勝気な花嫁が老いた夏

久しぶりにNOTEに書いてみる。
1年ぶりになるだろうか。

今朝方のこと、奇妙な夢を見た。

自宅は高台にある。
夢の中、自宅の前に立ち、その下を見ると、道路に大きく水溜りが広がっているのが見えた。
雨上がりの泥で濁った水溜りは、横に大きく広がって道路を塞いでいた。
その水溜りの向こうから、全身を真っ白い衣装に包んだ人がこちらに向かってくるではないか。

不思議な事に、遠くに見えるその人物の服装が、白無垢に綿帽子の花嫁さんだと直ぐに分かり、夢の中の自分は、そんなところに花嫁さんが一人で居る事に、疑問すら持ってはいない。
花嫁さんはたった一人、道路の中央をしずしずと歩いて水溜りの前にやってくると、一瞬立ち止まり、再びその縁をゆっくりと歩く。
水溜まりに覆われた道路には、人が歩く場所など見当たらず、花嫁さん一瞬は私の視界から消えた。
だがそこを大きく迂回したのであろう花嫁さんは、裾を汚す事もなく水溜りを避け、俯いたまま私の横を通り過ぎる。
その時私は彼女の顔をまじまじと見た。
綿帽子が顔を隠し、白く化粧を施された頬と細い顎、赤い紅をさした口元だけが見えていた。
花嫁さんはそのまま上へと上がっていった。
私は目線を再び下に移す。今度は赤い着物に華やかなかんざしや髪飾りを着けた花嫁さんがやってきた。
次の花嫁さんも、白無垢綿帽子の花嫁さんと同じように水溜りの前までやってくると、先程の人物と全く同じ行動を取った。
水溜りに少し躊躇したものの、何事も無かったかのように迂回し、
着物を汚さずにこちらに来るのだ。
私はまたもその顔を見た。
それは、若き日の自分自身だった。
私は咄嗟に悟る。さっきの白無垢の花嫁さんも私だ。
赤い着物にかんざしの花嫁さんは、老いた私には目もくれず、
静かに草履の足を進め、私の前から消えていった。
私はまたも道路の下へと目をやった。
今度は洋装、白いドレスに白い手袋を着けた人が水溜まりの向こうに立ち、こちらをじっと見ていた。
それはやはり私だった。
ドレスは既に汚れ切っていた。

怖い!私はそこでパチリと目を開いた。
咄嗟に起き上がり辺りを見渡した。
いつもと変わらぬ、乱雑な寝室に一安心した。

先日早朝に一人で墓参りをした。
それは亡くなった前夫の墓。前夫は両親が眠る墓に一緒にいる。
早朝だったせいだろうか、田舎の古い墓地に人影はなく、舗装をされていない駐車場には、大きく水溜りが広がっていた。
羆の出没を知らせる立て看板があり、それを見ただけで身が縮む思いがした。
高台に設置された、水を汲む場所は鬱蒼としていて、今にも熊が出るのではないかという思いに駆られ、何度も辺りを見渡した。
そんな状況に、私は自宅から持ってきた花束を握りしめ、ビクビクしていたが、
実は墓に行く前から私は既に怯えていた。
私はその墓を参るには、完全に部外者なのだ。

25年程前に前夫の母が倒れた。
8月初旬の、物凄く暑い日だった。
連絡をくれたのは、義母の隣家の人だった。
「もう亡くなっている」
義母の元へと駆け付ける時、私の車のカーステレオから流れていたのは、
槇原敬之さんの「ハングリースパイダー」だった。
義理の母が倒れたという一大事に、なぜか私はその歌を繰り返した状態で掛けていた。
彼女に恋焦がれる一匹の蜘蛛の歌だ。
だか恋した彼女は怯えるばかり。
妙な歌は義母宅に到着するまで掛かり続けた。
それほどに私の心が動転していたのだ。
母がおらぬ私には、前夫の母だけが唯一「母」と呼べる存在で、大切な人だった。
きっと義母がいなくなったら、私の家庭は破綻する。そう思った。
義母だけが心の支えだった。
支えを失ったら・・・。
その時のことを子供達は覚えており、今もその歌が掛かると、慌てて前夫の田舎へと車を飛ばした状況を思い出すと言う。
そうして夫の母が亡くなった後、私は子供達を連れ前夫から離れた。
しかし、それ以後も私はこっそり前夫の両親の墓参りをし続けた。
そうして墓に手を合わせながら、必ず心の中で呟いた。
「ごめんなさい」

先日の墓参りで、墓前で手を合わせた私の心に
「ごめんなさい」という思いが湧いては来なかった。
同じ墓に、前夫も眠っている。
そう思った瞬間に、ふと、今まで何に対して謝って来たのだろうかと思い、
私はしばらく墓の前でしゃがんでいた。
わがままで勝気だったから、ごめんなさい?
あなたたちの息子と最後まで添い遂げられなくて、ごめんなさい?

そうしているうちに、結婚式を思い出していた。

前夫との結婚式で、私は義母が好む衣装を身に着けた。
義母と一緒に衣装を選び、引き出物を考えた。
白無垢に綿帽子、衣装替えの赤い着物、流行らぬチョウチン袖の、お人形の服の様な白いドレスと白い手袋。
白いドレスは既に黒くくすんで汚れが目立っていた。
その汚れているドレスがイヤだとは言えず、「可愛い、可愛い」と言って褒めてくれる、義母の気持ちに沿う事に必死になった。
娘を持たぬ義母、母のおらぬ私、どこへ行っても実の親子だと思われ、それが嬉しかった。
そうして義母の喜ぶ顔を見ていると、母に孝行している気になった。
だが、それは最初から自分を押し殺す結果となった。
前夫は典型的な「昭和の頑固おやじ」、彼は家庭を顧みずに奔放に振る舞った。
だが私もそれに負けてはいなかった。
決してしおらしい嫁ではなく、不平を大いに前夫にぶつけていた。
だが、義母の前だけは何事も無いと言うふうに装った。
どんなに心が乱れていても、義母にだけは見せたくなかった。
夢の中、泥の水溜まりの前で平気を装い、しおらしくしていた花嫁と同じだ。
その負けん気は今も衰えておらず、私は結局毎年恒例の、墓前での「ごめんなさい」をせずに帰って来てしまった。
墓に一人で行くものではないと、子供の頃から良く聞かされたが、
その通りだと思った。
独りで行った為に、余計な思いを背負いこんで帰って来てしまったようだ。
ついでに書けば、
私は実母の墓がどこにあるのかを知らない。
愚かしい人生を歩む母を、子供達はどう思っているのだろうか。

まあ、なんてことはない、取り留めのない呟きだ。












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