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描いた未来へ。

今の僕にはとある目標がある。
それは30歳になる頃にはオリジナルのR18系同人漫画で脱サラをするというものだ。
そのために今は日々原稿を描き、デジタルコミックの販売サイトで売る準備をしている。

僕は学生時代に出版社で漫画を描いていた。
連載作家、なんて立派なものではないけれど、賞レースに出した読み切りは必ず入選していたし、担当編集者も付いていたし、大学の中では唯一制作系の実技授業を免除されていたし、割と優秀な方だったのではないだろうかと思う。

しかし将来への不安や、周囲は就職活動をしているのに僕一人何もしていない焦り。
そして担当編集者へネームを出しても通らなかった事が続き、当時の僕の心はぽっきりと折られてしまった。

正直……元々漫画家も強い想いがあって目指しているものではなかったように思う。
当時の僕には漫画以外秀でた物も、漫画に費やした数年間を捨てる勇気も無く、ただただ惰性で作品を創っていた。
そんな人間が連載という数少ない、何度も篩にかけられた末に残ったエリートになど当然なれるわけもなく、大学卒業後の一年間はフリーターとして生活をしていた。


会社ではアートディレクターという職に就き、外注先の選定や作品の方向性考案、作品のブラッシュアップを担当していた。
作品センスだけは未だに健在だったのか、中途入社の会社でも特に置いていかれる事も無く、傲慢かもしれないが一目置かれる事が多かったように思う。
しかし、僕の”プライドが高い”、”自由に生きたい”という気質は、会社勤めにはまるで不向きで、常に生き辛さを抱えてきた。

そんな僕が以前に勤めていた会社はR18作品をwebサイトで販売しており、ノウハウを得た僕は会社ではなく個人で生きていく為、再び筆を執ったのだ。


そういう経緯で現在漫画を制作しているのだが……これがとてつもなくしんどい。物凄くしんどい。
こんな事を以前の僕はやっていたのかとも思うし、以前のような制作スピードを発揮できていない自分自身に若干の嫌気がさす。
特に僕の作品は繊細な線が特徴で、その分時間も掛かってしまう。

完成まで時間が掛かれば掛かる程、僕は未来への不安を感じ始めていた。
今これほどに身を削り、時間を使っている物事が素直に実を結んでくれるかが分からない。
会社とは違い、誰かが庇ってくれたりする事もない。全て自分自身の責任になる。
それこそが僕の求めていた自由のはずなのに、数年かけた末に失敗した時の事を考えるととても怖い。
過去に一人で何かを成し遂げた偉人はこういう不安に打ち勝ってきたのかと思うと、素直に尊敬するし、過去の自分が挫折した理由もよく分かる。

しかし……過去と今では、大きく違うものがある。
それは自分自身が向かっていきたい未来の像が視えているかどうかだ。

過去の僕は、ただ流されるように描いていた。
しかし今の僕は、なりたい自分の像があり、報いたい過去がある。
今までの自分を無駄にせず、その上で何にも囚われない。
そんな自由な生き方がしたいのだ。
生き方を選ぶために、嫌な事やしんどい事をする。その覚悟が今の僕にはある。


思えば、僕にとっての絵はどうしようもなく後ろ暗いものだった。
今でもたまに思い出す。僕の中の一番古い記憶。



福井県の鯖江市でこの世に生を受けた僕は、幼稚園の頃に父方の祖父母の家で暮らしていた。
母は病院に入院し、父は仕事で家にはおらず、僕と姉の世話は祖父母がしてくれていた。
祖父母は家具屋を経営しており、姉は小学校に通っていたので、僕はほとんど人と接する事が無かった。

お前の母親は病気だ。
お前の家は豚小屋だ。

実の祖母はよく僕たちにそう話していた。
それを聞いている祖父や叔父は何も助けてくれなかったが、僕にとってはそれが日常で、普通だった。

家の中で物音を立てないように過ごすのが普通。
母が祖母に命令されるのも普通。
母が陰で泣いているのも普通。
叔父に邪険にされるのも普通。
祖父が助けてくれないのも普通。
父が何も知らないのも普通。

だから僕は平気だったのだ。
しかし一つだけ、「退屈」は僕の天敵だった。
話し相手も居なく、おもちゃも買い与えてもらえていなかった僕は、押し入れに仕舞われていたチラシの束に目を付けた。

鉛筆と消しゴムを持ち、チラシの僅かな余白に絵を描く。
それが僕にとっての絵の始まりだった。

元々才覚があったのか、記憶以上に絵を多く描いていたのか、僕は市のコンクールで入賞したりし、その後大阪に越してきてからも細々と絵を描き続けていた。
その頃には母も元気になっており、母方の祖父母から、母の入院は心因性の病気で、しきりに「大阪に帰りたい」と泣いていた事を大人になってから教えてもらった。

そして高校生になった頃、僕は家庭内であまり話さないようになっていた。
元々両親は子供に干渉するタイプではなく、僕が母に話しかけても邪険に扱われる事も多く、褒められたり、自分を見てくれている感覚をあまり感じずに育った。
彼らは僕に興味が無い。
僕はそう割り切り、家の外に居場所を求めた。

高校生の頃には絵も少し本格的になっており、ケント紙にコピックというアルコールマーカーで描いていた。
鬱屈した気持ちを吐き出し、ぶつけるように描いた。
ただ描き、描き、描き続けた。
そんなある日、僕の絵を偶然見つけた母が僕にこう言ったのだ。

「上手いじゃん」

そのたった一言は、僕にとっては青天の霹靂だった。
滅多に僕に話しかけてこなく、僕が話しかけても「疲れてるから」と邪険にする母が、僕の作品を褒めたのだ。
積み上げてきたものを褒められる。それは僕にとって、人生を肯定されるのと同義だった。
僕は母のその一言が聴きたくて、作品を創ってはその度一番に母に見せに行った。
母が「上手い」と言うと僕は表情を変えずに部屋に戻り、次の作品の構想を練った。

絵は僕にとって自尊心を満たす手段でしかなかったのだ。
そうして肥大化した自意識だけで、強い芯も無く漫画家を目指し、壁を越えられずに呆気なくへし折られた。



そんな後ろ暗いものだが、最近の自分は変わったなと思う事がある。
それは以前と違い、他人を羨む事が無くなった事だ。

「もし漫画なんて描いていなければ」、「趣味程度にしておけば」、「皆と同じように生きていれば」
失敗した僕はそんなコンプレックスを抱え、あったかもしれない未来を夢想した。
他人を羨み、そして蔑む。しかし自分の生き方が自分にとって正しかったのだと胸を張って言う事が出来なかった。

しかし今の僕は、趣味で絵を描いている友人や、一見何にも縛られていない人がどれだけ楽しそうでも、羨んだり蔑んだりする気持ちは全く無いのだ。
それはきっと、友人たちや姉、母方の祖父母……。
僕から絵が無くなったとしても、色々な人達が僕を個人として認め、そして愛してくれると知ったからだろう。

絵なんて無くても僕は僕。
人々から受けた愛たちがそう教えてくれたから、安心しながらも不安な未来を往けるのだ。
だからこそ、僕は厳しい道と知っていながらでも、描いた未来へ走りたい。
過去の自分に感謝し、そして弔いながら、以前自身が投げ出した事を完遂する。

不安はもちろんある。でも今やっている事に後悔しない自信がある。
全身の甘さを殺して取り組む。
でも結果は急がない。
過去の自分とは違う事を証明したい。
自分との約束を守って、また自分を好きになる。
一人でも、誰に褒められなくとも最後までやり切る。

自分自身で決めた事だから。

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