って言葉にする良い機会になりました。もうしばらく今の業界を続けて、食いっぱぐれない程度の経験とスキルをまずは身につけたいと思います。

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