見出し画像

プールのおじさん

この話は今から三十年近く前になるだろうか。
長女が通う事になった小学校には屋外プールがあった。
屋根も無い古い造りの狭いプールではあったが、北海道の短い夏の期間に使われるには充分な設備であった。
学校は放課後を過ぎると、そのプールを地域の幼い子供達にも開放し、保護者が付き添う事を条件に自由に使っても良いという、田舎ならではの気前の良さを見せていた。
お言葉に甘え、我が家の未就学の息子も暑い夏の間中プールを使わせて頂いていた。
そこには子供達から「プールのおじさん」と呼ばれる年配男性が、監視員として働いていた。
その当時、彼の年齢は七十歳位で、暑い時期だというのに長袖長ズボンの、灰色の作業服をしっかりと着こみ、長靴に麦わら帽子、首には白いタオルといった井出達で、いつもプールサイドをゆっくりと歩き、じっと子供達を見つめていた。
非常に寡黙で、彼が口を開いているところを見た事は無い。
しかし子供達を見つめる愛情深い眼差しと、万が一何かが起こってもすぐに飛び込むとでも言わんばかりに、プールの縁すれすれの場所をくるくると巡回するその姿に、親達は全幅の信頼を寄せていた。

そうして数年が過ぎ、幼かった息子もその学校に入学し、親が付いていかなくても放課後のプールを楽しむようになった小学二年の春の事、事件が起こった。
近くに住む伯父を訪ねた時に不意に叔父が思いがけない人物を話題に出した。
「おい、お前の子供らが通っている小学校にプールがあるだろう?」
「うん、あるけど・・・?」
「そこに監視員をやってる爺さんいるよな?秦さんという爺さん」
彼がハタという苗字であることは知らなかったが、私はうんうんと首を縦に振った。
「いるいる!プールのおじさんでしょ?え?伯父さん知り合いなの?」
「山菜採りの仲間なんだ」
伯父は毎年春になると軽トラックに乗って近隣の野山へ出向き、蕗やワラビ、キノコといった自然の幸をどっさり採っては、市内で営む自身の八百屋で安く売っていた。
「いや・・・秦さんな・・・行方不明なんだよな・・・」
「行方不明って、どういうこと?」
伯父の言葉に私は非常に驚いた。
私は「プールのおじさん」の素性を深くは知らない。少なくとも私の周りの人々で、彼を良く知る人はおらず、正直なところ彼について知ろうと思う事もなかった。
しかし、彼は間違いなくあの小学校に通う誰もが知る有名人であり、叔父が彼について話した時点で、まるで古い映画スターを想うかのごとく、プールサイドをゆっくりと歩く作業服姿の彼がまざまざと思い起こされていた。
その人が行方不明とは、私は酷くショックを受けた。
「いないって、どうしたの?」
「タケノコを採りに山に入ったまま、居なくなったんだ。もう二週間だ」
伯父の説明を聞き、山に入ったまま行方不明になっている老人について書かれていた新聞の記事を、数日前に目にした事を思い出した。
記事を読んだ時には、そこに書かれていた「秦」という名前と、「プールのおじさん」が合致する筈もなく、気の毒にと思いながら新聞を閉じた。
私の住む地域でタケノコといえば、姫竹や根曲がり竹と呼ばれる「千島笹」という竹だ。
細く頼りなげではあるけれど、立派なタケノコなのだ。
これを採るには笹が深く生い茂る「笹の密林」で低く身を屈めねばならず、夢中になっているうちに方向を見失う事は珍しくはない。
ふと頭を持ち上げると、四方八方同じ景色が広がっており慌ててしまうという訳だ。
毎年何人もそうして山の中で遭難する者が出る。
「道路淵に秦さんの車だけ残ってたんだと。もう二週間も経つし・・・まだ山は寒いしな。それに、熊もいるしな」
伯父は言葉少なに語るも、その言葉のどれもこれもが絶望を意味していた。
「ええ・・・?」
言葉を失った。私はそれ以上何も言えず、子供達にはもちろん、誰にもこの事は言えないと思った。
彼の無事を祈るうえで、迂闊に口に出してはならないような気がしたのだ。

それから間もなく、プールのおじさんが不在のまま夏を迎えた。
学校のプール授業も始まり、恒例の地域へのプール開放も例年通り行われることになった。
そして、これは叔父から聞いたことであるが、学校側はまだ見つからぬ「プールのおじさん」と、そのご家族へ配慮し、他の監視員を雇うことはせず、手の空いた教員達が交代でプールの監視をするという方針をとった。
「プールのおじさん」の妻がそう言っていたそうだ。
そうして幾度目かの”放課後プール”を楽しんで帰宅した小二の息子に、私は何気なく尋ねた。
「今日はどの先生が監視員さんをやっていたの?」
すると息子は、「大下先生とね、プールのおじさん!」と答えた。
一瞬にして、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。
「大下先生がプールのおじさんになっていたの?」
そう聞く私に、息子はきょとんとして、またも同じことを言うではないか。
「大下先生と、プールのおじさんは、プールのおじさんだよ」
「プールのおじさん・・・?」
「そうだよ。どうして?」
息子は彼の事故については知らないはずだ。
親達の間で、多少なりとも噂になってもおかしくはない出来事であったにも関わらず、不思議と母親たちが顔を合わせても、誰もそれについて語る者はいなかったのだ。
息子が誰かと見間違っているのだろうかとも思った。
だが、夏場だけのこととはいえ、三歳の未就学の時から毎年学校の屋外プールに通い、おじさんを良く知っている息子が誰かと彼を見間違うだろうか?
私が困惑していると、息子が更に続けた。
「でもね、変なんだよ。プールのおじさんはいつもなら歩き回っているのに、最近はずっと隅っこの椅子に座ってるんだよ、こうやって・・・」
息子はすかさず居間のソファにどさっと座り、両手を膝に置いてうつむいた。
いつもとは様子の違うおじさんの真似をしているのだ。
「プールのおじさん」は、例年通り同じ作業服を着て、長靴を履き、麦わら帽子をかぶった井出達でそこにいるのだと息子は言う。
信頼するあまり、「プールのおじさん」がそこに居て当然と思う子供が作り上げた幻か、それとも愛情深いおじさんの魂がまだそこにあったのかは定かではない。
その後、私は決して息子には同じ質問をしなかった。
おじさんを慕う子供の心も、天国へ行っても尚、子供達を見守り続けるおじさんも、どちらの想いも壊したくなかったからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?