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天才と凡人、その見方はあなたのものですか?

自分はできない人間だ。もっと頭が良ければ、あれができれば、これができれば。そう思うことはないですか?
私はよくあるのですが、振り返ると他社と比較して、できない事柄にはどうしても目が行って、自己嫌悪を感じます。この際、できないという事実には目を向けても、その理由の考察をすることはあまり、いや、0といっていいほどにないです。なぜでしょうか。

答えは簡単です。努力が足りていないという自覚があるからです。戻らない時間、現状の能力。覆水盆に返らずとでもいうようにどうにもならない事象が自身の選択結果であるということです。しかし、その事実を認めてしまうことはすなわち自分自身の否定につながってしまいます。そうして私は事実から目を背けている、あるいはこれさえも言い訳の一環なのかもしれません。

昔、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということを耳にしました。当時は、どうせ私は愚者ですよ~と不貞腐れるだけでしたが、今となっては別の解釈もあったのではないかと考えます。賢者がしていることは、歴史から確信を得ているのではないかということです。突き詰めてしまえば、愚者であろうが、賢者であろうが、同じ人間に違いはありません。では何が違うかと考えると、人によって変わるものは経験とそれに対する考え方ですね。もっと言えば、視野の広さと当事者意識だと考えます。この事から、賢者としての行いは、愚者よりも密度と量が濃い経験に対して、歴史の事象と照らし合わせて理由付けが得意ということになります。

目を背けていては見えない景色は必ずそこにあります。望む望まざるにかかわらず、確かにあるのです。見識の狭さが自身の可能性を狭めることがないよう気を付けていきたいですね。

良ければサポートをお願いします。どうか、卑屈で臆病な私に前を向く力を、明日に夢見る力をお与えください。自信がない、背中を押してほしいそんな時にあなたの助けは確実に力になります。私のことを馬鹿にしても憐れんでもかまいません。 形はどうであってもきっかけは貴重な財産です。