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卒業式で味わった宇宙の法則〜観念を受け入れる

息子の卒業式が終わりました。

さてさて、、、

結局わがやの夫は


「俺は毎日、◯◯(息子の名前)とは
関わっているから、卒業式に参加しなくても
全然構わない。」


と、夫なりの価値観を主張し
卒業式への参加を拒否したことで


私の価値観と合わず
言い合いになりました。


それが卒業式の3日前。

最終的に


「お前が俺に来て欲しいと言うなら
お前のために行ってやるよ💢」


と、わけのわからない
ことになったので、、、


「じゃあ。もういい!
一人で行くよ❗️」


と、結局
その日はその言葉を言い放ち

私がリビングのドアを思いっきり
閉めて、退散することで試合終了。


私はただ、

夫婦で息子の卒業という節目を
祝いたかった。


だけなのに、、、


夫婦で卒業式という時間を共有することに
意味があると感じただけなのに、、、


夫には


「卒業式に出ないなんて信じられない」

「卒業式に参加しないと後悔するよ」

「息子の卒業式には普通でるもんでしょ」


のような無言の
圧力を勝手に感じたのでしょう。



夫からすると


ふだん、ほとんど無関心な奴(私のこと)が
行事になると強制参加させて


一緒に見れなくて
淋しいなんてふざけるな💢

だったようで


彼からしたら
そんな非日常よりも


毎日、毎日、息子のために
夕飯を作り、

夕飯を食べさせながら会話する
自分の日常こそがすべてで


卒業式を観に行かないくらいで
息子と自分の関係は1ミリも変わらない


と、主張したかったのだ。

そして、自分の父親も
自分の卒業式には来ていないけど
自分はそのことに対して、1ミリも
「来て欲しかった」とは思ってない。
むしろ、
毎日の繋がりがあったから
卒業式なんて、どうでもよかった。


と、自論を展開した。


私は、、というと

ただ、素直に
夫の好きな歌を息子たちが
卒業式で歌う。


その合唱を
その瞬間を
直に感じることに価値を感じた


ただ、それだけだった。


でも、夫にとっては
そこには価値はない。
いや、価値がないまでは言わないけれど
ビデオで観られれば十分だっただけ。


ただ、それだけのこと。
二人が見ている『息子の卒業式』
に対する捉え方がただ違うだけのこと。


これは、セルフセラピーカードの
『観念』の罠そのもの。

観念


『観念』とは
過去からの固定した考え方で
自分の世界を形づくり、
行動に影響をおよぼすものだ。


私たちは『観念』によって
何を見るか
どんなふるまいをするかが
決まる。


夫は、夫の生まれ育った
家庭の色眼鏡で物事を見ていて


私は、私の色眼鏡で世界を
見ている。


だから、同じ『息子の卒業式』に対して
こんなにも違う見方をして


自分と違う見方の相手を
ジャッジする。


ほんとうに、それでいいの?


と。


ただし、これは罠であることを
私はもう知っているのに、


やはり、
リビングのドアを
思いっきり閉めることで


怒りの下にある『かなしみ』を
夫にぶつけた。


夫には、もちろん
怒りの態度しか伝わらない。


こんなやりとりを何十年も
続けてきたのだから、


そりゃ〜
糸も絡まるし、
夫婦関係もこじれるに決まってる🤣


卒業式までの間に


【もう、録画も撮ってやるもんか】

【夫婦で節目を祝えないなんて最低】

【もっと価値観が同じ人だったら】


などなど
数えきれないくらいの負の感情が
湧き上がるのを感じた。


そして、今回は


できるだけ
その負の感情を味わうようにしてみた。


今までの私だったら

自分が正しいとか
相手がおかしいとかいうことばかりに
気を取られて、


自分が感じた
悲しみや淋しさや怒りの感情を
ないがしろにしてきたのだけれど、


今回は
自分の正直な心に
ただ、素直に向き合ってみることにした。


あ〜私は夫と一緒に息子の卒業式に
行きたかったんだ。


自分一人で卒業式に行くのはさびしかったんだ。


同じ時間を共有して、よい思い出にしたかったんだよね、、、


などなど。


とにかく、自分の気持ちを
あるがまま受け止めて、認めて、

そして、

そう思う自分を許すことを心がけた。


そうしたら、、、



不思議なことに自分を許した分だけ
夫のことも許せた。


そっか。
これが『神聖さ』のギフトか。


『卒業式に出なくてはいけない』は
私の思い込みだったかもしれない。


たしかに、夫が出席しようが、しまいが
息子はきっと何も思わないだろう。


むしろ来なくてもいいとさえ
思っている。


来なきゃダメだと思っていたのは私だ。


それに気づけたら
一気に
『清らかさ』のギフトを受け取れた。


相手も自分も悪くない。

大人になるにつれて
身につけた

〜すべき
〜してはいけない。


を解放して
無邪気な子どもの心を取り戻す。


相手も自分も無実だと気づくことで
癒しがおこった。



卒業式当日は
本当に、

自分一人で行くことに
抵抗がなくなっていた。


すると、、、


会場には、保育園の時に
仲良くしていたママ友たちが


ほとんどみんな一人で来ていて😳
(意外と旦那さんとみんな来ないんだ、とびっくり💦)


女同士で子どもたちの成長を
喜びあい、語り合い、


一緒に涙しながら卒業式に
参加することができて


いろんな積もる話ができて


写真も撮り合えて


おまけに、数年ぶりに
ランチまで行くことができたのだ✨


もちろん
息子たちも一緒に。



結果、
これは夫と一緒に来ていたら

味わえなかった楽しさだったよね??


もう、びっくりです。


『観念』の裏には


『清らかさ』のギフトと共に


女友達との再会と喜びというギフトが
しっかりありました✨


これだから、


【 宇宙は私たちに最高のものを
用意してくれる 】


という宇宙の本質を
改めて思わずにはいられないのでした。


かみさま、ありがとう。


息子よ、心から卒業おめでとう。


これからのあなたの人生がどうか
幸せでありますように。


すてきな出会いがたくさんありますように。

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