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俳句歴2○年

私は26歳のとき、
新聞社の若い人の俳句会立ち上げに
参加することにした。

夢中になり、
ホームページを作って
毎日エッセイと俳句を更新していた。

俳句の先生も
とても優しいかたで、
初心者の私たちに
一から教えてくれた。

下の本を教科書に勉強していた。

寝不足でも
楽しかった。

ネットでも
様々な俳句会があるということを知った。

愛媛で夏井いつきさんが
そのころから活躍していた。

俳句のイベントがたくさんあり、
俳句甲子園の前の
俳句バトルをしていた。

現在テレビで見るのと同じように
その頃からおもしろかった。

いつき組という俳句会に入り、
合宿にも参加した。

いつきさんは、
テレビの中のいつきさんと同じで
とても勢いがあり、
解説が楽しかった。

その合宿で、
私の俳号が決まった。
この「彩葉」である。
これは私が考えたが、
読み方を決めてなかった。
いつきさんが
「さいは」にしなさいと言ってくれて
それに決めた。

結婚してからは、
なかなか外出が難しくなり、
いつき組は
紙面での参加になった。

息子が生まれ、
その瞬間を残したいと思い、
育児日記とともに
俳句を作っていた。

夫も俳句を作った。
結婚する前、
相聞歌ではないけど、
俳句を書いてお互い送っていた。

写生の俳句ばかりだったが、
それは面白かったし、
生徒に話すと
「何時代?」
と言っていた。

そうするうちに
自分で作るというより、
人に作らせるほうに熱心になっていった。

家族旅行に行ったときは、
家族でそれぞれに俳句を作って
俳句帳に書き留めていた。

それは、写真にはない想い出が封じ込められている

そして、授業で毎年俳句を作らせている。
句会を行い、
私も作ってみんなの作品とまぜて
選句をさせる。
だいたい選ばれて
生徒におーっと言わせるのが嬉しい。

俳句ができない生徒に
どんな俳句がつくりたいのかしゃべらせて
俳句の形にととのえる。
素早くできるので、
生徒がびっくりする。

今は頻繁には作らないが、
ときどき俳句の神様が降りてくるような感じで
浮かんでくる。

それを書き留めたらいいのに、
忘れてどこかに消えてしまう。

俳句とはほそぼそとつきあっているが、
また、教師を終えたとき、
本格的に俳句を作るのかもしれない。

今は、これを俳句にしたいと思ったときだけ
作っている。

#CC004 #CollaborationCrew #あなたの歴を教えて

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