才能やセンスはどこに?〜人生のギフトを探す旅・11


中学生になった私は美術部に入部した。


その美術部で
ケイコに出会った。


ケイコはそれまで会ったどんな子よりも
"雰囲気”のある子で


みんな同じはずの制服を着ているんだけど、
ケイコが着るだけで


少しおしゃれな
違う制服に見えるほどだった。


私服になるとそれは一層
顕著で、


学校の外で会う彼女は
どんな時も本当に洋服を自分らしく着こなしていた。



可愛い時もあれば、
かっこいい時もある。


彼女が洋服を着ると
どれも本当に彼女によく似合っていて



どんな時も
ケイコは最高に可愛かった。


それは、顔形の問題ではなく
本当に自分の魅せ方を知っている人の
着こなしだった。


あの時は、どうしてケイコが
あれほど綺麗に見えたり、
可愛く見えたりするのか



その魔法の理由が
わからなかったんだけど、


美術部で出会ったケイコ。
彼女は
ずば抜けた「センス」の持ち主だったんだ。



それは、彼女の才能だったに違いない。


その「センス」の良さで
どんな洋服も彼女の良さを引き立てた。


洋服の着こなし方を
「センス」で自分のものにしていた彼女は
今で言う「おしゃれ上級者」だった。


そんなケイコに出会って
私の世界はまた変わった。


それまで絵を描くことが大好きだった私。


小さな頃から紙さえあれば、
いつでもどこでも絵を描いていた私。


小学生の時は
授業中のすべての時間を使って


私は、机の右端のところに
絵を描いて過ごしていた。


右利きだった私は
教科書やノートでうまく
右端の机の角を隠しながら、


授業の大半を絵を描くことに
費やしていて


絵を描きながら
自分の世界で自由に遊んだ。


いつも45分の授業があっという間に
終わっていたのは

絵を描くことに集中していたから。
その世界で遊んでいたから。



それぐらい私は絵を描くことが好きだったし
絵は私の一部でもあった。


だから迷わず美術部に入部した。



ケイコに出会う前まで
私は、私の描く絵が好きだった。


私の描く絵をなんなら自分で上手いと
思っていたかもしれないし、
好きで自己完結していたから


人と見せ合うこともなかったし
比べることもなかった。


だから自分の絵を
好きでいられた。


ただ純粋に好きだけで楽しめていた。



それが、ケイコに出会ってしまった。



初めてケイコが私の前で
スラスラとイラストを描いたとき


私は、愕然とした。


そして


はじめて自分の描いた絵を
恥ずかしいと感じた。



ケイコの描く人の絵が
あまりにも上手くて


それは
中学生がさらっと描くレベルの
イラストではなかったので


イラストレーターのように
スラスラとペンを走らせる
その手つきを見て



当たり前のように描くケイコを見て


私は、私の大好きだった
イラストを描くという趣味を



封印したんだ。


はじめて人の才能に触れ

その才能の前にひざまずき

私は完敗を認めてしまった。


今ならさ、わかるよ。


自分の絵を恥じることも

自分の絵に絶望することもなかったってことが。


あの時の私に会いに行って


「大丈夫。あなたはあなたの好きを
純粋に楽しんでいいんだよ。」って


言ってやりたい。


才能と好きは別物だから。


好きって気持ちは何よりも尊いものだから。


なのに中学生だった私は、


自分の狭い世界でものを見て、
純粋に大好きだったことを


一つ、自分から手放してしまった。


あの時、

初めて目の当たりにした「才能」に


圧倒されてしまったから。



それから私はイラストを
いっさい描かなくなった。


あれから30年。


今、思い出すのは


美術準備室の入り口に
黒い墨文字で
書かれてあった言葉。


『好きこそものの上手なれ』


当時の私が
毎日、毎日、目にしていたにもかかわらず


受け取れなかった言葉。

こんなところにもギフトがあったんだ。



今ようやく


そのギフトに気がつけた。


あなたには、あなたの良さと
成長速度があるって



捨てないように


比べないように


あきらめないように


才能は「好き」の中に眠っているんだから



3年間、毎日、毎日
目にしていた言葉。


宇宙から
語り続けられていた言葉。


「好きこそものの上手なれ」



今、改めて受け取りました。
ありがとう。













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